会場に到着すると、ちょうど親父は台に登ったところだった。

頭にはちまきをして、はっぴをきた親父の姿はまさに祭りの男である。

親父の前には大太鼓があった。

ばちを片手に、親父は大きく深呼吸をした。

その光景を俺と弥生はチョコバナナの屋台から見あげていた。

「親父」

俺が手を振って声をかけると、親父は気づいたと言うように視線を向けてきた。

少しだけ、親父が眉を動かしたのがわかった。

ヤベ、マズかったか?

そう思って、俺は振っていた手を下ろした。

始めようと思って集中してたんだよな。

その邪魔をしたことを俺は反省した。
「嵐!」

親父が俺の名前を呼んだかと思ったら、俺に向かって笑顔で手を振り返した。

俺は嬉しくなった。

親父が初めて俺の名前を呼んでくれたことと手を振ってくれたことが嬉しくて、俺は手を大きく振り返した。

しばらくそうすると、どちらからでもなく、お互いに振っていた手を下ろした。

親父は1回だけ深呼吸すると、太鼓をたたき始めた。

盆踊りが始まった。

「すげーな」

太鼓をたたいている親父は、いつもよりも輝いていた。

「嵐、よかったじゃない」

弥生が言った。
「何が?」

そう言った弥生に、俺は聞き返した。

「お父さんに名前を呼んでもらったうえに、手を振ってもらえて」

「俺、息子として認められたのかな?」

俺が言ったら、
「さあ、それはまだわかんない」

弥生はそう返事をすると、親父に視線を向けた。

ドンドコと、太鼓の音が腹に響く。

その音を鳴らしているのは、親父である。

俺を息子として認めてくれたのかは、まだわからない。

周りの目もあったから、仕方なく手を振って名前を呼んだのかも知れない。

そもそも本当に血が繋がっているのか、それすらもまだよくわからない。
親父の怒鳴り声から、今回の事件が始まった。

「バッカもーん!」

その怒鳴り声に、物干し場でひなたぼっこをしていた俺と猫は飛びあがった。

「ニィー!」

猫は悲鳴(?)をあげると、ものすごいスピードでその場から逃げ出した。

一体何があったんだ?

何事かと思って物干し場を後にして階段へと向かったら、
「シーッ」

階段の前に弥生がいた。

弥生は唇の前に人差し指を当てて、キレイに整った眉をひそめていた。

「どうしたの?」

俺は声をひそめると、弥生に聞いた。

弥生が目で1階を示したので、俺は聞き耳を立てた。

「そんな話を誰が引き受けるか!」

狭い家に、親父の怒鳴り声が響いている。
「けど、相手はどっかのボンボン。

そんなヤツにかなう訳がない」

ため息混じりにそう言ったのは、美波さんのお父さんである。

「まだ勝負した訳じゃないだろ!」

「いや、そうだけど…」

親父は1度キレ出すと、誰も手がつけられない。

「一体何があったの?」

弥生に聞くと、ついてきてと言うように手招きをされた。

後について行くと、弥生の部屋に入れられた。

俺が入ったことを確認すると、弥生も後から入ってきて、パタンと静かにふすまを閉めた。

「座って」

弥生に言われて、俺はその場に腰を下ろした。
弥生が深刻そうな顔で、俺の前に腰を下ろした

「何があったの?」

弥生の深刻そうな顔に、俺の疑問がますます深まる一方だ。

一体何があったのか、何で親父が怒鳴っているのか、何で美波さんのお父さんまでまでいるのか…全くと言っていいほどに話が見えない。

「実はね」

言いにくそうに、弥生が話を切り出した。

「…商店街がなくなるかも知れないの」

そう言った弥生に、
「ウソ…」

耳を疑ったのも無理はなかった。

だって、商店街がなくなるって…信じられないとしか言いようがない。

「何で?」

俺は弥生に聞いた。
「どっかの資産家がこの商店街の土地を売却して、新しい街にしようって言うの」

弥生はさらに顔を深刻化させて、怪談話をするような重い口調で言った。

「マジで?」

俺が聞き返したら、
「そう、マジで。

本当は去年の夏くらいからこの話が出てたんだけど商店街の面々が大反対。

今日まで冷戦状態が続いてたんだけど、資産家がもう待ってられないみたいな感じでブチギレたらしくてこの状況なのよ」
と、弥生が答えた。

「なるほど…」

弥生の話に、俺はうんうんと首を縦に振ってうなずいた。
「と言うか、そもそも何でこの商店街を売却して新しい街を作るの?

資産家なら他にも土地を持ってるんじゃないのかよ」

そもそも資産家って、土地とか建物とか金とかいろんな財産があるんだよな?

それなりに土地も腐るほど余ってるみたいな感じでたくさん持っているんじゃねーのか?

弥生はしかめたような顔をすると、
「何しろね、資産家の娘がこの商店街を気に入っちゃったらしいの。

ちょうどいいみたいな感じで」
と、言った。

「娘!?」

俺は驚いて聞き返した。

「シーッ!」

弥生が唇の前に人差し指を当てた。
「この家ね、クソがつくほど狭いんだから聞こえちゃったらどうすんのよ。

1階ではお父さんと商店街の面々が話しあいをしてるんだから」

「すみません…」

俺と弥生はしばらく顔を見あわせた後、
「その娘はモデル兼デザイナーの女らしくてね、派手でいかにもわがままって感じのお嬢様なの。

名前は…藤見椎葉(フジミシイバ)だったかしら?」

弥生が言った。

「藤見椎葉って、あの藤見!?」

その名前に驚いて、俺は聞き返した

この世で彼女の名前を知らないと言う方が間違っているだろう。

ファッションブランド「Chinquapin」を若くして立ちあげたデザイナーの女だ。