俺が小学校に上がると、母親が家に帰ってこない日もあった。
おやじもほとんど出張でいなかったし、俺一人で夜を過ごすなんて珍しい事じゃなかった。
俺の食事は一応用意されていた。
その内容は母親の気分次第で、出前の寿司の時もあれば、食パンが置かれているだけの時もあった。
でも絶対になかったのが、手料理だ。

母親の手料理が食べられるのは、おやじが帰って来る日だけ。
おやじに愛想を尽かされたら、遊びの資金源がなくなるから、必死だったんだと思う。
おやじがいる日は、取り繕って取り繕って、いい母親、いい妻を演じてた。

だけどそれは結局、“演技”。
誤魔化しきれなくなるか、誤魔化す事すら面倒になるか、どっちにしても終幕は来るんだ。