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 その日の朝、灰山幸四郎は何年ぶりかに無精にしていた髭を綺麗に剃った。
 今まではシェイバーで軽く数分当てるだけにだったのに、剃刀でたっぷり時間をかけて剃り残しのないよう丹念に剃り、鏡を見たとき灰山は思わず顔をしかめた。

「なんか、自分じゃねぇ気がする……」

 特徴的だった無精髭が完璧になくなったこと、そしてなにより真新しい黒いスーツによって、あれだけ満ち溢れていた野性的オーラが隠されてしまっている。

 これでは、ある意味、新社会人だ。

 最も、齢三十を過ぎるこの男にそんな肩書きは相応しくない。

「ま、仕方ねぇよな……。流れ的には、やんなくちゃならなくなったものだから……」

 彼に与えられたのは、今までルミネ=クロスネンボがいた位置。
“神杯”を始めとする、世界中の宝を収拾するという目的がある点を除いては、基本的にマフィアと同じような組織。

 場合によっては、法も犯したりする裏社会の存在であり、その「ボス」に灰山は、君臨した。

 いや、正確には、ルミネから、“託された”というのが正しい。

 昨日まで、灰山自身は組織の末端でしかなかった。
 ルミネほどの威厳もカリスマ性も持ち合わせていないが、彼は“託された”のならばその座を誰にも譲るつもりはない。

(またゼロからだが、必ず見つけてやる。俺のやり方で)

 鋭い目つきで鏡に映る己を睨みつけ、心に強く決意した時だった。


 コンコン。


 迎えにきた秘書のノックが聞こえてきた。
 この見違えた姿を見たら彼女は、あの無愛想な顔を少しは驚きに変えるだろうか?

 そんな不意に過ぎった子供染みた考えの中、灰山は「入れよ」と、ドアの向こうのレンカ・仲里に告げた。