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 湯気と共に食欲をそそる程度に鼻を刺激するのは、中辛のカレーの匂い。
 体型とは裏腹の食欲を持つ空兎を想定して、鍋一杯に満たされたルーを仙太はゆっくりとかき混ぜる。

 だが、仙太の心はここにはない。
 鍋に映る光景は、仙太が溜息をする度に昼間にタイムスリップしていた。

(………なんか、どうもすっきりしないなぁ)

 胸の辺りが重い。
 だが、それが苦しみに変わらない妙な気持ち……まるで真綿で心臓をジワリジワリと締め付けいるようだ。

(……いや、落ち着け、僕! このカレーを失敗すれば空兎に蹴られる!)

 揺れる気持ちで思わず手元が狂いそうになった仙太が、昼間のパスタの失敗を思い出して身震いする。

 現在、空兎は入浴中で、そこからは空兎が作詞作曲した『テンションアゲアゲカレー大好きだぜベイベー♪』が狭き風呂場で反響している。
 夕食のメニューがカレーライスと知ると否や即興で編み出した、天才シンガーソングライター並の才能を発揮するほどの大好物なだけに、失敗すればその際の怒りは計り知れない。

 気持ちを入れ替えて、今一度材料と手順を確認する仙太。

「よ、よし! 大丈夫だ!」

 一瞬、カレールーを空兎の苦手な激辛にしてしまったのかと危惧したが、考えてみれば仙太も紗恵美も買い物する時点でそんなミスをするはずはない。
 ちなみに紗恵美は、本日は会議が長引き、急患も入ったとのことで夜勤になると先程連絡があった。

 つまり、今夜は空兎と二人きりである。

 珍しいことではないが、今日に至っては妙に意識してしまう。

(クヲンが、あんなこと言うから………)

 ───なら、ライバルって奴だな。

 あの台詞が妙に頭にこびり付いている。

「けど、どう考えても僕に勝てる見込みはないよなぁ」

 呟いた後、自分が言った言葉を振り返る。

(あれ? 僕、なんでこんなことを……)

 仙太の中で、従妹ということで遠慮してきた気持ちが溢れそうになる。
 それは最初こそ、器にポツリポツリと落ちる一滴の水だったかもしれない。
 けど、再会して二ヶ月弱。仙太の器は、その許容量の限界を迎えつつあった。

 湧き上がる感情の正体、

 それは──