……。
あの日、私たちが一緒に居るところを、笑い合ってるところを美和は見た。
もし、もっと早くに話していれば美和は傷を作らずに済んだはず。
私がもっと早くに話していれば…。
「…ごめん。ずっと、言おうと思ってたんだ。
だけど冬馬さんが“まだ言う時じゃない”って言ってたんだ。
だから私は、“その時”を待っていた」
こんなことになるなら言えば良かった。
言っておけば良かった。
…今は、後悔ばかりを感じている。
「…本当なの?」
「うん。母親が同じだから間違うはず無いよ」
私の言葉を聞いた美和は少し考えた後、先程と同じように小さく笑った。
「なんだか変な気持ち。
でも良かった。冬馬兄ちゃんと麻実ちゃんが付き合っていたら…私、壊れちゃってたかも」
静かに放たれた言葉を私は全身で受け止める。
上手く言葉が出せなくて、ただ美和を見つめた。
「あの日…私が勝手に逃げ出したんだよね?
だから麻実ちゃんは悪くないよ。私に話してくれようとしてたんだもん」
逃げ出したのは自分だから、と私に言った。
「麻実ちゃん、ごめんね」
その時美和は、私を静かに抱き締めた。
美和が、私のことを許してくれた瞬間だった。
「…ごめん。せっかく来てもらったけれど、少し一人になりたい」
「…大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
私から離れた美和は微笑みながら言葉を続けた。
「冬馬兄ちゃんが夜に来るの。
その時、どんな顔すればいいかわからなくて」
…戸惑い。やっぱりそれを感じているみたいだ。
美和を一人にするのは少し心配だったけど、その日は帰ることにした。
「大丈夫だよ」と言った美和を信じて…。
帰り際、良明はバイト代を美和に渡そうとした。
だけど美和は受け取らず…封筒に入れられたバイト代が、二人の間を行き来する。
…話し合いの結果、美和はバイト代の3分の1を受け取ることになった。
「ごめんね、私何もしてないのに貰っちゃって…」
最後の最後まで美和は申し訳なさそうな顔をしていた。
良明は「いいんだよ」と笑いながら手を振る。
「じゃあ美和、またね」
「うん」
私も手を振り、美和の家を出た。
………。
「なぁ、明日からやる宿題。
10時くらいからでいい?」
「あ、うん」
「じゃ、図書館に10時な」
そうだ、明日からは宿題をやらなきゃいけない。
…良明と一緒に。
「今年の夏はお前とずっと一緒だな」
微笑みながら言う良明。その顔を見ると上手く言葉が出せなくなる。
胸がドキドキして、苦しくて、張り裂けそう…。
「…宿題見てあげるから、後で何か奢ってね」
なんとか出した言葉。
それを聞いたのに、良明はやっぱり優しい顔で笑ってる。
それを見て思う。
私は、良明が好きなんだ。
いつからかはわからない。だけど多分…好きなんだ。
もっとずっと、良明の笑顔が見たい。
…でも。
なんかイヤだ。
“お前は俺のこと嫌いかもしれないけど、好きになってもらえるよう努力する。”
そう言われたから好きになったみたい。
だから…良明にそう思われるのがイヤだった。
少し前を歩く良明を見つめながらため息をつく。
多分私は、自分の気持ちを良明には言わない。
だから多分、付き合うとかそういう関係にはならない。
…他の男友達よりは話すけど、それ以上にはならない。
良明と私は今の関係のまま歩き続ける。
気持ちを押し殺し、もう一度小さなため息をついた。
.
【美和side】
――……。
麻実ちゃんたちが帰ってからどれくらい経っただろう。
ベッドに横になりながら麻実ちゃんの言葉を思い返す。
冬馬兄ちゃんと麻実ちゃんは兄妹。全然似ていないのに、それが事実…。
だから二人は会っていたし、笑い合っていた。
兄妹だから、気兼ねなく…。
でも。
もっと早く言ってくれていたら。
「…私は事故に遭わなかった…?」
…そんな気持ちが拭えない。
私、「麻実ちゃんは悪くないよ」って言ったくせに…心の奥底では憎んでる。
体の傷自体は浅い。だけど、記憶は失ったまま戻らない。
…自分が逃げ出したからこうなったのに、麻実ちゃんたちのせいにするなんて…最低だ。
本当は全部私のせいなのに…。
心が苦しい。
今まではごく自然に話していたのに、これから先、私は…どう話していけばいいかわからなくなっていた。
「美和、入るよ」
コンコン、とノックする音と優しい声。
冬馬兄ちゃんがドアを開けた。
体を起こしてそちらを見ると、冬馬兄ちゃんは心配そうな顔をしている。
どうしてそんな顔をしたのか、数秒後に気付く。
私、泣いていた。
「何かあった?」
優しい声。いつもと変わらない冬馬兄ちゃん…。
だけど私は、上手く話すことが出来なかった。
そんな私を見て冬馬兄ちゃんは少し考え、それから優しく頭を撫でた。
「全部聞いた?良明くんのことや、俺たちのことも」
「…うん」
「そっか」
それ以上は何も言わずそっと私の横に座る。
冬馬兄ちゃんはまだ何かを考えているようで、どこか一点を見つめたまま動かない。
その間に涙を拭い、静かに呼吸を整えた。
「ごめんね、ちょっとビックリしちゃって。
麻実ちゃんと冬馬兄ちゃん全然似てないのにね」
なんとか笑ってみせると、冬馬兄ちゃんも小さく笑った。
「麻実は…結構無理してる。だから多分、似てないと感じるんだよ」
麻実ちゃんが、無理してる?
…その意味がよくわからない。
だけど、私よりももっといっぱい麻実ちゃんを知っているから…冬馬兄ちゃんの言葉はきっと当たってる。
(私が知ってるのはホントの麻実ちゃんじゃないのかな?)
黙ったままの私に冬馬兄ちゃんは微笑み、それからゆっくりと口を動かす。
「美和に言っておきたいことがある。大事な話だよ」
隣に座る冬馬兄ちゃんは少しだけ強く私の手を握った。
「…俺、前に美和に言ったんだ。
良明くんと美和が別れたその日のことだから、わからないと思うけれど」
私の、失った記憶。
その中で冬馬兄ちゃんが私に言った言葉…。
少し考えた後、冬馬兄ちゃんはゆっくりと話し出す。
「…俺は、あの日の言葉を後悔している。
あの時ちゃんと隠さずに言えていたら、今とは違う結果になっていたんじゃないか…って」
そして私を見つめ、ハッキリとこう言った。
「幼なじみとして以上に俺は、美和が好きだ」
……。
空気の流れが一瞬止まった。ような気がした。
その中で冬馬兄ちゃんは言葉を続け、私の手をそれまで以上に強く握った。
「それは俺が前に言った言葉。
…同時に、“付き合うとかそういうのは出来ない”って言ったんだ」
「………」
…意味がわからない。
幼なじみ以上に好き。だけど付き合えない。
な ぜ ?
…私が思い浮かんだ理由はただ一つ。
(…年の差があるから?)
私が子供で、冬馬兄ちゃんは大人だから。
だから私たちは付き合えない?
「…子供だと思ってた美和が中学に入ったら急に女っぽくなって…俺の心から離れなくなった。
告白された時、本当は凄く凄く嬉しかったし、抱き締めたかった」
懐かしそうに話す冬馬兄ちゃんは私の手を離し、言葉を続ける。
「でも、俺はハタチで美和は13歳。
ダメなことだってわかってた。だから突き放したんだ」
…やっぱり年の差があるから、私たちは付き合えないんだ。
年の差7歳。
だけど――。
「好きってだけじゃダメなの…?
年の差があったって、今までずっと楽しく話してきたよ?」
年の差があってもいつも笑い合っていた。
冬馬兄ちゃんと一緒に居るだけで楽しかった。
付き合っていなくても、
幸せだった。
「幼なじみならいつだって笑い合える。
だけどそれ以上になったら、笑って生活なんて出来なくなるよ。
世間が、許してはくれない」
…世間体。
ソンナモノの為に私は、私たちは…傍に居られない。
.
「…もうヤダ、わかんないよ。
好きならいいじゃない。傍に居たいならいいじゃない!
どうしてダメなの…私は冬馬兄ちゃんが居てくれるならそれでいいのに…どうして…」
…もう、どうすればいいかわからない。
幼なじみとして笑い合うことが出来るなら、恋人としても笑い合えるよ、きっと。
振られてからもずっと私は冬馬兄ちゃんを見てきた。
振られてからもずっと、一緒に笑い合ってきた。
「美和、聞いて。
人間は常識に縛られて生きているんだ。それから外れたらもう普通の生活は出来なくなる。
俺は、美和を幸せにしたいからそれに従ってる。ずっと一緒に笑い合いたいから、今まで我慢してきたんだよ」
常識。それはそんなに大事なモノなのかな?
それがよくわからないのは、私がまだ子供だから…?
「美和」
私に触れる冬馬兄ちゃんは、そっと静かに言葉を続けた。
「今からじゃもう遅いか? 4年前じゃなきゃダメだったのか?」
………。
冬馬兄ちゃんは優しい顔で私を見ている。
「責任を、取らせてほしい」
「…責任?」
なんのことを言っているのかわからない私に、冬馬兄ちゃんは苦笑気味に笑った後に言う。
「これから先の人生を、俺に預けてくれないか?
もう一人にしたりしないし、ツラい思いもさせない。
幼なじみという関係じゃなくて、恋人として俺の傍に居てほしい」
………。
その言葉は、ずっと私が望んでいた言葉…。
冬馬兄ちゃんの口からは一生聞くことがないと思っていた言葉。
「ダメかな?」
やっぱり優しい顔。私が好きな顔。
これから先の人生、冬馬兄ちゃんが傍に居る人生…。
それはもう、叶わない願いなんかじゃないんだ。
「私、冬馬兄ちゃんの傍に居てもいいの?」
「うん」
「本当に?」
「本当だよ」
…ずっとずっと、傍に居られる。
「本当は美和がハタチになるまで待つつもりだった」
「…でも、その時私は別の誰かと付き合ってたかもしれないよ?」
「その時はその時。俺は幼なじみとして祝福するだけ」
言いながら冬馬兄ちゃんは顔を近づけた。
「俺に責任を取らせてほしい」
もう一度放たれたその言葉に、私は小さく頷いた。
そしてゆっくりと重なる唇。
おでこにされるキスとは違う温かさを感じながら、静かに目を閉じた。
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