すると楓は、信じられないくらい甘い言葉をあたしに囁いた。
「俺の全部を知ってるのは、お前だけでいい」
楓……
「他の女達にチヤホヤされるよりも、穂香だけに愛されてればいい……そう思ったからだ」
そんなこと思っていてくれたの?
胸が甘く疼いた。
まるで夢の中にいるようで……。
「浴衣、可愛すぎて、他の男に見られんの嫌なんだよ」
楓の頬は、ほのかに赤くなっていた。
そんな楓を愛おしく思う。
「楓……」
あたしが名前を呼ぶと同時に楓はあたしを抱き寄せた。
「穂香、好きだ……」
掠れた声で呟く楓。
――まるで、あたしに魔法をかけるかのように。
「あたしも、好きだよ」
そんな甘い口調で言われて、無意識に口が動いていた。
恥ずかしさなんて忘れて。
楓の抱き締める力が強くなる。
楓の腕の中は、なぜかすごく安心して。
それからしばらくの間、あたしは楓の香りに包まれていた。
体が離れた後、あたし達の間にしばらく沈黙が続いた。
でも不思議と、その沈黙は嫌じゃなくて。
とっても心地よい沈黙だった。
しばらくすると、楓が口を開いた。
「やるか? 線香花火」
楓は線香花火を一本取り出して、ライターで火をつける。
――パチパチッ
線香花火は朱色の花模様をつくっていく。
「キレイ……」
自然と口から出た言葉。
「……だな」
だけど、それは楓も同じだったみたい。
あたし達は光り落ちる線香花火を静かに見つめていた。
線香花火って、恋みたい。
パチパチと華やいだり、静かになったり。
笑ったり、泣いたり。
そんな波がある。
でも、最後にはシュワッと音を立てて消えてしまうんだ。
恋も、そうやっていつかは消えちゃうのかな?
そう思うと、とても切なくなった。
音を立てて消えてゆく線香花火を見つめながら、あたしは楓との恋が消えないことを願った。
どうか、線香花火みたく消えてしまいませんように……。
この恋が、ずっとずっと続きますように……
「楓」
あたしが名前を呼べば、彼はどんな時でも耳を傾けてくれる。
「あたしね……」
今日こそは、素直になろう。
自分から気持ちを伝えよう。
そう、思ったんだ。
「どうした?」
あたしの顔を覗き込む楓に
精一杯背伸びして
――チュッ
あたしなりの気持ちを伝えた。
すると、楓は一瞬驚いた表情を見せて
とびっきりの笑顔をあたしにくれた。
「よくできました」
そう言ってあたしを優しく引き寄せる。
これ以上の幸せはない。
だって楓とこうしていられるだけで、とっても幸せだもん。
「しようか?」
「え……っ」
あたしが返事をする前に楓はあたしの唇を奪った。
それは、とっても濃厚なキスで。
イチゴかき氷の味がした。
――パンパンッ
「……な、なに?」
瞬間、大きな音がしてあたしはすぐに我に返った。
あ、あたし、こんなところで何してんのよぉおおおお!
バカ、大バカ!
「あ。花火だ」
ふと楓がそんなことを口にした。
楓の視線を追うと……
――バンバンッ
色とりどりの花火が夜空に輝いていて。
「うわぁ、キレイ……」
まるで、花火があたし達を祝福してくれてるみたい。
あたしは幸せで溢れていた。
夏休みもあっという間に終わり、新学期。
食欲の秋の季節です。
クリーニングに出したばかりの、ブレザーを羽織りあたしは学校に向かう。
もちろん、楓はまだ寝てる。
なんだか最近、あたしと楓の噂が流れている。
『あのふたりが一緒に買い物してるとこを見た生徒がいるらしいよ!』
……だなんて。
噂に尾ひれはつくものだけど、一緒に買い物していたのは事実だ。
そんでもって、一緒に暮らしてるなんてバレたらきっと厄介なことになるに違いない。
だからあたし達はお互い時間をずらして学校に行くことにしたんだ。
とは言っても、楓は最後まで納得してくれなかった。
『どうして秘密にしなきゃならないんだ』って。
確かに、楓の言うことは正しいけど……。
でも、もしそんなことがバレたらあたしはきっと、女子群から目の敵にされるだろう。
はぁあああああ……。
憂鬱すぎる。
あたしは重い足を引きずりながら学校へと向かった。
教室につくなり、一番後ろの窓側の席にカバンを放り投げた。
「はああああああ……」
憂鬱な原因は休み明けのダルさと奇妙な噂のこと。
その他にも、ありもしない噂を流されて、あたしはすでに全校生徒から白い目で見られていた。
その噂っていうのは……
“男狩りをしている”とか、“セフレが何人もいる”とか、不純な噂ばっかりだ。
一体何なのよ……。
そもそも、そんな噂される覚えもない。
買い物していたのは事実だから仕方ないけど、不純な異性関係なんてあたしにとっては無縁の話だ。
……まぁ唯一、原因と言えば楓とのくらい。
あたしと楓の関係に恨みを持ってる誰かのしわざだと思う。
楓は王子様だから。
あたしみたいな凡人じゃ不釣り合いだって思ってるのかもしれない。
だからって、そんな陰険なことしなくたっていいじゃないっ!
頬杖をついて、そんなことを考えながら不意に校庭を見たら現れた。
誰かって?
そんなの決まってる。
「きゃあああああっ!」
「王子ぃいいいい」
「あたしを抱いてぇえ」
プリンスのお出ましです。
女の子の黄色い声が、楓のまわりに響く。
相変わらずモテモテだなぁ……。
でも、楓は女の子達に見向きもしない。
そう言えば、この間のお祭りの時も言ってくれたんだ。
『俺はお前に愛されていればそれでいい』
忘れるはずのない言葉が鮮明に蘇る。
お前に愛されてれば……か。
きっと、学校でのあたし達は“秘密の関係”になる。
堂々と喋ったり、会ったりすることは出来ないけれど。
それは仕方ないことだと思うだから。
少しは我慢しなきゃ。
寂しかった気持ちを押し殺して、あたしはふぅ、と深呼吸をした。
「……覚悟しておいてくださいね。川島穂香サン。」
――廊下で、“誰か”が呟いた声なんて届くはずもなく。
――ガタンッ
楓があたしの隣に座った。
瞬間、ふわりと甘い香りがあたしの鼻をくすぐる。
今すぐにでも、触れたいと思ってしまった。
矛盾した思い。
自分から“秘密の関係”にすると決めたクセに。
矛盾しすぎてるよ……。
でも、あたしは楓に溺れてる。
それはもう、自分ではどうしようもないくらいに。
ブーブーブー
すると突然、ブレザーのポケットで携帯が震えた。
【新着メール1件】
【Frm 楓】
【Sb:】
昼休み、理科室においで
―――END―――
驚いて楓の顔を見ると、パチッと目があった。
人差し指を唇にあてて、意地悪に微笑む楓は、本当に王子様みたいで。
――昼休み。
あたしは理科室に向かっていた。
誰もいない廊下は静まり返っていて、あたしだけの足音が響く。
楓は、もう来てるかな?
そんなことを考えながらあたしは理科室へと急いだ。
「川島穂香さん?」
すると突然、背後から誰かに声をかけられた。
驚いて、ビクッと肩を上げる。
誰もいなかったはずなのに、どうして……?
不思議に思いながらも、あたしは後ろを振り返った。
すると、そこには……
真っ白な肌にくりっとした瞳。
ぷるんとした唇。
華奢な体によく似合う、ハチミツ色の長い髪。
まるで“お姫様”のような女の子があたしの前に立っていた。
こんな女の子、うちの学校にいたっけ……?
「あたし、2年C組の桜田愛(さくらだ あい)と言います」
あたしが聞く前に、名前を名乗った女の子。
桜田、愛。
聞いたことない名前だけど……
あたしは、次の愛チャンの言葉を聞いてひどく驚くことなる。
「ところで、川島さんって楓クンと付き合ってるんですかぁ?」
「な、なんですって!?」
な、ななな何であたしと楓のこと知ってるの!?
すると、愛チャンは意味ありげに笑ってあたしの耳元で囁いた。
「もしも、付き合ってるなら……」
「な、なに?」
「今すぐ楓クンと別れてくださいね?」
挑発的な言い方にイラッときたあたし。
「アナタに何の関係あるの?」
すると、愛チャンはニッコリと笑った。
でも、それが偽りの笑顔だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
ゾクッと背筋が凍る。
妙な威圧感……
「あたしをあまり怒らせないでくださいね?」
それじゃ、とお辞儀して愛チャンは去っていった。
ひとりになったあたしは呆然とその場に立ち尽くしていた。
な、なによぉおおおお!
いくらあたしが凡人だからって、あんな言い方しなくてもいいじゃない!
でも、桜田愛ってどこかで聞いたことあるような……
気のせいかな?
……うん、このことは忘れよう。
ただの嫌がらせだし、気にしてるだけ損だよね。
楓は王子様なんだもん。
女の子に恨みをかわれるは日常茶飯事だから。
……あっ、いけないっ!
楓との約束、すっかり忘れてた!
あたしは急ぎ足で理科室と向かった。
――本当は、絶対に忘れちゃいけないことだったのに。