「だから、あたしはアンタ達なんかには負けない……っ!」
そう言い放つと、巻き髪の女の子があたしを突き飛ばそうとした。
怖くなって、ギュッと目を瞑る。
だけど、女の子の手があたしに触れることはなかった。
「……穂香センパイをイジメるの、やめてもらえる?」
甘いのに、どこかトゲのある声にあたしは瞑っていた目をゆっくりと開ける。
あたしの瞳に映ったのは……
「愛、チャン……?」
ハチミツ色の髪をなびかせる愛チャンの姿だった。
「桜田……」
女の子達も呆気にとれている。
周りで見ていた野次馬の生徒達もザワザワとざわめきだした。
「なんで桜田が?」
「アイツが誰かをかばうなんてね」
「ちょっと意外……」
野次馬から発されている声には聞き耳もたてず、愛チャンは巻き髪の女の子を鋭く睨みつける。
その顔は、前に愛チャンがあたしを睨んだ時よりもずっと、恐ろしかった。
「言っておくけど、穂香センパイと楓クンはお似合いなカップルよ?」
愛チャンが冷たくそう言い放つと、女の子達の顔がだんだん歪んでいく。
「穂香センパイがブス? 笑わせないでよ」
女の子の手首を握る愛チャンの手がグッと強くなる。
「アンタ達みたいなのはね、クズって言うのよっ!」
そう言い放った瞬間、愛チャンは力一杯女の子の手首を振り払った。
「お、覚えてなさいよ……っ!」
巻き髪の女の子は力なくそう言うと、他の女の子達を連れて、一目散に逃げていった。
「穂香センパイ…大丈夫……?」
愛チャンの端正な顔が心配そうにあたしの顔を覗き込む。
「大丈夫だよ。ありがとう」
あたしが精一杯、笑顔をつくって頷くと愛チャンはハチミツ色の髪を揺らしながら、ニコッと微笑んだ。
「穂香センパイ…今までごめんね……?」
そう言うと、愛チャンはいきなり暗い顔になって、俯いた。
「あたし…穂香センパイにひどいことした……」
ポツリポツリと小さく呟くように発される声。
こんな愛チャン初めて見た……。
「だからこれは、ほんの罪滅ぼしのつもり……」
「本当にごめんなさい」と力なく言うと愛チャンはペコリと頭を下げた。
「そんなこと、もう気にしてないから大丈夫だよ……?」
あたしが愛チャンにそっと触れると、愛チャンはゆっくり顔を上げて切なげに微笑んだ。
「楓クンと絶対幸せになってね」
「じゃないと……」と愛チャンは続ける。
「絶対に許さないから」
不敵に笑みを浮かべると愛チャンは背を向けて歩き出した。
愛チャン……ありがとう。
涙を浮かべながら、あたしは心の中でそっと呟いた。
「穂香の泣き虫」
「えっ……?」
その声で、ぞろぞろと立ち去って行く野次馬の足と、あたしの思考が止まる。
あたしの目の前にいる人物を見た瞬間、野次馬の女の子達は一斉に黄色い悲鳴を上げた。
「きゃあああああ!」
「爽様ぁあああ!」
「今日も素敵ぃいい」
そこにいたのは、爽やかなシトラスと香りを漂わさせる爽の姿だった。
「そ、爽……」
昨日、あんなことがあったせいか、なんとなく気まずくて俯いた。
そんなあたしを見て、苦笑いを浮かべると爽は黒髪をかき上げながら、口を開いた。
「……昨日はごめんな」
漆黒の瞳があたしを捉えた。
その切なげな表情に胸がギュッと締めつけられる。
「俺、最低なことした。本当にごめん……」
揺れる瞳を見て、あたしはただ頷くことしか出来なかった。
「……行けよ。アイツんとこ」
「……えっ?」
爽はそう言うと、あたしの顔を覗き込んで、優しく微笑んだ。
「……楓に伝えろ。今度、穂香を悲しませたら許さねぇってな?」
「爽……」
「……じゃあな」
あたしの頭を優しく撫でると、爽は女の子達に紛れて、去って行った。
爽……。
爽は、あたしにとって初めての男友達だった。
あたしが困っている時は助けてくれて、泣いている時は優しく胸を貸してくれた。
爽…ごめんね……。
ありがとう。
校舎に向かって歩いて行く爽の後ろ姿を見つめながら、そんなことを思った。
あたしもこうしちゃいられない……。
楓に伝えなきゃいけないことがあるんだから……。
手をギュッと握り締めて深呼吸してから、意を決して鞄を開く。
携帯を取り出して、楓にメールを打った。
【To:楓】
【Re:】
体育館裏で待っています。
ーーーENDーーー
授業をサボっても、どうしてもすぐに伝えたかった。
“送信完了”の文字を確認してから、あたしはパタンと携帯を閉じた。
鞄に携帯を放り込むと、あたしは体育館裏までの道へと足を速める。
楓、来てくれるかな……?
不安ばかりが募って、激しく脈を打つ鼓動をおえながら、体育館の裏へ続く通路を早足で歩く。
――パシッ
「きゃあ……っ!」
曲がり角を曲がろうとした時、誰かに手首を掴まれてそのまま“何か”に倒れ込んだ。
固いような、柔らかいような……。
咄嗟に閉じてしまった目をゆっくり開けると、紺色のブレザーがあたしの視界に広がった。
大好きな甘い香りがしてすぐに誰だかわかった。
「……俺を待たせるとは、いい度胸だな?」
紺色のブレザーからゆっくりと上に視線を移す。
「か、楓……」
そこにいたのは紛れもなく、意地悪に笑みを浮かべる楓の姿だった。
楓はあたしの体を離してコンクリートの壁に寄りかかる。
「……で、なんだよ? いきなり呼び出して」
楓のブラウンの瞳があたしを見据えた。
ちゃんと……伝えなきゃ。
あたしが一番伝えたいことを。
意を決して、楓を見つめる。
楓と視線がぶつかって、胸がドクンッと激しく音をたてる。
「あ、あたし…楓が好きなの! 大好きなの……っ!」
あたしが伝えたかった言葉はたった一言だった。
小さい頃から、あたしの思いは変わらない。
指切りをしたあの頃のように、自分の思いを正直に伝えたかった。
そして、あたしの全てを……楓に捧げたかったんだ。
「あたし…楓じゃなきゃだめなの……っ」
――瞬間、甘い香りに包まれた。
楓に抱き締められたんだと気づくまで、数秒かかった。
待ち焦がれていた温もりに、涙がこぼれそうになる。
「穂香……」
耳のすぐ近くで楓の声が聞こえる。
囁くような甘い声はあたしを翻弄させた。
「俺、もう穂香を誰にも渡したくねぇ……」
「楓……」
「辛い思いさせて、ごめんな……」
掠れ声の楓に、あたしは頭をブンブンと横に振った。
あたしの体をゆっくり離すと、楓は驚くくらい優しい表情で微笑んだ。
その微笑みに胸の奥がキュンと音をたてる。
「楓……このネックレス…」
あたしは首にかかったネックレスを取って、楓に見せた。
「あたしを信じてくれてありがとう……」
今なら自分の気持ちを包み隠さず全て伝えられる。
……そんな気がした。
「あたし、楓のおかげでちゃんと自分の気持ちが伝えられたの……っ」
「女の子達にだって言い返せたの…っ…」
楓があたしを信じてくれたから、あたしは強くなれたんだ。
あたしは、もう自分の気持ちさえ伝えられない弱虫じゃない。
「見てたよ」
「えっ?」
あたしが驚いて目を見開くと、楓は困ったような顔をして、頭の後ろをかきながら口を開いた。
「お前が、女達に呼び出されていた時、校舎の通路からずっと見てたんだ」
……楓、もしかして……
「今日の朝だって、ずっと見てた。桜田がいた時も爽がいた時も……」
……楓は本当に照れてる時に頭の後ろをかくんだ。
小さい頃からそうだった。
指切りした時も楓は頭をかいていた。
それは本当に照れている証拠。
あたしだけが知っている楓の癖。
「俺がさっき言ったこと本気だよ?」
「えっ?」
突然の言葉に驚いて聞き返すと、楓の優しい笑顔は一変して意地悪な笑みに変わり、あたしの頬に優しく触れて顔を耳元に近づけた。
「マジで誰にも渡したくねぇし、俺はずっと穂香を信じてる」
意地悪な顔をしているはずなのに、言葉はやけに真剣で、あたしの胸に強く響いた。
「だから穂香も俺を信じて、な?」
あたしの顔を覗き込む楓の、甘い口調にあたしは素直に頷いた。
初めての恋は、幼なじみであり、学校の王子様でした。
楓が10年ぶりに現れていろんなことがあった。
いきなり一つ屋根の下で暮らすことになって、旅行やお祭りに行って、ライバルだって出来た。
俺様で意地悪でエッチな王子様だけれど、実はとっても優しい人。
あたしの…大好きな人。
「穂香」
楓があたしの名前を呼ぶ。
それと同時に甘いキスが降ってきた。
「…ん……っ」
それは今までしたどんなキスよりも、甘くて幸せなキス……。
甘いキスのお味は、口の中で優しく溶けるチョコレート味のキスだった。
今までよりも、ずっとずっと甘いキス。
こんな甘くて幸せなキスがあるってことを、楓が教えてくれた。
愛しい痛みも、優しい温もりも初めて教えてくれた。
恋をする切なさも、苦しさも、あたしが知らないことを王子様が教えてくれたんだ。
唇が離れて、あたし達の視線が絡み合う。
王子様のブラウンの瞳に移るのは“恋するあたし”。
あたし自身も今まで見たことのない、あたしだった。
そんな自分に少し自信が持てた気がする。
「穂香」
楓が名前を呼んだ瞬間、秋の風が吹き抜けた。
“頑張れ”って応援してくれているみたいで、心強くなる。
「……愛してる」
そう囁いて、またあたしの唇に極上に甘いキスを落とす。
――王子様はあたしに永遠にとけない魔法をかけた。
それは時に苦くて、だけどとっても甘くて幸せな、
チョコレート味の恋の魔法。
*Fin*