「というわけ……」
全部話し終えると、あーちゃんは手にしていた紅茶を一気に飲み干した。
今までの瀬川クンだったらきっと、とっくにエッチしてると思う。
だけど、しないってことはそれだけあーちゃんのことを大切に思ってるんだろうなぁ……。
そう思うと、自分のことのように嬉しくなった。
「ところでさ」
あーちゃんは思い立ったように声を上げて、まん丸な瞳であたしを見つめる。
「早川爽が言ってた聞いてもらいたいことってなんだったんだろうね?」
……昨日、ホテルで言ってたこと。
――『お前に聞いてもらいたいことがある』
爽の真剣味を帯びたその言葉があたしの頭の中に蘇る。
きっと楓も関係していると思う。
そしてふたりの言っていた“アイツ”も……
だけど楓は、
――『穂香には関係ない』
って、かたくなに拒否してた。
それにはきっと、なにか理由がある。
「あっ、噂をすれば早川爽よ」
「えっ?」
あたしは、あーちゃんの指差す方に視線を向けた。
そこには……
「爽……」
黒髪をなびかせながら、こっちへ歩いてくる爽の姿だった。
「ちょっと話あんだけど」
爽はあたしの前まで来ると真剣にあたしを見つめた。
その表情からは何も読み取ることが出来なくて。
あたしはただ、コクンと頷くことしか出来なかった。
「南、悪りぃけど、穂香借りる」
爽がそう言うと、あーちゃんはニコッと微笑んで
「どうぞ」
と、言った。
不意にあーちゃんを見ると、あーちゃんは“大丈夫”と言わんばかりに大きく頷いてくれた。
それだけで心強くなる。
あーちゃんに手を振ったあたしは、歩き出した爽の後をついていく。
爽の背中はいつもより頼もしく見えて。
あたしの緊張は徐々に高まっていった。
連れて来られたのは体育館裏。
昼休みだと言うのに、誰の声も聞こえない。
まるで、あたし達しかいないみたい……。
ふと、そんなことを考えていた。
「……昨日、言おうとしたこと」
「えっ?」
誰もいない空間に、爽とあたしの声だけが響く。
「お前に聞いてほしい」
……ドクンッ。
暴れだす心臓が妙に息苦しくて。
「楓の…こと?」
平常心を装ったつもりでも、声が震えてしまう。
何も言わずに、ただ頷く爽。
その複雑な表情から、あたしが知っちゃいけないことだということを物語っていた。
だけど…知りたい。
どんな過去を持っていても、楓は楓だから。
どんな楓も受け止めたいと思ったから。
でも実際、聞くとなるとこの場から逃げ出したいと思う自分がいる。
そんなあたしは…弱虫だ。
「お前はアイツが好きなんだろ?」
爽は確かめるように、あたしの顔を覗き込む。
「好き……」
すると爽は深いため息をついて、すぐ側にあった壊れかけた机に寄りかかった。
「聞いたら、ショック受けるかもしんねぇ……」
瞼を伏せて、すぐにあたしに視線を戻す。
「それでも…聞くか?」
あたしは小さく頷いた。
あたしの返事を確認すると、爽は淡々と話し始めた。
「俺らが中3の頃……」
「楓、お前また告られたのか?」
「うるせぇよ」
――寒さが厳しい11月。
俺と楓は白い息を吐きながら、校門を通る。
「きゃあああああっ!」
「王子ぃいい~」
「爽様ぁあああ」
校門で待ちかまえていた女達が甲高い声を出して俺達を囲む。
自分で言うのもなんだが、俺達は学校の王子様だ。
まぁ、俺も楓も、容姿は抜群だからな(笑)
だけど、楓は誰からの告白も受け入れない。
例えそれが、学年一可愛い女からの告白だって「無理」と冷たく突き放す。
それにはなにか理由があるみたいだけど。
「楓ー! 爽ー!」
俺達を取り囲む女達よりも響く、透き通った声にふたりで同時に振り返った。
俺達のところにかけてくるのは。
藤宮柚月(ふじみや ゆずき)。
長い茶髪をポニーテールで結んでいる。
元気いっぱいで愛嬌のある女。
いつも一生懸命で泣き虫で……。
ドジで天然なところもある。
だけど、俺はそんなアイツに惚れてる。
俺達3人は小学校の頃からの幼なじみで。
俺はずっとアイツが好きだった。
「もお! 置いてかないでよね!」
柚月は口を尖らせて、フンッと頬を膨らませた。
「悪りぃ悪りぃ」
楓はそう言って柚月の頭を撫でた。
柚月は顔を真っ赤にして、照れているようだ。
そう……。
柚月は楓のことが好きなんだ。
小学校の頃からずっと。
楓もきっと、柚月が好きだ。
あの顔を見れば、一目瞭然。
他の女には見せたこともない“恋してる瞳”。
そんなふたりを、唇を噛み締めながらずっと見てきた。
楓は俺の幼なじみだし。
柚月は俺の好きな女。
だから、楓にならこの思いを譲ってもいいと思ってた。
――だけど、ある日。
それは、どしゃ降りの雨の日だった。
雨でびしょ濡れになった柚月は、目に涙を浮かべて俺の家を訪ねてきた。
「……楓に振られちゃった」
今にも崩れてしまいそうな弱々しい体を見て、一気に苛立ちが込み上げてきた。
……はぁ?
ありえねぇだろ。
あんだけ優しくしといて。
柚月の気持ち、弄んでんじゃねぇよ。
……俺は家を飛び出した。
傘も持たずに。
雨に濡れるのなんて気にも止めなかった。
「……どうしたんだよ?」
ついたのは、楓の家。
玄関から出てきたのは、脳天気にあくびなんてしているヤツ。
俺の怒りは頂点に達した。
「……ちょっと、表出ろよ」
「はぁ?」
楓の腕を強引に引っ張って連れてきたのはマンションの駐車場。
どしゃ降りの雨が俺に降り注ぐ。
けれど、今の俺はそんなこと全く気にしなかった。
「お前…柚月が好きなのか?」
楓が出す返事なんてわかってる。
だけど、楓の口から楓の言葉で聞きたかったんだ。
すると楓はなに食わぬ表情を浮かべて
「好きなわけないだろ? 柚月はただの友達だ」
冷たくそう言い放った。
俺は楓をブン殴った。
何回も、何回も。
だけど楓はやり返してこない。
むしろ抵抗もせずに、ずっと立ち尽くしていた。
「爽…っ……!」
しばらくすると、柚月が傘を差して俺達のところに走ってきた。
「ねぇ、なにやってるのっ……!?」
持っていた傘を投げ捨てて、俺の体を揺さぶる。
「柚月には関係……」
「関係あるじゃないっ!」
血だらけになった楓の頬を柚月が優しく撫でる。
「……こんなになるまで…っ…」
なんだよ……
柚月のことを思ってやったことでも、結局は俺のせいかよ。
柚月は楓に傷つけられたのに。
なんでそこまですんだよ……。
悔しさでいっぱいの俺に、柚月が鋭い目線を向ける。
「ねぇっ! どうしてこんな酷いことしたの!?」
“お前のため”だなんて言えない俺はずっと黙ってることしか出来なかった。
「おい、柚月。やめろよ」
楓が止めにはいっても、柚月は止まらなかった。
「うるせぇよ!」
俺はイライラして柚月を思いっきり突っぱねた。
「……っ…!」
そのはずみで柚月は道路に飛ばされてしまった。
――キーキーッ
「きゃああああ!」
「柚月……っ!」
柚月は道路を走っていた車にひかれた。
俺達がかけ寄った時には、柚月は意識を手放していた。
それから柚月は救急車で運ばれて、なんとか一命をとりとめた。
だけど、体を強く打ったことによる麻痺で、体を自由に動かすことが難しくなった。
――搬送先の病院で。
“手術中”と光る赤いランプを見つめながら楓に言った。
「なんで柚月を振ったんだよ……」
「……好きなヤツがいるからだ」
緊迫とした空気の中、楓は静かに呟いた。
……好きなヤツ?
ふざけんなよ。
あれだけ柚月に期待させておいて。
俺の怒りとは裏腹に、涼しい顔して、ただ赤いランプを見つめる楓。
「好きなヤツって誰だよ?」
「……俺の幼なじみだ」
その表情は、嘘をついているようには見えなくて。
真剣な瞳で俺を見つめる楓から目を逸らせなかった。
「それ、柚月に言ったのか?」
楓はなにも言わずに頷く。
「お前、最低だな」
柚月が楓を好きなのは、とっくから知ってたくせに。
中途半端に優しくしてんじゃねぇよ。
「……だったらお前はなにが出来た?」
「あ?」
俺がそう答えた途端、楓が俺の胸倉を掴んだ。
「柚月に冷たく出来たのかよっ!」
……それ以上はなにも言えなかった。
柚月は生まれつき体が弱い。
そのため、小学校の頃から入退院を繰り返してた。
……医者に、長生きは出来ないと言われたらしい。
だけど、アイツは一言たりとも弱音を吐かず、いつだって笑顔だった。
いつか、柚月は言った。
――『死ぬまでに、一度だけ恋をしたい』
それを聞いた俺達はいつからか、柚月が“特別な存在”になっていた。
内心、同情も少しあったのだと思う。
だけど確かに、柚月に惹かれていた。
ずっと3人で一緒にいたのに。
柚月が選んだのは俺ではなく、楓だった。
柚月は楓と恋をしたいって望んだんだ。
だけど、柚月のその願いは叶わなかった。
泣くのも当然だろう。
“俺にしとけよ”って言ってやりたかった。
でも…言えなかった。
重い病を背負っているにも関わらず、今度は事故だなんて……
俺は人生のどん底に落ちた気分だった。
「……俺にはそんなこと出来なかった」
楓は俺のシャツを離して、深いため息をついた。
「同情だったんだよ……」
許せなかった。
同情だとしても、好きって言ってるような態度してたじゃねぇか。
「好きでもないなら、最初から突き放してやれよ……」
「お前にはそんなこと出来たのかよ?」
なにも言うことが出来なくて、俺は唇を噛み締めた。
……もし、楓の立場だったとしたら、
俺だって出来なかったと思う。