まるで、
チョコレートで出来た王子様みたい。
「旅行の時、お前のこと襲いに行くから」
「えっ…あ、うん」
チョコレートのことを考えていたから、いきなりの言葉に驚いた。
咄嗟に頷いたあたしを見て、楓は意地悪な笑みを浮かべた。
「ずいぶんと素直だな?」
「はっ、へ? ……な、なにが?」
あたし今、なんて言ったっけ……。
襲いに行くって言われて……
……ん? 襲いに、行く?
「あぁあああああっ!」
思わず素直に頷いちゃったんだ。
あたしってば、何してんのよぉおおおお!
バカバカ、大バカッ!
そんな素直に頷いたら、楓が本気になっちゃうじゃないっ!
「じゃ、楽しみにしてろよ?」
「は、はぁ!?」
……た、楽しみになんて出来ますか。
「あ、あのっ、それは……っ!」
ピーンポーンパーンポーン
無情にも昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴って、撤回出来なかった。
トホホ……
「じゃ、またな?」
楓はあたしの頭をポンポンと優しく叩くと、視聴覚室から出て行った。
「はぁ……」
楓に撤回出来なかったことに、ため息を吐く。
だけど、心のどこかで、期待してるあたしがいた。
山登りだけど、なんだかワクワクする。
『襲いに行くから』
楓がさっき言ってた言葉、本気なのかなぁ……。
高鳴る胸の鼓動をおさえながら、あたしは楓を思い出していた。
「こんなとこで何やってんだ?」
突然、後ろから声をかけられた。
……へっ?
だ、だだだ、誰?
「おい、穂香」
「うっぎぁあああっ!」
そこにいたのは……
「おまっ……なんつー声出してんだよ」
黒髪を掻きわける爽の姿だった。
「……そ、爽!?」
「よぉ。久しぶりだな?」
「うん。久しぶりだね」
なんだ。あたしに声をかけたのは爽だったんだ。
誰かと思ってびっくりしたよぉ。
相変わらず、楓と並ぶくらいカッコいい……。
「ところでお前、なんでこんなとこにいんだよ?」
「……えっ?」
ま、まさか「楓と一緒にいました」なんて言えないよね……。
楓との関係は秘密ってなってるワケだし……。
だけど、ひとりでいたって言うのも怪しすぎるし……
な、なんて言おう……?
「あ、あのね……」
「アイツといたのか?」
なんとか言い訳をしようと思ったら、爽がその言葉を遮った。
「えっ?」
「だから、楓といたのかよ?」
ど、どうして……
どうしてわかっちゃうのよぉ。
やっぱり爽も……
「……エスパーだ」
「……あ?」
……ヤ、ヤバッ。
思わず声に出しちゃった。
爽は眉をひそめて、あたしの顔を覗き込む。
「……エ、エスパニョールとか、外人でいそうじゃないっ?」
うわっ。
あたしってば、なに意味不明なこと言ってんのよぉおおおお!
……っていうか、
エスパニョールって誰っ!?
「……ぷ。お前って本当に面白いヤツだな」
「……えっ?」
ふと爽を見ると、爽はお腹を抱えて笑っている。
「誰だよ。エスパニョールって」
よ、よかったぁ……。
怪しまれてないみたい。
……ふぅ。
「あ、あははっ……」
「もう、昼休み終わるぞ? 帰ろうぜ」
「あ、うん」
そう言って、爽は先に視聴覚から出て行った。
――旅行当日。
「これからバスに乗り込むが、忘れ物はないかあ?」
グランドに先生の声が響く。
旅行、か。
楽しみだなぁ……。
晴天の空を見上げながらあたしは笑みを浮かべた。
ブーブーブー
すると突然、ポケットの中で携帯が震えた。
……ん?
誰だろう……。
あたしは携帯を取り出してディスプレーを覗いた。
【着信 爽】
……爽?
どうしてこんな時間に……?
爽のいるはずのC組を見渡したけどそこに爽はいない。
不思議に思いつつもあたしは電話を耳にあてた。
『なにニヤニヤしてんだよ』
第一の声は、そんな言葉。
……は、はい!?
な、なんであたしがニヤニヤしてたの知ってるわけ!?
「な、ななな、なんでわかるの!?」
そう言った瞬間、いきなり後ろからギュッと抱き締められた。
きゃああああああ!
だ、だだだ、誰!?
も、もしかして……楓?
……ううん、違う。
この香りは楓じゃない。
だって、抱き締められた時、ふわっと爽やかなシトラスの香りがしたから。
この香り、知ってる。
前にどこかで……
もしかして……
「びっくりした?」
………そ、爽?
この香り。
低いトーンの色っぽい声。
あたしの頭の中で全てが一致した。
「ぎゃあああああ!」
な、ななな、何てことしてんのよぉおお!
こんな人がいる中で…
………ん?
あぁあああああ!
学校のど真ん中で、あたしは爽に抱き締められている。
つまり……
「あの女、爽様と何やってんのよ!」
「なんて淫らなことするのっ!」
「最悪だわ!」
こういうことになる訳です……。
はぁあああああ。
あたし、旅行前からこんなに憂鬱になってどうするのよ……。
「ぷっ。もっと可愛らしい声だせよな」
他の生徒が騒いでいるのなんて気にしていない様子の爽は、あたしを抱き締めたまま話しかける。
爽の吐息が耳にかかって右耳が集中的に熱くなる。
「な、なな…何やってんのよっ!」
あたしは思いっきり爽を突き放した。
すると、爽は口端を上げてニヤリと笑った。
「抱き締めたんだけど?」
いや…そういうことを言いたいんじゃなくて……
「あのねぇ……」
「……こんな学校のど真ん中で何してんだよ?」
あたしの言葉を“誰か”が遮った。
えっ……?
「抱き合うなんて、お前ら朝から熱いな?」
ふわりと漂う甘い香りと挑発的な口調ですぐに誰だかわかった。
でも、なぜか後ろを振り向くことが出来なくて……
「だから、何か用?」
爽は冷たくそう告げて、あたしの後ろをずっと見つめていた。
爽のそんな姿は初めて見て。
――不意に彼に似ていると思った。
「……なんだ。お前の女か」
えっ……
な、何言ってるの……?
あたしはしばらく動くことが出来なかった。
呼吸すら忘れてその場に呆然と立ち尽くす。
楓……
今、なんて言ったの……?
“お前の女か”
冷たく言い放ったその言葉が頭の中で何度もリピートされる。
「お前、妬いてんだ?」
爽の言葉や表情、全てが挑発的に思えた。
あたしは、その場でふたりのやり取りを見つめることしか出来なかった。
「女取られてそんなに悲しいか?」
そんな言葉に楓は聞く耳も立てず、クールフェイスを崩さない。
「まあ。今度は俺の勝ちか?」
………今度は?
俺の勝ちってどういうこと?
「もう黙れよ」
楓は、今まで聞いたこともないような低い声でそう言った。
その表情からは、感情を読み取ることが出来なくて。
「……俺は、お前みたいな負け犬とは違うからな? ま、せいぜい頑張れよ」
……ま、負け犬?
楓も爽も、何のことを言ってるの?
「今度こそ絶対、お前には負けねぇよ」
爽はわざとらしい笑顔で楓にニッコリ微笑むと、何も言わずにあたしの頭をポンポンと優しく叩いて、バスの方へと向かっていった。
「……お前、どういうつもり?」
楓は爽の背中を見つめながら、そう呟いた。
その言葉は間違いなく、あたしに向けられているもので。
「……な、にが?」
なんて言っていいのかわからずなくて、思わずとぼけた。
……本当は楓が何を言いたいかわかってた。
だけど、わざと知らないふりをしてしまった。
「お前は、心の移り変わりが早いんだな?」
表情一つ変えず、真っ直ぐあたしを見つめる瞳を背けることは出来なかった。
「なっ…! ち、違うよっ、それは……」
「言い訳なんか聞きたくねぇよ」
否定しようとしたあたしの言葉を楓が遮った。
「楓……」
楓はあたしの話を聞こうともせず、背中を向けてバスに向かって歩きだした。
どうして……
どうして、こんなことになっちゃうの…?
楓は今、なにを思ってるの……?
複雑な気持ちを抱えながらあたしは楓の背中をずっと見つめていた。
「穂香…さっき、何かあった?」
今はバスの中。
隣に座るあーちゃんが、心配そうにあたしの顔を覗き込む。
あーちゃんに余計な心配はかけたくない。
あたしは無理に笑顔を作った。
「何でもないよ! 大丈夫!」
“大丈夫”
その言葉と無理に作った笑顔は、自分に言い聞かせてたんだと思う。
「そう? ならいいけど……」
きっと、あーちゃんはあたしのことをわかってる。
「何かあったら言ってね?」
だけど、それを根掘り葉掘り聞かないのがあーちゃんの優しさ。
あたしはその優しさに甘えることにした。
ごめんね…あーちゃん。
あーちゃんの笑顔を見ながら、心の中でそう呟いた。
「これから、各部屋で休憩だ。1時間後、またホールに集まるように」
――2時間後。
私達は、山奥の中にあるホテルに着いた。
大きなホールの窓からは、緑豊かな木々が顔を覗かせている。
先生のその言葉を合図に、みんなが一斉に動き出した。
「あたし達も行こっか?」
あーちゃんとあたしは、もちろん同じ部屋。
あたし達は部屋へ向かうため、エレベーターに乗り込もうとした。
……と、その時だった。