そして六歳の時に耳が聴こえなくなってしまいに、お母さんの暴力が始まって泣いても、おじいちゃんには来てくれないし、小さい私は我慢して演技をする事で選んだけど、それに9才の時に聾学校に転校していじめや体罰があってもつらくても私が言わなければ平和になれると思ったから。長期休みになると祖父母の所へ行って嬉しかったのはお母さんと居ても学校に居てもつまらないし寂しいし、我慢したから自分のご褒美の感じだったから。中学生になっても、暴力はまだ続いていて我慢しなきゃって思い、よい子に演じていた。でも高校に入ってからはそれが疲れてしまい不登校に入り、困らせてしまってごめんなさい。学校は頑張って行って何とか卒業し、資格を取りに職業訓練校へ行き、そこで寮生活へ入りました。休みになると車で迎えに来て、銭湯や旅行へ連れてってくれたから。多分私を元気づけにしてあげようとしたのでしょうか?車免許やパソコンや簿記の資格を取れた時にあなたが一番喜んでご褒美の焼肉店に連れてってくれたね。そして初めての恋で彼氏が出来た時におじいちゃんに紹介した時は複雑だったでしょう?でも今年その話があった時は中高生時代に恋の余裕がなくてずっと彼氏を紹介してくれるのを待っていたからと言ってくれた。結局三年で付き合って別れたけどね
でも二人目の彼氏とは六年続いているけど、ウェディングドレス姿あなたに見る事ができずに本当に後悔してしまいました。ごめんなさい。天国でずっと見守って下さいね
私を育てて頂いてありがとうございました。
おばあちゃんの事は私たち家族に任せてね。

孫より