あの日、預かっていた隣宛の小包を持って行くように母に言われ、響は503号室を訪ねた。

 隣の向坂さんのおばさんは近所でも評判の美人で、優しい人で、荷物を届けに行くといつも『ちょっと待っててね』と言って、美味しくて珍しいお菓子をくれた。

 だからきっと今日も何か良い事がある。

 響は少し期待しながらチャイムを押した。

 一度押して少し待った。

 気配がしたのに誰も出て来ないので、もう一度押そうとした時、ドアが静かに開いた。

「あの……隣の流石ですけど、これ――」

 荷物を差し出してドアの所に立っていた人物の顔を見た途端に、響は言葉を失った。

 ウサギのように真っ赤になった目。

 腫れた瞼。

 キュッと結んだ口元。

 その人は、たった今まで泣いていたに違いなかった。

 それは中学校一年生の響にも、何かあったに違いないと理解できるほど悲しい瞳だった。

 それが記憶の中にある隣の向坂さんのお兄さん―― 千聖。

「向坂さんの御主人と奥さん、亡くなったそうよ。船の事故ですって」

「遺体は見付からないんだけど、乗船名簿に名前があったらしいわ」

「じゃあ千聖君、独りぼっちになっちゃったの?だってあちらの御両親、どちらも親戚がないって聞いた事あるわよ」

「可哀想に。いくらしっかりしてるからって言っても、高校生じゃまだ子供なのにね」

「これからどうするのかしら。たった一人で」

 千聖の涙の理由を響が知ったのは、翌日になってから。

 近所の人の噂話を聞いた時だった。

 通夜と葬儀はマンションの集会場で、向坂家と親交のあった家の人達の手によって質素に行われた。

 勿論、隣だった響の家族もそれに携わった。

 響は『おまえも世話になったのだから』と言う父の一言で、集会場の入り口で弔問に訪れる人達を出迎えるという手伝いを与えられた。