「そうだ……行かなきゃ……行かなきゃな。未央」

「行く?何処へ行くんだね?避難用のボートはもう使えないよ」

 千聖の言葉を耳にして、神部は笑った。

 右脚を引き摺り床に真っ赤な線を描きながら、それでも神部は歩き続ける。

 相変わらず狂気に満ちた目は、千聖だけを捉えていた。

「この真冬の海に飛び込むか?……見物だな」

「大丈夫だ。俺にはじいちゃんのくれた遺産がある」

 千聖は神部に向かって言い返すと、未央を廊下へと押し出した。

「未央、先に行って待っててくれ」

「え?千聖は?千聖も一緒じゃないの?」

 大きな瞳で見上げる未央に、静かに告げる。

「俺は神部に話しがある。必ず行くから。大丈夫、話すだけだから」

 未央は暫く千聖の目を見つめてから、肯いた。

「分かった。待ってるから。私、待ってるから必ず来てね」

 直ぐに階段へ向かう。

 その小さな背中を見送り、向き直った千聖に神部が言葉を投げる。

「彼女を先に行かせてまで、私に話しとは何だね?おまえはここで死ねと言いたかったか?」

「いや、その逆だ」

 その答えに、神部は怪訝な顔をした。

「神部。あんたも早く逃げろ。脱出方法は考えてあるんだろ?だったら――」

「何故そんな事を?君は自分が何を言っているか、分かっているのかね?私は君の大切な人を三人も殺したのだよ?それとも、こんな状況で正常な判断が出来なくなったか?」

 千聖は少しも表情を変えずに、真っ直ぐに神部を見ていた。

「俺は正気だ。そして、例えあんたが何人もの人を殺した殺人鬼でも、人間である以上放ってはおけない」

 何処から忍び寄って来たのか、煙りが足元を這い始めている。

 タイムリミットが近い証だ。