「それに、その時間なら人目を気にしなくていい。思う存分ミアを抱きしめられる。愛してあげられる」
嫌か?と聞くケイに首を横に振るミアだが相変わらず不安げな顔だ。
「本当は違って、ケイが呪われたらどうしよう?きっと呪いを解く方法なんて無いわ」
「大丈夫だよ。それより天使になれるんだ。呪われることなんて怖くないさ」
そう言って笑顔を見せるケイに覚悟を決めるミア。
「わかったわ。じゃあ、何度も私を抱きしめてくれる?沢山キスしてくれる?」
「当たり前じゃないか。今までだって何度そうしたいと思った事か」
笑顔を見せる二人は、抱きしめたい、抱き合いたいと感情が先走るのがわかっていた。
だが今抱き合うとなにもかもが壊れてしまう。もう少しの辛抱だと双方が言い聞かせていた。
‡‡‡‡‡‡
「愛してるよ、ミア」
「私もよ、ケイ」
何度も何度もキスをして、何度も抱き合いお互いの存在を確かめ合う。
髪に触れ、頬に触れ、首筋にキスをする。どれほどの時間こうしていただろうか。
今まで触れることの出来なかった時間を凝縮するかのように触れ合い、暖かい眼差しで見つめ合う。
そして結ばれた。一体どれほど昔からこの時を夢見ていただろう。
どれほどの間堪え続けて来ただろう。
幸せに浸る中、ケイの羽根が眩しいほどに光り輝いた。
しかし…。
彼の羽根は天使のそれとは明らかに違っていた。
「黒い…。何故だ?何故黒いままだ?こんなにもミアを愛してこんなにもミアに愛をもらったのに、天使の羽根にはなったが…何故黒いままなんだ?!」
幾度となく羽根を引き寄せ少しでも白い部分がないか確かめる。
だが、どこもかしこも黒く染まっている。
ケイの羽根が輝いたことで、数人の天使や悪魔が目を覚ましてしまった。何事かと近付いて来た彼等に気付くこともなく愕然とし続けるケイをミアはただ寄り添い見守るしかなかった。
‡‡‡‡‡‡
天使と悪魔双方から非難の声が上がることに何の疑いもなかったが、よもや悪魔界から追放されるとは思ってもいなかった。
「悪魔の羽根を持たないお前は我々の仲間ではない」
天使界からもあなたは天使ではないと拒絶された。
ミアはこれ以上悪魔と関わるなと強制的に連れ去られてしまった。
ただ一人で幾年もの間を、狭間で過ごすしかなかった。食欲も無くなり食べ物を口にしなくなってからどれ程の時が過ぎたかも判らない。
時たまケイの母親が様子を見に来たがなにかをケイに与えることは許されていなかった。
「ケイ。ものを食べなくなってどれくらい経っていると思う?」
母親の言葉に返事をする気もない。軽く首を降って終わった。
「もう五十年近くなるのよ。それなのにあなたは生きている。あなたは呪われたのよ、ケイ。あの女にあなたは呪われたのよ!」
「ミアを悪くいうのはやめろ!」
「だってあなたは死ねないのよ!あの女のせいでっ!何千年も何億年も!あなたは一人で生き続けなければいけないのよっ!」
発狂する母親に何も言えないケイ。軽くしか考えていなかった。天使になることが呪いだと思い込んでいた。自分の都合のよい方向にしか考えていなかったのだ。
今思えばそんな訳がない。
悪魔が天使になれるわけがないのだ。
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‡‡‡‡‡‡
それからまた幾年も過ぎたある日。逃げるようにケイの元に来たミアが叫ぶ。
「呪いを解く方法が一つだけあるわ!」
と。
しかしその場にはケイの母親が人目をはばかりたどり着いたところだった。
当たり前のように母親よりもミアを選ぶケイ。その光景を見て激怒した母親。
「そうやってまたケイを呪いにかけようとしているのか!?生き地獄でも味合わせるつもりか!?」
『殺してやる!』と叫ぶが早いかミアを掴み地上へと勢いよく落ちていった。
後を追い掛けるが、ケイの見た光景は塵へと還る母親と、虫の息のミアだった。
「ケイ、聞いて。私のお腹に赤ちゃんがいるの。私とあなたの子供。この子に殺してもらう。これがあなたが呪いから開放されるただ一つの方法」
うっすらと開いた瞳にケイの姿が映っているのかどうかも定かではない。その方法を知ったとして、瀕死のミアが子供を産めるわけがない。
ましてや何年も経っているのにまだ産まれていない子供。どこに希望があると言うのか。
「ケイ、お願い。私を信じて。人間の体を借りてこの子を育てるわ。
ただでさえ成長が遅いのに人間の体の中だと余計に時間がかかると思うの。
それでも魂だけになっても、必ずこの子を育ててあなたに会いに行くわ。約束よ…」
一通り喋り終えると体の力を抜き、小さな光となって消えた。
その日からケイは孤独と戦い続けたのだ。
ミアは人間の体に入りその人間に子供を産ませる。
ミアの子供は産まれて来た人間の子供の体内で少しずつ成長して行き、ミアを体内に入れている母親は時が来ると天使の自然の力に堪えられなくなり死ぬ。
それをきっかけにミアもまた子供の体内へと移動していく。
そしてまたその子供が生まれた時、みあの子供は人間の子供の中で成長していく。
何年も、何千年も続けて来たのだ。
子供が無事に生まれるために。ケイの呪いを解くために。再びケイの前に姿を見せるために…。
「それって…絵美ちゃんに人殺しになれって言うこと?!」
発狂とも呼べる程の甲高い声を出して薫が叫んだ。絵美の表情は変わらない。絵美が内心どう思っているのか、薫には到底解るわけがないのだ。
「俺は死にたい。
何千年も生きて来て、世の中を見て廻って。人が死ぬと哀しむものがいる。
人が生まれると喜ぶものもいる。俺は死ねない。
死んでも哀しむものもいない。
ミアに一目会って子供に殺してもらう、このためだけに生きて来たんだ。俺の生きる希望は死ぬことなんだよ」
ケイにははっきりと、寂しげな表情をする絵美が見えていた。しかし、それ以外生きる希望など無かったのだ。
『あたしはそんなこと出来ない…』
当たり前の台詞を吐く絵美。
リビングへ移動して来ていた三人は、じりじりと室内を照らす太陽の光を浴びながら少し汗ばんでいた。
ケイは向かい側に座る二人を虚に見てから、腕を枕にテーブルに突っ伏した。
「そうだよなぁ…。普通はそんなこと出来ないよな…」
少しくぐもった声が聞こえた。
「結局はあなたたちの恋愛沙汰に巻き込まれただけだったのね」
薫が宙を見て呟く。
「すまない。全ては俺の我が儘から始まったんだ。俺のせいなんだ…」
薫のほうを見て喋るが、薫は宙を見たまま視線を合わせるそぶりは見えない。
だが、ふっと諦めたような笑顔を見せた。
「でも、何千年も前のお話。今更何か言ったって変わる訳じゃないし、絵美ちゃんもいるし、そのうち開放されるでしょう…」
お茶でも煎れてくるわ、と呟いて席を立った。
『あたしは何をすればいいの?他の天使を開放する方法なんて知らない…』
ふて腐れたように椅子に浅く座ったまま、背もたれに体重をかける。
「まだ産まれて来ていないからわからないだけだよ。そればっかりは俺は解らないんだ」
席を立ち、絵美の後ろへ回る。
「ミア…生きてるなら教えてくれ。俺達の子供はいつ産まれるんだ…?」
絵美の頭をポフポフと何度か叩く。ふと見ると、絵美の羽根の先端が静電気で動くように、ケイの羽根に向かって伸びている。
「お前、何羽根で遊んでるんだ?」
お茶を持ってきた薫も、まじまじと羽根の先端を見ている。
『羽根?あたし何もしてないよ?』
自分の羽根をさわさわと触る。
「俺か?俺の力が必要なのか?」
疑問に満ちた口調で絵美の羽根に触れ、自分の力を注いだ。
瞬間的にまばゆい光を発して元に戻った。
「あれ?目が見える。あれ?あたし喋ってる」
室内をあちこち眺めていると、薫が抱き着いて来た。
「絵美ちゃん!表情も戻ってるわ!よかった!よかったね!」
目を潤ませたまましきりに絵美の体を撫でながら抱きしめ続ける。
ケイは向かい側の席に座り直した。
「産まれて来てくれてありがとう」
しっかりと絵美の目を見て言った。
「父上」
そう言ってから自分の台詞に首を傾げる絵美。
「父上?」
自分の台詞を復唱する。
「人間の記憶と、天使の自分と、混ざってるんだろう」
そう言って微笑むケイ。
「生まれて来た子供に名前を付けてやらないとな」
そう言うケイに二人は首を振る。
「あたしの名前は絵美だもん」
言い張る絵美に、そうだなと微笑むケイ。
「父上!」
満面の笑顔で絵美はいきなり立ち上がった。薫はよろけながらも椅子に座り直す。
「あたし、全部判った。薫さん達を天使から開放する方法も、父上を殺す方法も」
笑顔のまま喋る絵美に、怪訝な顔をする薫。確かに自分の父親を殺すと笑顔で言えるものではない。
「薫さん、大丈夫。あたし、全部判った」
変わらず満面の笑顔で言う絵美に、引き攣りながら笑顔を返すしかなかった。
「父上。母上はまだあたしの中で生きてる」
ケイに向かって笑顔を見せる。数秒の無言の後、ケイは少しだけ目を潤ませた。
「本当か?本当なのか?」
絵美に食ってかかりそうな程身を乗り出して言う。
「うん。でもすごく弱ってる。人間の中で少しずつ体力を回復していって、一時は元気な体に戻ったけど、これだけ長い年月が過ぎて、本当はもう寿命で死んでる。
だけど、父上に会う約束を果たすために、あたしの体力を使って生きながらえていたの。
本当はあたしも既に生まれて来ていた。だけど、母上に力をあげていたから成長がすごく遅くなってたの。
父上が力をくれなかったら、もっともっと長い時間成長するのに時間がかかっていたわ」
最後にありがとうと付け加える。
「ミアには、ミアにはいつ会えるんだ?」
興奮気味のケイに、絵美は落ち着いた表情で答える。
「すぐ会えるわ。でも光だけの体になってしまっているから、会えても数秒で消えてしまうと思う」
切ない顔をする絵美と反対に、切ないながらも笑顔で答えるケイ。
「いいんだ。もう会えないと思っていたんだし、一目見れればそれだけで幸せだよ」
絵美はその言葉を聞くと、柔らかい笑顔を作る。
「あたしの今の力じゃ母上を戻すことが出来ない。完全な天使じゃないから。」
そこまで言うと薫に向き直す。
「だから、世界中に居る天使の力を吸い取らないと」
そう言って笑顔を作る。
「それって、私、天使じゃなくなるってこと?人間に戻れるってこと?」
興奮気味に喋る薫に数回笑顔で頷く。
「あたしが完全な天使になるためにも、天使の存在は必要だったの。
いつ産まれるのかが判らなかったから、天使を絶やすことが出来なかった。
結婚して結ばれてしまうと、天使の力が薄まってしまう。
最初は母上の力を人間の体に少しずつ分けていって、あたしが成長してくると、あたしの力を少しずつ分けていったの。
だから今存在する天使の殆どはあたしの力で天使になってしまった人。それをあたしの体に戻すの。それもこれも全部父上の我が儘のせい。怨むなら父上を怨んでね」
そう言ってニッコリと笑う絵美に、同じく笑顔で首を横に振る薫。
「さっきも言ったけど、もう何千年も昔の話。それに普通の人間に戻れるならそんなこと、許しちゃうわよ」
待ち遠しいと言わんばかりに笑顔で絵美を見つめる。
「羽根が無くなると、父上の姿も母上の姿も見えなくなる。見たいなら、あたしの体に触れていてね」
薫が絵美の腕を掴むのを確認すると、目を閉じ、両手を重ねて胸の上に置く。数秒も経たないうちに、絵美の羽根が今まで以上に眩しく輝き出した。
続いて髪の毛が。そして体全体が。
まばゆい、けれどもとても綺麗な光に包まれている絵美の髪が見る間に金色に変わっていく。見とれていた薫は自分の羽根が既に無くなっていることに気付いていない。
光に包まれ続ける絵美は、ゆっくりと目を開ける。
いや、包まれているのではない。彼女が輝いているのだ。これが天使。まばゆいばかりに輝き、髪は黄金色で何とも優しい表情で佇んでいる。あまりの神々しさに薫は掴んでいる腕を離しそうになった程だ。
「綺麗だよ、エミ。俺がなりたかった天使に久しぶりに会えたよ」
薫は少しだけ天使になりたい悪魔の気持ちが判った気がした。
続けて背中から大きな光が立ち上る。それは人の形になり、天使の姿を現した。
「ミア!」
ケイが恥ずかしげもなくボロボロと涙を流す。
一目散にケイの元へと移動する光り輝く天使。彼女がミアだ。絵美と同じ様に柔らかい表情でケイを見つめる。
ケイの腕が通り抜ける体。実体がない故の悲しい現実。しかし、二人はそんなことに動じていない。触れることが出来ているかのように抱き合い、小さくキスをした。
ケイの視界に写るミアが、どんどん輝きを失っていく。しかし、笑顔を失うことのない二人。二人の愛情が伝わってくる。
目に焼き付けるように、瞬きをすることも惜しみ、ただただ抱き合い、見つめる。
ミアの姿が消えてしまうその瞬間まで二人は愛し合っていたのだ。