昔から姉ちゃんに秘密にしてきたことがある。

それを知ったら、きっとそんなに心配しなくていいよって強がって笑うと思ったから。


恋愛体質な姉ちゃんは、妄想して暴走するとこもあるけど。

相手に尽くして一途に想い続ける健気な部分だってある。


フラれる度に傷付く姉ちゃんを近くで見てきたせいか、オレがしっかりしなきゃとか。

オレが守ってあげなくちゃ、って思うようになった。



彼氏を家に連れてくると、大体連絡先を教えてもらってた。

歴代彼氏のアドレスは、ほとんど把握してる。


姉ちゃんも子供じゃないんだし、

もうそろそろこういうことを卒業しないと……って思ってた矢先のことだった。




「姉ちゃんに元気がないんだけど……、原因はアンタだろ?」

深く踏み込む気もないし、ましてオレがどうにか出来るとも思ってない。

公園にアイツを呼び出した。



橘恭一、姉ちゃんの彼氏だ。



「ああ……オレのせい、だよ」

整った顔が、微かに歪む。




「何があったかは知らないけど……」

――姉ちゃん強がってるように見えて本当は弱いんだからさ。



「……」

アイツの表情が、変わる。

オレンジかがり始めた空に、瞳を細めて。

懐かしいものでも見ている表情はきっと姉ちゃんのことを思い出してるんだと分かった。



「大切にしてやってよ」

ただ、それだけだった。


最初から、“そういう”考えだったのか。

オレの言葉がそうさせたのか。


まさか別れる、なんて……1ミリも予想出来なかった。





「ごめん、オレ」

スプーンに乗せた一口分のかき氷が溶け始める。

はちみつみたいな優しい色に。



「もう……終わったことだから」

ハルは悪くないよ。

だってあたしを思ってしてくれたんでしょ?


「今日だっててっきり、アイツと……」

「初カノとね、ヨリ戻したんだ」

――ハルも初めての彼女は大切にしなね。


それだけ告げると、マックの分を合わせたお代をテーブルに置く。



「先帰ってるからハルはゆっくりしてって」

かき氷を半分も食べ終わらないまま、お店を出た。



ハルがあんなに心配性になってしまったのは、完全にあたしのせいだ。

もう、心配かけないようにしなきゃ。




心配、かけたくない、のに……。


過去にしようと必死にもがいているのに。

こんなに苦しくて、早く楽になれたらって。


ポケットに入ったままの琥珀の月がそれを必死に押し止めてる。



「行くんじゃなかった……」

もうあの場所は、あたしの場所じゃないのに。

行かなかったのなら、彼にも会わなかったしこんなものも拾わなかった。


光の粒を振りまく河原を見つめ、小さな決心を固める。

月が潰れてしまいそうな程に、手に力を込める。




「どうして……っ、」

どうして……な、の……っ。


あたしの手の中から抜け出すことのない月。

これを投げて、すべてを投げ出してしまえば楽になれるかも、なんて。



「…ふっ……」

川に捨てる、なんてあたしにはやっぱり出来なかったんだ――。







――ザァァッ……


「今日は雨、か……」

寝起きの重たい頭を抱えて、薄暗い光が透けたカーテンを開ける。



夏休み、最後の日。

新しく出来た彼氏と、海にお祭りお家デート。

そんなことをいっぱい夢見てた、入学当初のあたし。

燃え上がった恋は一瞬、で。


周りなんか見えなくなる程好きになって。

こんなにも、あっけない。



あれから空也からの返信はなく、少しヘコんだままのあたし。

きっと、あたしのことなんて許せないハズだよね。


もし自分が彼に誤解されたまま、一方的にフラれてしまったら。

……やっぱり傷付くもん。



「本当、何やってんだろ……」

何で今さら彼のデータを登録してメールなんか送って。

あたしの顔なんて、きっと見たくないはず。


どうかしてた……、そう思って、彼のデータを削除しようと枕元のケータイを手に取る。



「……あ、れ?」

チカチカとピンク色の光を放つのは、メールが届いている知らせ。


ケータイを開くと「新着メール1件」と、お決まりの文字。




キナか比奈かな……?

最後にどこか行こう、とか?


でも、待って。

キナは旅行、比奈は彼とデートのはずじゃ――?

平穏だった波がにわかに荒れるように、ざわつき始めた胸の鼓動。

嵐の前触れ、予感。


胸騒ぎを覚えながら。


――ためらいがちに、ボタンの上の親指に力を込めた。






「おはよ~」
「夏休みどうだった?」

「彼氏とお泊まりだったんでしょー?」
「えへへ……」


夏休みが明けた教室、女の子たちの弾む会話。

いつもより盛り上がるテンションをあたしは少し遠くから見守る。



……いいなぁ。

あの会話に混ざることを期待していた夏休み前。

それも、あっという間に終わってしまった。


部屋の隅に置かれた枯れた花に、やり残した宿題、溶けたアイス。



「いつまでも夏休み気分でいるなよ~」

先生が話す続きの言葉も頭に入らないまま、青が僅かに濃くなった空を見上げた。


――秋は、もうすぐそこ。

茹だるような暑さは、少しずつ姿を変え……肌を撫でる風を冷たくしていく。





「げぇ……っ、マラソン?」

少し離れた席で、あからさまに嫌がる比奈の声が聞こえる。


「え、何?」

いそいそと比奈の席へ近付くと


「ここにも聞いてないヤツが1名」

と、キナがあきれ気味にポツリ。


あたしはいつものことだけど、どうやら比奈も聞き逃したみたい。


今日から秋のマラソン大会へ向けて体育で練習が始まるのだ。


「1時間目からかぁ……」

テンションガタ落ち。

ま、この季節に外に出るのは嫌いじゃない。

あたしは夏の終わりから秋へと移り変わる“この瞬間”が好きなのだから。


「夏の間にたるんだ体をシェイプアップよっ!」

と、はりきるあたしにふたりが笑ってくれる。

走ってる間は、くよくよと余計なことも考えなくて済むし。




【From:空也】

ずっと返事しなくてごめん。

直接会えないかな?
会って
言いたいこともあるし。



---END---



空也への、返事も。





「「キナ、早い……」」

「アンタ達が遅いのよっ!」


みるみる遠くなるキナの背中に、比奈とふたりで声をかけると、どこか楽しそうなキナ。



「運動好きだから……」
「走るのが好きなのよ」

既に上がり始めた息で精一杯返事をする。



「先、行って……っ、いいから」

あたしと比奈との距離も離れ始め気遣って、ペースを合わせていたら苦しそうに比奈は言った。



「分かった」

それぞれ、自分のペースで地面を蹴り出す。


――あ、なんか気持ちいい。



空也のこと、どうしよう。

直接話したいって、やっぱりずっと溜まっていたうっぷんを放つ為だよね。

あたしだって、きっとそう考えちゃうもん。

誤解が解けた今、冷静になれなかったあの頃の自分が恥ずかしくて……何より情けない。


それを今まで黙っていたのは、相当キツいよね。

誤解されたままじゃ嫌だから、時間がかかっても解こうとした。


あたしの怒りが引くのを待ったのと、神様が引き合わせた偶然。




「ぐう、ぜん……」

だとしたらなぜ、“偶然”コンビニであたしと会った時。

あの時なぜ彼は、“偶然”にも、誤解を解く妹の学生証のコピーを持っていたんだろう。




最近ご無沙汰だった女探偵の血がにわかに疼く。


本当に偶然だったの――?

両親の都合でこっちに引っ越して来たって――?



あたし的、理論でいけば元カレと会うのはモチロンNG。

新しい恋に踏み込むには、彼を忘れ過去にするという代償を伴うもの。


過去には出来た、けれど。

……でも。


今度こそ、あなたの方から終止符を、と願ってしまったけど。


直接会ってしまっていいの……?


彼が望んでいるのなら、あの時の罪を償う意味で“会うべき”と判断する自分と。


妙な胸騒ぎがまだ、静まらない。

何かが起こる、“会ってはダメ”と、どこか怯える自分。


このマラソンの練習が終われば、自然と決まるはず。


雲ひとつない空に上がった息を目一杯吐き出しながら。

あたしはただ、ひたすら走った。




外周を終え、校内のトラックに着いた頃。

あたしの視線は自然と教室の窓へと向けられる。




真っ直ぐ前に固定された、生徒たちの横顔。

その中に、何気に見つけてしまった――とある教室。


……ううん、何気にじゃない。


今でも続く、悲しいあたしの癖。


彼の教室。




「はぁ……っ、」

上がる息に、走ることに集中しようと無理やり視線を空へと追いやる。

見ちゃ、ダメ――。


彼にとっても、彼女にとっても迷惑だし。


マラソンの練習は、他の組と合同で行われているのだ。

その中に3組もいて、走り始めるタイミングを先生たちが微妙にズラした為。


彼女は、……胡桃ちゃんは。


直接後ろを振り向いて確認する勇気はないけど、多分後ろの方を走ってるはず。



比奈辺りかな――?


トラックが残り1周に迫った時。


嫌でも目の前に校舎が見える。

空に向けていた視線を、今度は、ストンと地面に落とした。


あと、もうちょっと……。



空也には、直接会う。

それが今のあたしに出来ること。


あの時の償い。


もう、あたしの心はこの時既に、決まっていた――。



ふと、……ジリジリした視線を感じる。

最初は、勘違いだと思っていたのに。


視界の隅に並んだ生徒たちの横顔の中。

何か違和感を感じる。


……あ、その中のひとつだけが、“誰か”がこっちを見てるんだ。