いつの間にか手が止まっていたらしく、あまりに静かな部屋に気づいて翠玉は溜息をついた。薄曇の昼下がり、庭に面した扉を一杯に開けていると柔らかな風が時折頬をくすぐる。

 手にしていたのは、音箱が真円な事から月琴(げっきん)と呼ばれる異国渡りの弦楽器だった。

 外出が容易に叶わない身なので、六天楼(ここ)での生活は結局いかに暇を潰せるかに懸かっている。幸いに翠玉は学芸に興味があったので、側妾時代から戴剋に望んで与えてもらった楽器や道具などで退屈を覚える事は少ない。

 今弾いていたこの月琴も、故郷の地歌が得意だと言ったら彼が買い与えてくれたものだ。

 だから溜息の理由は、退屈などではない。

「奥方様」

 いつもと違い改まった紗甫の声がして、彼女はびくりと身構えた。

──来たわね。

 側仕えの少女は、普段ならば自分を「翠玉様」と親しげに呼ぶ。表立っての呼称を口にするのは、他に第三者が居合わせる時のみだ。しかも様子からして礼儀に気をつけなければならない相手らしい。

 となれば、おおよそ相手の察しはつくというもの。

「槐苑(かいえん)様がお見えになりました」

 房の入り口、開け放たれた格子戸脇に控えた紗甫は、主の表情を読み取ってかこちらにほんの一瞬だけ苦笑を向けた。

「……お通しして」

 内心断りたい気持ちで一杯だったが、相手が相手だけにそうもいかない。もっとも、「だからこそ断りたい」というのが正直なところなのだが──

 紗甫が廊下を振り返るのを待たずして、質素ながらも隙のない身形をした老婆が「失礼致します」と房内に入って来た。