小さく舌打ちした僕は、壁の方に向き直って寝直そうとしたが、夢の中の少女と杏子の顔が現れては消え、消えては現れて、結局眠りについたのは明け方になってからだった。


五時半に目覚ましが鳴り始めた。手探りで時計を止め、眠い目をなんとか半分こじ開けて雅人を探すが、足元に転がっているはずの雅人が見当たらない。二日酔いの頭を持ち上げて水を飲もうと立ち上がると、ソファーの上に一枚の紙が置いてあった。

「今日は朝からバイト。シャワー借りた。ラーメン勝手に食った。出世払いで。」

「何が出世払いだ。」

僕は紙を丸めて放り投げ、ジャージに着替えた。
 音楽が好きな雅人は居酒屋のバイトと合わせて、時々ライブ会場の整備のバイトをしている。僕も一緒に一、二回やったことがあったが、あれは凄まじかった。熱狂的なファンは平気で僕らを踏み倒して行く。そう言えば今日は夏の大きなイベントがあるって張り切っていたっけ。一方僕は、去年まで塾の講師とコンビニ、二つのバイトを掛け持ちしていたのだが、今年に入ってコンビニのバイト一本にした。時給は千二百円で夜十時から朝五時まで。これを普段は週二回だから月に七万くらいになる。家賃は三万五千円だからギリギリアウトだけど、夏休みとかはほぼ毎日シフトに入れてもらうから、その貯金を切り崩してなんとか回している。
 二日酔いの朝のジョギングはやっぱりかなり辛い。今日は暑さも重なって、途中で吐いてしまった。いつもより三十分ほど遅れて公園に着くと、そこに彼女の姿はなかった。またどこかに隠れているのかと、キョロキョロ辺りを見回してみたが、それらしい姿は見つからない。ミネラルウォーターを買ってしばらくベンチで待ったが、一向に姿が見えないので、諦めて帰ることにした。

(好きになったのか?)

昨日の雅人の言葉が不意に頭を掠めた。

「まさか。」

僕は頭をブンブン横に振って、再び走り出した。ところが、その日を境に彼女は僕の前に姿を現さなくなった。そしてもう一つ。その日から僕は再びあの夢を毎日見るようになった。