耳を疑った。絶対にそんなことにはならないと思っていたから。

「私ね、隼くんと恋人になったの」

思考が真っ黒に染まりかかったけれど、あいりちゃんの今までと変わりないおっとりとした雰囲気に正気を呼び戻された。後ろめたさのない澄んだ瞳。きっとこの子は恋人の本当の意味をまだ知らない。
週が明けるなり、この報告。休みの間に二人に何があったのか探ってみれば、つたない言葉からでもおおよそのことは把握できた。あの男に丸め込まれたのだ。

油断していた。旅行を反対されたと連絡が来たとき、私は事態を重く受け止めなかった。よく話題に出てくる保護者の方が、あいりちゃんに規律正しく接しているようだったから、はじめからそうなる予感はあったのだ。旅行は駄目でも、夏休みになれば近場で花火大会やイベントもあるのだから、できる範囲で遊びましょう――そうメッセージを返しただけで、私はこの話を終わらせてしまった。まさか、あいりちゃんが泣き暮れるほど落ち込んでいたなんて。思い返せば、あんなに嬉しそうに旅行雑誌を見ていた。もっと、ちゃんと話を聞いてあげるべきだった。

今日のあいりちゃんは、どこかぼんやりとしていて元気がない。旅行が駄目になったショックを引きずっているのか、昨夜あったらしい一悶着のせいなのか、いずれにせよ恋人ができたばかりの女の子の顔じゃない。それだけ秋山との関係の変化に関心がないということだ。秋山だって、毛色の違う女の子に興味をひかれて遊んでいるだけ。
思いの通じ合わない恋人なんて、今は良くても、いつかその歪みに気づく。浅い傷で済むうちに、何とかしてあげたい。

「あいりちゃんは、本当に秋山のことが好きなの?」

焦って馬鹿な質問をした。好きかどうかなんて、純粋なこの子の答えは決まっている。

「好きだよ。隼くんも、私のこと好きって言ってくれたんだ」

違う。あいりちゃんと秋山の好きは種類が違う。でも、その違いを説明するのは難しい。ちゃんと説明できたとしても、それであいりちゃんは苦しむことになるだろう。そんな姿は見たくない。知ってしまえば背負うものが増える。知らなかった痛みを強いられる。そのつらさを、私は嫌というほど知っている。

あいりちゃんは、良い子だ。できるだけ傷つけたくないし、正しい恋をしてほしい。ただ、ここで私が反対してもあいりちゃんを混乱させるだけだ。説得するのなら秋山にさせた方がいい。口車に乗せた張本人なら、優しく降ろしてあげるのも容易いはず。
ひとまず私は現状を受け入れた。

「そっか。おめでとう。でも、なにかあったら、すぐに言ってね。ひとりで抱え込んじゃ駄目よ」

念を押すために、あいりちゃんの手を取る。私と違って柔らかい、女の子らしい小さな手。庇護欲と、少しの嫉妬をあおるこの手に、秋山はもう触れたのだろうか。