靴箱で、あいりちゃんを待つ。なんのためって、もちろん一緒に帰るため。
手のケガが跡形もなくすっかり治って、保健室に行く口実はなくなってしまった。放課後は、書道クラブをやってる遠野に邪魔をされず、あいりちゃんとふたりきりで話せる絶好のチャンス。これを逃す手はないよね。

委員会の仕事って、どれくらいかかるのかなぁ。ぼんやりと壁にもたれていると、いろんな音が聞こえてくる。案外退屈しないでいられるもんだ。
運動部のウォーミングアップの掛け声がやんで本格的な練習メニューがはじまるころ、あいりちゃんはやってきた。目を丸くしてる。俺が待ってるなんて思ってなかったよね。

「あれ?秋山く……じゃなくて、えっと、隼くん」

恥ずかしそうに言い直してくれて、思わず頬がゆるむ。

「お疲れさま。ねぇ、一緒に帰ってもいい?」

「う、うん。いいけど」

「やった。あいりちゃんのお家ってどこ?」

聞いて驚いた。教えてくれたのは、このあたりじゃ有名な高級マンション。そういえば有名人一家だもんね。あそこなら住んでるのがバレたってセキュリティ万全だから部外者は簡単に近づけない。
でも、ちょうどよかった。俺の家も同じ方向にある。

「じゃあ、行こっか」

歩き出すと、どうしてもオレの後ろをついて来ようとするから、無理に隣に体をよせた。

「並んで歩こうよ。俺たち友だちでしょ」

そう言うと、ためらいのあったあいりちゃんの表情がパッと明るくなる。ちょっとわかってきたかも、この子のこと。


あいりちゃんのマンションまでは徒歩で三十分くらい。小柄なあいりちゃんの歩幅に合わせてゆっくりと歩いていく。

「いつも一人で帰ってるの?」

「うん」

「兄妹で一緒に帰ったりはしないんだ」

「一緒に帰ったこと……そういえば、一度もないかも」

「一度も?」

「かなではお仕事があるから、いつもお母さんが車で送り迎えしてたんだ」

それってどうなの。仕方ないのはわかるけど。お母さんが忙しい王子につきっきりだったってことは、あいりちゃんはもしかしてほったらかしにされてた?いや、過去形じゃない。ご両親が海外に移住してしまったのなら、まさに今もほったらかしじゃないか。

「さびしくないの?」

つい、ぼんやりとした質問をしてしまった。あいりちゃんが、こてんと首をかしげる。

「帰り道くらい、かなでと一緒じゃなくても平気だよ?」

「いや、その、ご家族がいそがしそうだから、あいりちゃんはひとりでさびしくないのかなって」

「あぁ、大丈夫だよ。駿河くんがいるから」

急に、あいりちゃんがとびきりの笑顔になって、俺は目を見開いた。

「駿河君?」

「うん。丈司お兄ちゃん……あ、私とかなでのお兄ちゃんのね、同級生でね。お隣さんだったの」

新たな登場人物。駿河君と丈司お兄ちゃん。
丈司お兄ちゃんのほうは分かる。子役をやってたんだよね。ネットかなにかで昔の画像を見て、かわいいけど王子とはあんまり似てないなって思ったことがある。たしか俺らより結構な年上だったはず。

で、あいりちゃんをこんなにご機嫌にしてしまう駿河君とは、いったい。
たずねる前に、あいりちゃんは自らしゃべりだした。
駿河君が、いかに素晴らしい人で、過去から現在に至るまでどれだけあいりちゃんを支えているのか。
ほんのり頬を赤くして、ふわふわと教えてくれるそれを、俺はあいづちを打ちながら聞いて、聞いて、ひたすら聞いた。


話は尽きないようだったけど、気づけばマンションに着いていた。

「ありがとう。一緒に帰るの、楽しかった。隼くんも気をつけて帰ってね」

「うん。また明日ね」

一点のくもりもなくピカピカのそびえ立つマンションに消えていく小さな背中を見送ってから、俺は深く息を吸って、吐いた。

ちょっと待って。今、自分の価値観が揺らいでる。
ねぇ、駿河君とやら。いくら家族ぐるみの付き合いがあるからって、お年頃の男の子がお隣さんちの子を幼稚園まで迎えにいく?親が帰ってくるまで面倒みたりする?それも毎日だよ?ほかにも気になるところはあったけど、なにより今。一緒に住んでるって。お隣さんってもれなく血縁者になれるとか、そういう特殊設定あったっけ?他人だよね。ただの他人のはずだよね。ふたりっきりじゃないとはいえ、家族でもない立派な成人男性と女子高生がひとつ屋根の下って。

おかしいでしょ。

こんなふうに感じる俺の心が汚れてる?いやいや、絶対エロゲみたいなシチュエーションだって、これ。でも、あいりちゃんみたいな無垢な子が相手だったら変な気を起こすこともないのかな。純粋に我が子みたいにかわいがってるだけの可能性も……だけど俺の見立てだとあいりちゃんって結構おっぱい大きいよ、おとなしい子がイイ体してると興奮するよね、あぁ、もうわかんなくなってきた!

とりあえず、だ。
自分の置かれてる状況になんの疑問も抱いてないあいりちゃんは、思ってた以上に手強そうだってことは、理解した。