早苗も含め、全員が声のしたほうを向く。
そこには二人の少年が立っていた。
一人は腕を組み、鼻息も荒くこちらを睨みつけている。
もう一人は呆れたような視線を隣にいる少年も含め、喧嘩の当事者たちに送っている。
彼ら二人──主に腕組みをしている少年の好奇心によってこの喧嘩の追加要員を追ってやってきた。
ちょっと覗いて終わり、とは言ったもののこの少年。好奇心も旺盛ならば正義感も旺盛で、隣の少年の制止も聞かずにこうして出てきたという訳である。
少年─ユウジはフンッと大きく鼻息をだして大きく息を吸いこみ、
「お前ら!中学生の、それも女相手にリンチってんじゃねーよ!そんなこと、通りすがった俺が許さねー!!」
と、多少語学的に問題のある言葉を叫んだ。
一拍の間をおいて、大爆笑が起こった。
中には涙を流してたり、隣にいる者をバシバシと叩くものまでいる。
自らも腹を抱えながら、リーダー格の男が二人に言う。
「君・・いや君たちさぁ?この状況わかって言ってる?
うん、まぁこの子を助けようとしてる精神はご立派だよ。だけどさ、だけどだよ?
キミタチはたったの二人ぽっち。俺たちはこの人数だ。わかるよね?どう見ても勝ち目はない。
それでもやるってんなら、存分に遊んであげるよ」
話しているうちに落ち着いてきたようで、途中から言葉にいつもの調子が戻り顔にもあの笑みが戻った。
ユウジは彼らを睨みつける姿勢を崩さない。
ユウジの脳内は軽いパニック状態になっていた。
出て行ったところまでは気持ちよく行動していたのだが、そこから先のことは全く考えていなかった。「どうする、どう逃げれば」その言葉ばかりが頭を回る。
もともと、頭の回転はいい方ではない。顔にこそ出てはいないけれども、胸中穏やかではなかった。
──だから出て行くなって言ったんだ。結局最悪のパターンだし
隣で様子を見ていたヒスイは、長年の付き合いのおかげでユウジの考えていることが手に取るようにわかり、呆れてため息をついた。
そして、ユウジと同じように考えをめぐらせはじめた。
倒れたままの早苗も、すこし危ない空気を読み取っていた。
いきなり出てきた二人に多少の期待をもった自分がバカだったと思い始めた。
体を起こして周りを見る。
全員の視線はユウジたちに向いているものの早苗が囲まれていることにかわりはない。
この時、三人の頭を廻る言葉はシンクロして─どうする・・だった。
「もういーいかーい」
間延びした言葉をリーダーの男が吐き出した。
──一か八か・・
「あんたら、此処での喧嘩は初めてか?」
口を開いたのはヒスイ。
「ああ、俺たちの獲物が最近は帰りのコースをコロコロ変えていくから、さ。面倒だけどちゃんと遊びたいだろ?だからこうして健気についていってんのさ。」
ヒスイの口端が、わずかに上がった。
「そうか・・それじゃあ、今回は残念だったなあんたら」
「どういう意味だ?」
リーダーの男は表情を変えず、でも片眉がピクリと反応した。
「ここの通りはよく運動部のロードワークのコースになるんだよ。」
「・・・」
「で、たいがい先生がついて走るなんて事はないけど、うちの中学、陸上部が特別に熱心で。
おまけに先生はとてつもなく時間に厳しくてどのメニューをどのくらいの時間でやるかも分単位で決めてるんだとよ。一人ひとりの指導もしたいからロードワークにもついて来る。
そこで問題だ。俺がこのことを言ったのは何故でしょう?」
男たちは黙っている。
ヒスイの意図が読み取れないことと、なんとなくな嫌な予感が漂い、顔を見合わせた。
ヒスイは腕時計をチラと見やった。
「GAME OVER」
ヒスイの言葉に、場が緊張し、静まる。すると遠くの方から規則正しい多くの足音と、何かを叫ぶ男性の声が聞こえてきた。
「! そうか!」
ユウジも察し、彼らに発破をかける。
「ほらほら、早く逃げないとこの現場に陸上部とその顧問が駆けつけて来ちゃうぜ?」
「クッソ!お前ら散れ!さっさと逃げろ!」
リーダーはそれだけ言うと足音の聞こえるほうと逆に逃げた。
ヒスイのそばを通るとき、ヒスイがフラッとよろけリーダーの男にぶつかった。
「ああ、失礼」
リーダーはヒスイを鋭い目つきで一瞥すると何も言わずに走り去った。
手下のものたちもバラバラと立ち去り、誰もいなくなった頃に陸上部が駆けていった。
その後ろを自転車で走っていた顧問は通りがかりざま三人を怪訝そうに見つめ、「お前ら早く帰れよ」と言って過ぎ去った。
「大丈夫かお前!」
誰もいなくなってからユウジは早苗に駆け寄った。
安心して力が抜けた早苗は、立つことすらも気だるい気分だった。
「着替えとタオル、此処に置いておくからねー」
「はい、ありがとうございます!」
ドアの外から聞こえた声に早苗は申し訳なさそうに答えた。
彼らが去った後、よろよろになった早苗を休ませようと、ひとまず一番家の近いヒスイの家に行った。
早苗は悪いと言って断わろうとしたのだが、泥や傷だらけのまま家に帰すことを二人は譲らず、ヒスイの家に行ったら行ったで彼の母がそれを許さず、お風呂まで借りることとなってしまった。
お風呂場を出て、脱衣場で用意してもらったタオルで体を拭いていると、用意された着替えが若い女物の服であることに気付いた。
─姉妹いるのかな?何か意外だなぁ、アイツって一人っ子みたいに思ってた
ヒスイに軽く失礼なことを考えつつ、ありがたく貸してもらった。
出たことをヒスイの母に伝えると、ヒスイの部屋に案内された。
部屋に入るとユウジが早苗を部屋に招きいれた。
「おー来た来た!ま、そこ座れよ」
「おい、ここは俺の部屋だ。」
─男子の部屋って初めてだ・・
と、変な緊張を持って座った。
少しの間、気まずい沈黙が流れる。
耐え切れないというようにユウジが切り出した。
「えーと、じゃあまずは自己紹介でもすっか?」
「俺に聞くな。仕切るなら責任持てよ。ま、このままだと呼ぶにも一苦労な訳だから、大して異議はないけども。
俺は2−3、絢杉緋翆(アヤスギヒスイ)」
「俺はコイツと同じクラスの松山由宇児(マツヤマユウジ)、よろしくな!」
「里山早苗、です。あの、助けてくれてありがとう」
早苗はペコりと頭を下げた。
あんな喧嘩シーンを見せておいて何も怖いことなど無いだろうと思ってはいたもののなんとなくかしこまってしまう。
考えてみればこの二人とは隣のクラスであることはわかったのだが接点が無いためにほぼ初対面と言っても過言ではない。
二人から早苗を助けたことのいきさつを聞くと、感謝する気持ちが少し薄れたのだがそれは表に出さないでおいた。
「ああ、そうだ。ホラよ、これ。お前のだろ」
話が一段落したところで、ヒスイが思い出したように見慣れた手帳を早苗に放った。
「え、これ!」
「なんだ?生徒手帳じゃん、何で?」
早苗とユウジは驚きに目を見開いた。
「そもそも、お前はこれを落とした所為であいつらに身元バレて狙われたんだろ?
もうしっかり顔と場所とが特定されてっから遅いが、けど盗られたままよりいいだろ」
早苗は頭が混乱しそうだった。
確かに手帳はとられていたが、それをどうやって取り戻したというのか。
「けど、アイツこれをポケットに入れてたよね?」
「ああ」
「じゃ、じゃあどうやって!?」
ヒスイは悪い笑みを浮かべるとこともなげに言った。
「スッた」
「「は?」」
早苗とユウジの目が、点になった。
「だから、スリだよスリ」
「そそそそ、それっておま、盗みだぞ?!」
「ああ」
あまりに衝撃の告白に、ユウジはうまくろれつが回らない。
早苗は呆然と二人のやりとりを見つめていた。
「犯罪だぞ?!」
「普通ならな。でも今回は向こうが先に奪ったんだから別にいいだろ」
「そうだけど!
って、あ!もしかしてこないだ俺のチャリがいつの間にかなくなってて、いつの間にか戻ってきたのって───」
「ああ、それ俺。ちょっと拝借した」
それを聞いてユウジの顔は更に驚きに染まる。
「だって鍵は」「ちゃんとかかってたぜ?無論、開けたけどな」
あんなのかかってないのと同じだ、といって明るく黒く笑う。
早苗は手帳についてのお礼を言うか言うまいか迷った末に、二人の成り行きに任せることにした。
ユウジは今までのおかしなことについてヒスイに追求し始めようとしたが、ヒスイは無理やりユウジを抑えて話を切り出した。
「とりあえず、これからどうするかだよな」
「そう!俺もそれ言いたかった!」
今までスリの話で俺に突っかかってきてた奴が何を言う、とでもいいたげな目線でヒスイが睨めば、ユウジはすぐさま大人しくなった。
ユウジがちゃんと黙っていることを確認してからヒスイはもう一度切り出す。
「対策だが・・、あいつ等はもうお前一人に狙いを絞っている以上気付かれないようにってのは不可能だ」
早苗は神妙に頷く。何故だか、ユウジも早苗の動きにシンクロして頷く。
「だから、誰かと一緒に帰ったりして・・とにかく一人になるな。んなことしたらいい獲物が捕まりに着てるようなもんだからな」
「でも、さ。もう皆はあいつ等のこと・・・それに私のことを怖がって一緒に帰りたいなんて言う人いないよ。それに───関係ない人を巻き込みたくない」
「バカかお前は」
早苗の、今まで自分に出来る少ない心遣いだと思っていたことを、ヒスイはバッサリと切り捨てた。
「は?何?私が喧嘩売られてそれに他人を巻き込みたくないって普通の考えでしょ?
じゃ、アンタは自分の周りに人がいても危険にさらしていいっての?」
此処しばらくの喧嘩続きの所為か、言い返すのが癖になってしまっていた。
大して怒るようなことでもないのに、と脳の冷静な箇所が訴えるがそれは無視した。
ヒスイは腕を組んで早苗を厳しい目で見つめる。
「さっきも言ったがそんなことしたらどうぞ襲ってくださいって言ってるようなもんだ。
何のために此処で今話していると思っている?
お前が素晴らしいほどのマゾヒストで襲われるのが趣味なら俺はこんなことはしないし、今からお前がそうだと主張するならこんな話し合い今すぐやめたっていいんだぜ?」
あくまでも冷静なのがコイツの性格だろう、そう思っていた早苗はこうやって説教をするヒスイに驚いた。
ヒスイもヒートアップしてきて、やや立ち上がってテーブルをバン!と叩いた。
「だがお前は違うだろうが。こんな目に合ってるのは嫌なんだろ!だったら大人しく此処に座って対策考えろ!」
思いっきり上からモノを言われ、鼻先に人差し指を思いっきり突きつけられて黙っている早苗ではない───普段ならば。
ただあまりの剣幕と迫力に圧されて、ただ目を丸くしていた。
言ってることは間違ってはいない。
ただ、そのまま従うのは悔しいから、あくまでも、渋々としているように見えるように頷いた。
「人を指差したらいけないんだぞ~ヒスイ」
ユウジが、微妙な棒読み加減で口を挟んだ。
ヒスイはまだ言いたいことがあったのか、一度口を開いたが思い直し鼻息も荒く座った。
それを見て、ユウジは早苗に向かってニヤッと笑った。
──あ、あのユウジって子のおかげで助かった・・
お説教がまだまだ続くと空気的に感じ取った早苗はユウジのフォローに胸を撫で下ろした。