子供がはしゃいで廊下を走り回る。

「ちょっと、待ちなさいよっ!」

追いかけっこだろうか、女の子数人が遊んでいる。
その数人とは別方向から一人、歩いてきている。

中学に入学して間もない彼らは小学生とさほど変わりはしない。
慣れた土地、慣れた友人の中に、少しの別れがあって、新たな出会いに胸を膨らませる。


遊んでいる者の一人が躓く。
大きくよろけて、転ぶまいと必死に近くの支えになりそうなものを掴む。
それでも堪えきれずに、掴んだものごと派手にすっころんだ。


中学に大きな違いといえば──たいした差もないくせに作られる、上下関係。


打ったところをさすりさすり、女の子は顔をあげて、相手の顔を見てはっとした。
周りの子たちの顔色もほのかに血の気がうせる。
ぶつかった相手、それは上下関係の恐怖の頂点に立つという絶対に手を出してはならない相手だった。

「ご、ごめんなさいっ!!」

蜘蛛の子を散らすように逃げていく下級生を見て、ぶつかられた少女はため息をついた。
うわさの広まってしまった今、信用を取り戻し、イメージを変えていくにはまだまだかかりそうだ。

「おーい早苗ー!帰ろうぜー!」

後ろから少年の声がかかった。
少女は振り向き、大きく手を振って答えた。

「今いく!」

中学2年生の春

小さなきっかけで日常は消えてなくなったのかもしれない


でもそれは非日常でもなんでもない

ハジマリでしかない

新たな日常の--

暗く、人気の無い公園。
もう10時は回ろうかという時間に少女は立っていた。
マラソンを完走したばかりのように大きく肩を上下させ、短く息をつく。
崩れたセーラー服のリボンを無造作にむしりとり、喉元を緩める。



それを運動というならばいささか野蛮すぎるであろう。


何せ、少女の周りには顔を傷だらけにした少年たちが座り込んでいたのだから。
少女と同じくらいか、前後2歳くらいの少年5,6人の中にはあきらめの色が強く出ている者もいた。

一般にこの光景を見て、思い当たるのはただ一つ。
『喧嘩』だ。




少女は一つ深呼吸をし、少年たちに睨みを聞かせながら尋ねた。

「まだやるの?」

「──ッ、クソ!行くぞ!!この借りは必ず返すからな!覚えとけ!!」

リーダーらしき一人の少年の声に座り込んでいた少年たちはリーダーの子に続き、走って帰っていった。


一人取り残された少女は、安堵に浸るでもなく取ったリボンで近くの木を思いっきりはたくと、大きく舌打ちをしてから家路についた。


いつからこんなことをするようになったのだろう・・
決して自分から望んだわけではないのに・・



そして少女は数週間前の自分の思いを馳せる。
*  *  *  *

夕方近く。
それでも多くの人が行きかう街。
都会の陰には危険あり。誰でも聞くような言葉。
それを本当に信じて危険視するものは少なく、多くの人間が油断している。

「ありがとうございましたー」

そんな言葉と機械音を合図にコンビニから人が出入りする。
老若男女たくさんの人が訪れる。
少女もコンビニから出て行った。

油断は誰でもする。
危険が自分に訪れるとは思っていないために。


少女は駅への近道となるビルの隙間の狭い道を通る。


少女の名は里山早苗(さとやま さなえ)
部活には入っていないが、空手を習っている。
軽い縦パーマの入った茶髪は少し伸びてきて、もう少ししたら束ねようかという長さ。

髪と同じ色の瞳は狭い道をただとらえているだけだった。

道は、狭いとはいえそんなに人通りが少ないわけでもない。
ただでさえ狭いのに、2台の自動販売機が置かれて、人がギリギリでぶつからずにすれ違えるほどの狭さはその圧迫感を増す。



そんな道に、いつもならばいない不良らしき少年たちの集団がいた。

狭い道にたむろしてぶつかったり邪魔だという視線を向ける人々を気にも留めないで座り込んでいる。

彼らの年代はこの時間帯では帰宅する人間のが多いというのに、そこにたむろし始めた者たちは一向に帰る気配を見せない。
それどころか、時刻が遅くなるに連れて人数が増えていく。

他の人間たち同様、早苗も彼らに迷惑とばかりに視線を投げかけて通り過ぎようとした。

その時、早苗は正面から来た男とぶつかった。

たむろしていた連中ばかり見ていたから前に対する注意が薄れたのだろう。
すみません、と一言謝ってその場を去ろうとした。

「あっれ、君さぁ?人にぶつかっておいてそれだけで済ますの?」

「は?」

突如として、たむろしていたチンピラに声をかけられた。

近い距離であるにも関わらずボリュームの大きな声が人々に響き渡り、数人がこちらに目を向けた。

見ず知らずの人にぶつかってしまったこと、チンピラに声をかけられたこと、街行く人の目が集まってきた恥ずかしさと怒りで早苗の顔に赤みが走る。

「ダメでしょぉ、ねぇ?人に迷惑かけたらちゃあんと慰謝料払わなきゃ」

「僕はそんなもの──」

「オッサンは黙ってな!」

まだ30代前半であろうその男性は、チンピラの異様な迫力に黙らされてしまった。

チンピラは立ち上がり早苗を嫌な目つきでじろじろと舐めまわし、視線と同じようなねちっこく話しかけてくる。

──こいつに技かけてねじ伏せてやりたい・・

早苗は苛々とそんなことを考え、チンピラの顔めがけて飛んで行きそうになる拳を押さえた。



その仕草が逆の意味にとられたようだ。

チンピラのニヤニヤ笑いが更に大きくなり、男性は少し挙動不審な動きを見せていた。

はじめの慰謝料の話はどこへやら。

もうネタが無いのか普通にカツアゲをしてくるチンピラに早苗は心を決めた。

──もう、ここまできたら此れが原因で道場追い出されることも無いよね

出来るだけ予備動作を小さくし、右腕を振るった。

「「え?」」

早苗とチンピラが同時に声をあげた。

早苗の拳はチンピラに届くことなく自分の頭より少し高いところでぶつかった男性に止められ、男性はそのまま早苗の腕を強く引き、走り出した。

「え、わっちょ、ちょっと!!」

突然のことに転びそうになりながら早苗は男性にされるがまま駅前の人ごみの中に消えていった。


路地に取り残されたチンピラはその場にかがんだ。

「あーあ、王子様に取られてやんの。」

後ろに待機していたうちの一人が冷やかしたのを合図に他のメンバーからもからかいの野次が飛ぶ。
立ち上がったチンピラの手には、あるものが握られていた。

「いいや、まだまだこれからさ」

それは、中学校の生徒手帳。
無論、里山早苗という少女の。