それから私は毎日母の病院へ通った。


パジャマを持ってこいと言われれば持って行き、病院食がまずいと言われればお弁当を作って持っていった。


暇だろうと雑誌や本を沢山差し入れた。


でも、病院にいるのはいつも30分だけ。



いつもすぐに帰れと言われ病室を追い出された。

母が入院してから2ヶ月。


抗がん剤をうち始めたせいで少しずつ髪が抜けていった。


お正月は家で過ごしたいと言う事で一時退院をして、お正月は母と私と浩人、雄太と修平で母の家で過ごした。



癌になっても母の嫌味はなくならなかった。


雄太や私は我慢できていたもののまだ高校生の修平は母と新年早々口喧嘩をしていた。