はあ!? 帰りませぬう!?

と、天狗にあるまじき素っ頓狂な声を上げそうになるところを、富士の峰の如く高くそびえ立つ誇りでもってかろうじて抑える俺に背を向け、鈴華はおぼつかない足取りで、山奥へと歩き始めた。

「待て! そちらは帰り道ではないぞ」

急いでその華奢な背中を追って、落ち葉の降り積もった上を高下駄でわしわしと歩き、

「だいたい、人間は山で行方不明者が出るとすぐに我々天狗のせいにするがな、大半は単なる事故か遭難だ。
十年経っても戻らぬなど、その者はとうに死んでおるに相異あるまい。そもそも仮に生きておったとして、今や旗本の娘となった鈴とは身分が違うのでは……」

娘の腕を捕まえたところで、


俺は言葉を途切れさせた。


溢れんばかりに涙を溜めた目で、鈴華は俺を振り返ってきたのである。


俺は大いに驚愕し、
吃驚仰天し、
慌てふためき、
吃驚仰天し、
驚愕した。

何だ、
何だ、
何なのだこの状況は!?
俺か? 俺のせいか?
大天狗ともあろうこの俺が、斯様に可憐な人間の娘をいじめて今まさに泣かせんとしていると、これはそういう構図なのか。

こんなことが天狗の仲間内に知れ渡れば、いい笑い草である。

再び思考が凍てつく真冬の大瀑布と化すのを感じ、俺はこの破滅的状況の打開を試みた。


「……とは思うが、ひとたび約束を交わした者同士、添い遂げるのが道というものだな。
ひょっとすると戻るべき道を見い出せぬまま、その者は山奥でひっそりと生き続けておるのかもしれん。
よしよし、この俺もその人捜し、手伝ってやろう」

娘の腕から手を離し、代わりに頭をなでなでしながらそう告げて──

何を口走っているのか。
心の奥底で己の言葉に突っ込むが、後の祭りであった。

「まあ」と、鈴華が涙を拭って花もほころぶ微笑を俺に向けた。

「ありがとうございます、天狗様。やはりあなた様にお会いできてよろしゅうございました」

今度こそ完全に凍結した滝壺の上では、人間の乙女というものは永遠の神秘かもしれぬと思春期真っ只中の人間男子の如き思いがくるくる滑り回り始め、
俺は恐るべき破壊力でもってすさんだ妖怪変化の心を侵そうとする笑顔に、決死の攻防を展開した。