いつからだろう、私の時が止まったのは・・・


7年前、私は両親と暮らしていた

外からは仲の良い家族に見えたのかも知れない

でも、家の中だと暴力が日常だった

私は、これが普通だと思ってた

初めて、この暴力が虐待だと知ったのが3年生の身体測定だった

「春菜!今日、みんなの前で服脱いだんだってね!」

母は怒り、父は見て見のふりをする

「この、餓鬼がぁぁあぁぁ!」

私の背中に煙草をのせる

「熱い!熱いよぉ・・・・!ごめんなさいーーーーーーー!!」

毎晩、泣いていた

家では泣いて、学校では虐待がわかったのだから、立場がなかった

先生はみんな、施設に入れと言ってきた

私は行きたくなかった

たまに、母の暴力がきついときだって、あったけど、別にこれが普通だったんだから、

行かなくてもいいと思っていた

そんな時だった

母は薬物にはまった

「はははっ!これ、気持ちいいよ!春菜~ぁ、お前もやりなよ~」

母は壊れた

いや、最初から壊れていたのかもしれない

「お母さん、薬物なんて、やめて!」

「うるっせーな!」

暴力はどんどん過激するばかりだった

こんな状況に耐えられなくなったのか、ついに父は家を出た

「あぁー。春菜のせいで、お父さん、出ていったじゃない。どうしてくれのさ?」

私は父が残した手紙をしわくちゃにして、つかんでいた

「この子は、いつも、いつも、私の幸せなんで取っていくんだよぉおおおおぉぉぉぉ!」

頭を殴られ、蹴られ、また殴られ、蹴られる

「お前なんか、いらない子だったんだよぉぉぉおおおおぉぉ!!」


こんなことが数か月も続いた

母はついに薬物をやっているのがばれ、捕まる寸前に自ら命をたった

そこから、私は施設に入った

私と同じ時期に施設に入ってきたのが彼・・・紫岡風雅だった