最後にまどかが合流してから、車内は実に賑やかだった。
自宅のマンション前で拾った千晶は、車に乗り込む時「杏子の友達の、中田千晶です。今日はよろしくお願いします」と明に軽く会釈と共に軽く自己紹介をした。
明は「ん、斎藤明です。千晶ちゃんか。前に、こいつと俺達のライブ来てくれたよね?背が高くてキリッとしているから覚えてたんだよね」と言うと、千晶は「えぇ…まぁ…そうですね」と言葉を濁して後部座席に座った。
それから車を発進させると、武田邸に向かうまであたし達三人はほとんど喋らなかった。あたしが世間話を振っても、千晶は「うん」とか「そうだね」としか答えない。
無理矢理誘ってしまった形になって、もしかしたら千晶はあまり乗り気じゃないかもしれない。
あとで謝らなきゃ、と思った。
ちなみにまどかと千晶の家同士の距離は、車で15分ぐらいで、あたし達の通っていた高校に割と近い。二人は学区の関係で出身中学は違うが、やはり歩いて行ける距離にあるからあの高校を受験した、と言っていた。
冬期間、バスとJRで一時間半かかって通学していたあたしからすると、羨ましい話であった。
「Y町の海なんて、あたし行った事ないから初めて〜」
今はあたし達が住んでいる街を出て、ひたすら目的地へ続く海岸線を走っているところだ。
晴れ渡った青い空に、いくつもの白い入道雲が浮かんでいる。
明に「同い年なんだから、タメ口でいいよ」と言われたまどかは、すぐに砕けた口調で話した。
なんとまぁ、人見知りを知らない社交的な子だ。
思った事をすぐ口にする子供の様な天真爛漫さを持っているが、決して相手が不快に思う事は言わない。
場の雰囲気や相手がこれを言ったらどう思うかを、瞬時に一考してから話しているのだ。
見た目はどこにでもいる、流行に敏感な、今時のキャピキャピした女の子だが、実は切れ者だと言う事をあたしは知っている。
そう言えば、高校時代も根詰めて勉強しなくても、テストでいい点を取っていたな。
まぁ、明の見た目が男前な事も、彼女をご機嫌な理由の一つに挙げられるが。
今日の千晶の服装は、紺に白のボーダーが入ったTシャツにカーキ色のだぼっとしたハーフパンツ、腰には薄手のパーカーを巻いている。
一方のまどかは、つばの大きめな麦わら帽子を被っていて、まず最初にそれが目を引いた。
可愛らしい外国の女の子がプリントされたTシャツに、白地に模様が入ったロングスカートを履いていた。
二人とも既に水着を着ているので、Tシャツの首の後ろからホルターネックの紐が見えている。
「明くんって、やっぱりフェニックスでメジャーデビューしてプロになりたいって思ってるの?」
後部座席で千晶の隣に座るまどかが、身を乗り出す様にして明に訊ねた。
初対面から約2時間でもう【明くん】である。
ただその興味深い質問に、あたしは思わずハッとし、窓の外の景色ばかり見ていた千晶も、目線をこちらに向ける。
「んー…まぁ、もちろんそうなれたら良いな、とは思ってるよ?」
「じゃあ、もしそうなったら、大学とか辞めてバンドに専念するの?」
「ん〜。確かにフェニックスでメジャーデビューするのが一番いいさ。
けど、実際に音楽で成功するなんて、一握りの連中なんだ。
どんなに頑張っても、芽が出ない奴らなんかゴマンといるのがこの世界だよ。はっきり言って、フェニックスもそうかもしれない」
明のサングラスの奥の目が、鋭く光った様な気がした。やはり一ファンとしては、フェニックスにはもっともっとたくさんの人にその音楽を聴いてもらいたいし、その存在を知ってもらいたい。行ける所まで、とことんどこまでも走って欲しい。
だけれど、やはりフェニックスも、明が言うところの「芽が出ない連中」に過ぎないのだろうか?
確かに素人のあたしにも、メジャーデビューもそれから先売れ続ける事も、まるで砂漠に落ちた十円玉を探す様に難しい事はわかっている。
どんなに努力を重ねて、人気が出たとしても、運がないばかりにくすぶっているバンドだって、それこそ星の数ほどいるだろう。
「だからさ、バンドがうまくいかなかった時の保険の為に、俺は大学に入ったんだ。保険って言ったら、なんか聞こえ悪くなっちゃうけど。大学を卒業して、まぁ一般企業に就職する。仕事しながらでも音楽は出来るしね。自分の好きな事をする為に学歴と仕事を手に入れる、って言った方がわかりやすいかな」
明がそう言ってるのを聞いて、あたし達三人は素直に感心した。
明が、そこまで考えていたのは正直予想していなかった。ただなんとなく、高校を卒業してすぐ就職するのはかったるいし、大学は遊びに行ってバンドやりながらいつかプロになれればいいや、と言った甘い考えなのかなと思っていたから。
「…まぁ、確かに普通に生活していくだけでも、お金ってかかるしね。今は実家で、親の世話になっているから、普段はあまり考えないけど」
千晶がため息を吐きながら言った。
「でしょ?音楽漬けの人生でさ、でも結局全然売れないで、気が付いたら年齢も三十路越えてて、職歴も誰でも出来るアルバイトしかない…なんて人、俺結構見てきてるからさ。それが悪いって言ってるんじゃないんだよ?人それぞれなんだし。でも言っちゃ悪いけど、俺はそうなりたくないからさ」
明はそう言った後で、「まぁ、俺んちも正直、金持ちとは言い難い家庭だしね。卒業したら、音楽はやってもいいから、お願いだからどっかに勤めて毎月給料もらってきてくれって親に散々言われててね」とわざと明るい口調で言って笑った。
「明くんって、意外に堅実って言うか、しっかりしてるんだね〜…」
まどかは腕組みをして、難しい顔をしていた。
また赤信号に引っ掛かり、明は車のブレーキを踏む。
「…まぁ、フェニックス自体もどうなるかわかんないしね。メンバー入れ替えくらいは、あるかもね。
たかひ…琉斗は大学卒業したらバンド辞めるし、慎も実家に居る親が高齢で心配らしくて、卒業したら地元戻ろうかなぁって言ってるし。海は…何考えてるんだろうなぁ、あいつ」
「みんな色々あるんだねぇ〜」
まどかが感心した様に言った。
不意に明があたしの頭を撫でた。
「それに、今は音楽をやりたいけど、これから先、他にやりたい事や守るものが出来るかもしれないしょ?」
その様子を、明はまるで見せつけていると言わんばかりに、得意気に二人に振り返る。
千晶は呆気に取られ、まどかはまた悲鳴に近い声を上げた。
「じゃあさ、じゃあさ、杏子はどうするの?」
「え…?」
いきなり話の矛先が自分に向けられ、あたしはギョッとした。
「だ・か・ら!もしフェニックスがメジャーデビューしたとしたら!そしたら明くんは東京に行く事になるじゃん。杏子はどうするの?一緒に行くの?」
明がここまで言っていても、まどかの頭にはフェニックスにとってベストな未来予想図しかないらしい。
物事を悪い方につい考えてしまうあたしには、そのポジティブさも羨ましかった。
「明が、デビューして東京かぁ〜…」
男の子と交際するのが、初めてのあたしにとっては、そのメールのやり取りや毎回のデートにいっぱいいっぱいで、そんな先の事まで考えている余裕がなかった。
でも、あたしとしてもフェニックスは是が非でもプロになってもらいたい。いくらこれからの人生がどう転んだとしても、今の段階での彼の夢は音楽で成功する事なのだ。
それは、付き合う前から彼と会話やメールをした上で理解しているつもりだ。
明は本当に、音楽とフェニックスと言うバンドが好きなのだ。
「あたしは…やっぱり、フェニックスにはプロデビューして、成功してもらいたいと思ってる。その為の応援はなんだって…したい。まだ、覚悟は出来ないけど…明について、東京に行くと思う」
そうは言っても、生まれ育ったこの街や家族やまどかや千晶と離れ、東京という新天地で明と生活していく、なんて今この瞬間も実感が湧かない。全然リアルじゃないのだ。
でも、実際にそうなったら、迷わずあたしはそうすると思う。
明と、離ればなれになりたくない。
「きゃーこの二人ってば、超純愛ー!」
まどかがまた大声を出す。千晶もそれを聞いて、困った様に笑った。
車内がすっかり盛り上がったお陰で、信号が青に変わった事に明は気付かず、後ろの車にクラクションを鳴らされた。
「やべ。…なんか、嬉しかったからつい」
明は隣の助手席にいるあたしを優しく見つめ、車のアクセルを踏んだ。
やっと目的地の海水浴場に近くなってきたようで、さびれた案内の看板が見えた。
自宅のマンション前で拾った千晶は、車に乗り込む時「杏子の友達の、中田千晶です。今日はよろしくお願いします」と明に軽く会釈と共に軽く自己紹介をした。
明は「ん、斎藤明です。千晶ちゃんか。前に、こいつと俺達のライブ来てくれたよね?背が高くてキリッとしているから覚えてたんだよね」と言うと、千晶は「えぇ…まぁ…そうですね」と言葉を濁して後部座席に座った。
それから車を発進させると、武田邸に向かうまであたし達三人はほとんど喋らなかった。あたしが世間話を振っても、千晶は「うん」とか「そうだね」としか答えない。
無理矢理誘ってしまった形になって、もしかしたら千晶はあまり乗り気じゃないかもしれない。
あとで謝らなきゃ、と思った。
ちなみにまどかと千晶の家同士の距離は、車で15分ぐらいで、あたし達の通っていた高校に割と近い。二人は学区の関係で出身中学は違うが、やはり歩いて行ける距離にあるからあの高校を受験した、と言っていた。
冬期間、バスとJRで一時間半かかって通学していたあたしからすると、羨ましい話であった。
「Y町の海なんて、あたし行った事ないから初めて〜」
今はあたし達が住んでいる街を出て、ひたすら目的地へ続く海岸線を走っているところだ。
晴れ渡った青い空に、いくつもの白い入道雲が浮かんでいる。
明に「同い年なんだから、タメ口でいいよ」と言われたまどかは、すぐに砕けた口調で話した。
なんとまぁ、人見知りを知らない社交的な子だ。
思った事をすぐ口にする子供の様な天真爛漫さを持っているが、決して相手が不快に思う事は言わない。
場の雰囲気や相手がこれを言ったらどう思うかを、瞬時に一考してから話しているのだ。
見た目はどこにでもいる、流行に敏感な、今時のキャピキャピした女の子だが、実は切れ者だと言う事をあたしは知っている。
そう言えば、高校時代も根詰めて勉強しなくても、テストでいい点を取っていたな。
まぁ、明の見た目が男前な事も、彼女をご機嫌な理由の一つに挙げられるが。
今日の千晶の服装は、紺に白のボーダーが入ったTシャツにカーキ色のだぼっとしたハーフパンツ、腰には薄手のパーカーを巻いている。
一方のまどかは、つばの大きめな麦わら帽子を被っていて、まず最初にそれが目を引いた。
可愛らしい外国の女の子がプリントされたTシャツに、白地に模様が入ったロングスカートを履いていた。
二人とも既に水着を着ているので、Tシャツの首の後ろからホルターネックの紐が見えている。
「明くんって、やっぱりフェニックスでメジャーデビューしてプロになりたいって思ってるの?」
後部座席で千晶の隣に座るまどかが、身を乗り出す様にして明に訊ねた。
初対面から約2時間でもう【明くん】である。
ただその興味深い質問に、あたしは思わずハッとし、窓の外の景色ばかり見ていた千晶も、目線をこちらに向ける。
「んー…まぁ、もちろんそうなれたら良いな、とは思ってるよ?」
「じゃあ、もしそうなったら、大学とか辞めてバンドに専念するの?」
「ん〜。確かにフェニックスでメジャーデビューするのが一番いいさ。
けど、実際に音楽で成功するなんて、一握りの連中なんだ。
どんなに頑張っても、芽が出ない奴らなんかゴマンといるのがこの世界だよ。はっきり言って、フェニックスもそうかもしれない」
明のサングラスの奥の目が、鋭く光った様な気がした。やはり一ファンとしては、フェニックスにはもっともっとたくさんの人にその音楽を聴いてもらいたいし、その存在を知ってもらいたい。行ける所まで、とことんどこまでも走って欲しい。
だけれど、やはりフェニックスも、明が言うところの「芽が出ない連中」に過ぎないのだろうか?
確かに素人のあたしにも、メジャーデビューもそれから先売れ続ける事も、まるで砂漠に落ちた十円玉を探す様に難しい事はわかっている。
どんなに努力を重ねて、人気が出たとしても、運がないばかりにくすぶっているバンドだって、それこそ星の数ほどいるだろう。
「だからさ、バンドがうまくいかなかった時の保険の為に、俺は大学に入ったんだ。保険って言ったら、なんか聞こえ悪くなっちゃうけど。大学を卒業して、まぁ一般企業に就職する。仕事しながらでも音楽は出来るしね。自分の好きな事をする為に学歴と仕事を手に入れる、って言った方がわかりやすいかな」
明がそう言ってるのを聞いて、あたし達三人は素直に感心した。
明が、そこまで考えていたのは正直予想していなかった。ただなんとなく、高校を卒業してすぐ就職するのはかったるいし、大学は遊びに行ってバンドやりながらいつかプロになれればいいや、と言った甘い考えなのかなと思っていたから。
「…まぁ、確かに普通に生活していくだけでも、お金ってかかるしね。今は実家で、親の世話になっているから、普段はあまり考えないけど」
千晶がため息を吐きながら言った。
「でしょ?音楽漬けの人生でさ、でも結局全然売れないで、気が付いたら年齢も三十路越えてて、職歴も誰でも出来るアルバイトしかない…なんて人、俺結構見てきてるからさ。それが悪いって言ってるんじゃないんだよ?人それぞれなんだし。でも言っちゃ悪いけど、俺はそうなりたくないからさ」
明はそう言った後で、「まぁ、俺んちも正直、金持ちとは言い難い家庭だしね。卒業したら、音楽はやってもいいから、お願いだからどっかに勤めて毎月給料もらってきてくれって親に散々言われててね」とわざと明るい口調で言って笑った。
「明くんって、意外に堅実って言うか、しっかりしてるんだね〜…」
まどかは腕組みをして、難しい顔をしていた。
また赤信号に引っ掛かり、明は車のブレーキを踏む。
「…まぁ、フェニックス自体もどうなるかわかんないしね。メンバー入れ替えくらいは、あるかもね。
たかひ…琉斗は大学卒業したらバンド辞めるし、慎も実家に居る親が高齢で心配らしくて、卒業したら地元戻ろうかなぁって言ってるし。海は…何考えてるんだろうなぁ、あいつ」
「みんな色々あるんだねぇ〜」
まどかが感心した様に言った。
不意に明があたしの頭を撫でた。
「それに、今は音楽をやりたいけど、これから先、他にやりたい事や守るものが出来るかもしれないしょ?」
その様子を、明はまるで見せつけていると言わんばかりに、得意気に二人に振り返る。
千晶は呆気に取られ、まどかはまた悲鳴に近い声を上げた。
「じゃあさ、じゃあさ、杏子はどうするの?」
「え…?」
いきなり話の矛先が自分に向けられ、あたしはギョッとした。
「だ・か・ら!もしフェニックスがメジャーデビューしたとしたら!そしたら明くんは東京に行く事になるじゃん。杏子はどうするの?一緒に行くの?」
明がここまで言っていても、まどかの頭にはフェニックスにとってベストな未来予想図しかないらしい。
物事を悪い方につい考えてしまうあたしには、そのポジティブさも羨ましかった。
「明が、デビューして東京かぁ〜…」
男の子と交際するのが、初めてのあたしにとっては、そのメールのやり取りや毎回のデートにいっぱいいっぱいで、そんな先の事まで考えている余裕がなかった。
でも、あたしとしてもフェニックスは是が非でもプロになってもらいたい。いくらこれからの人生がどう転んだとしても、今の段階での彼の夢は音楽で成功する事なのだ。
それは、付き合う前から彼と会話やメールをした上で理解しているつもりだ。
明は本当に、音楽とフェニックスと言うバンドが好きなのだ。
「あたしは…やっぱり、フェニックスにはプロデビューして、成功してもらいたいと思ってる。その為の応援はなんだって…したい。まだ、覚悟は出来ないけど…明について、東京に行くと思う」
そうは言っても、生まれ育ったこの街や家族やまどかや千晶と離れ、東京という新天地で明と生活していく、なんて今この瞬間も実感が湧かない。全然リアルじゃないのだ。
でも、実際にそうなったら、迷わずあたしはそうすると思う。
明と、離ればなれになりたくない。
「きゃーこの二人ってば、超純愛ー!」
まどかがまた大声を出す。千晶もそれを聞いて、困った様に笑った。
車内がすっかり盛り上がったお陰で、信号が青に変わった事に明は気付かず、後ろの車にクラクションを鳴らされた。
「やべ。…なんか、嬉しかったからつい」
明は隣の助手席にいるあたしを優しく見つめ、車のアクセルを踏んだ。
やっと目的地の海水浴場に近くなってきたようで、さびれた案内の看板が見えた。