三人の姿が完全に見えなくなると、明はあたしから離れた。
先程の大宣言を思い出し、あたしは赤面するわ緊張するわ全身が硬直してるわでてんやわんやな状態だ。
明もそれに気付いているらしく、気まずそうに突っ立っている。
しばしの間、二人の間に沈黙が走る。
「……大丈夫か?」
明がぶっきらぼうに尋ねる。よく見ると、彼の耳も少し赤かった。
「うん…。ありがとう…。助けてくれて…」
明が来てくれなかったら、あたしは今頃アユミの手によって坊主頭にされていただろう。
そしてその様子も、掲示板に面白おかしく書き立てられて、フェニックスのライブにも二度と足を運べなくなっていたかもしれない。
「いや…。ここ最近のあいつらの様子、なんか変だったし。なんかしでかすんじゃねぇかと思ってな…」
「…あたしにはあのサイト、くだらないから見るなって言っていたのに、明も見てたんだね」
なんだか自分で言っている途中で、おかしくなってあたしは吹き出した。
「だって、そりゃあ…!あいつらが杏子になんかするんじゃねぇかと思って調べてたんだよ!!」
明がムキになって答える。
いつものファミレスや公園で見る、年相応の男の子の等身大の表情。
あたしは、これに弱い。
「今…杏子って…」
「あ」
明がしまった、と言わんばかりに口に手を当てる。
勇気を、出して聞かなきゃ。
このチャンスを逃したら、もう一生聞けない様な気さえしてきた。
気弱でおとなしく、いじめられっ子だったあたしが、雛妃やアユミにあれだけ罵倒されても、立ち向かう事が出来たんだ。
あの時の、ただバカにされるがままで我慢して、全てを泣いて諦めていたあたしじゃない。
今なら、なんでも出来る気がした。
「…さっき、この子は俺の彼女だって、今俺はこの子が好きなんだって言った」
「………」
「あれって、本当なの…?いきなり言われたから、あたしよくわかんない。
もう一回ちゃんと言って」
あたしは真っ直ぐ明を見つめて言った。
唇が、肩が、足がガクガクと震えているのがわかる。
嫌だ。恥ずかしい。ここから逃げ出したい−…そんな気持ちはどうしても湧き出してしまう。
「あれはあの場を逃れる為のウソに決まってるじゃん」と言われるかもしれない。
それでも、あたしは、明の答えが聞きたかった。
「あ〜もう!ハッキリ言わねぇとわかんねぇのかよ!」
明がバツが悪そうに、その長めの黒髪をクシャクシャに掻き回す。
その後でニヤリと笑いながら、あたしを見て言った。
「参ったな、こりゃ。なんとも面倒くせぇ女を好きになったモンだわ」
「…え?」
「好きだよ、杏子。…まぁ俺としては、前から付き合ってたつもりだったんだけど、そう思ってたのは俺だけだったみたいだから、改めて言うわ」
「……」
「俺と、付き合ってくれ」
好きだよ、杏子−…。
俺と、付き合ってくれ−…。
すっかり真っ白になったあたしの頭の中は、壊れたテープレコーダーみたいにその二つの言葉だけを何度も反芻した。
もうここまで来ると、脳内の複雑回路がオーバーヒートどころか完全にシャットアウトである。
だって、明が、あたしを好き?
この街の人気インディーズバンド、フェニックスのギタリストの明が、あたしに恋人としての交際を申し込んでいる−…?
有り得ない。
ごく稀に、世の中には有り得ないと思った現象が実際に起こったりもするが、今回ばかりは有り得ない。
例えば、日本の内閣総理大臣に、H県I市にお住まいの大学生・斎藤明さんのお家で飼われている犬のサチちゃんが就任しました−と言うのと同じぐらい有り得ない。
そう思った所であたしの意識は遠のき、次第に全身の力がすぅっと抜け−…
「おいっ!?」
あたしは卒倒しそうになった。が、明がそれを受け止めてくれた。
また明があたしを抱き締めている形になった。
「大丈夫?…死ぬなよ?」
明は呆れた様に笑い、あたしの顔を見つめてくる。
なんだか見ているだけでホッとする、優しい笑顔だった。
雛妃達に呼び出されてから、ずっと極度の緊張に晒されていて、ここに来てその糸がプツンと切れたのだ。
ああ、もうダメ。
力が入らない。
何も考えられない−…でも、これだけは言わなきゃ。
あたしはその問いに答える代わりに、ぎゅっと腕に力を込めて明を抱き返した。
そして、その耳元で囁く。
この想いは、明にしか聞こえないように−…。
「あたしも…ずっと明が好きだった。フェニックスのライブを、初めて見た時から…」
「うん」
「アユミの言う通り、友達なんて体の良い言い訳…。本当は、ずっと明と付き合いたかった−…」
「うん。…しかし俺、こんなにハッキリ告白らしい告白って初めてしたわ」
明が今度はポリポリと照れくさそうに頭を掻く。
何かと動作が忙しない。
「そうなの?だってあたし、付き合った事ないんだもん。ハッキリ言ってくれないとわかんないよ」
「マジ!?嘘だろ?周りの男連中、見る目ねぇな〜…」
「だって…!」
「はいはいストップ」
そう言って、その大きな手であたしの口を塞いだ。
「もう、それ以上言うな。
…ただ、しばらくこうしててもいいか?」
そのままあたしがコクンと頷くと、明が優しく頭を撫でくれる。
「あ」
あたしと明が声を上げたのはほぼ同時だった。
【ブルーキャッツ】のオーナーが、喫茶店兼ライブハウスの従業員用のドアから出てきたのだ。
写真を見るよりずっと若く、背が高くて体格もガッシリとしている。
そのごましお頭でさえも素敵に思えた。
ドアに施錠をしたオーナーは、加えていた煙草に火を付けると、あたし達に向かってウィンクをし、店の傍に停めていた大型バイクにまたがり、颯爽と去っていった。
なんてダンディーなおじさまなんだろう。
明もそう思ったのか、二人で顔を見合わせ笑い合う。
そして、どちらからともなく、また抱き締めあった。
ふと明の腕の中で、あたしは夜空を見上げた。
もう夜の帳は下りきり、雲一つない澄みきった空に満月が浮かんでいる。
まるであたし達を祝福しているかのようだった。
もしかして、今までの人生は辛い事ばかりだったが、それさえも明に出会う為の試練だったんだと思えた。
これからは、もっとより良い方向に進んでいけるハズ−…明と一緒なら。
あの満月の向こうに、素晴らしい未来がきっと待っている様な、そんな気がした。
先程の大宣言を思い出し、あたしは赤面するわ緊張するわ全身が硬直してるわでてんやわんやな状態だ。
明もそれに気付いているらしく、気まずそうに突っ立っている。
しばしの間、二人の間に沈黙が走る。
「……大丈夫か?」
明がぶっきらぼうに尋ねる。よく見ると、彼の耳も少し赤かった。
「うん…。ありがとう…。助けてくれて…」
明が来てくれなかったら、あたしは今頃アユミの手によって坊主頭にされていただろう。
そしてその様子も、掲示板に面白おかしく書き立てられて、フェニックスのライブにも二度と足を運べなくなっていたかもしれない。
「いや…。ここ最近のあいつらの様子、なんか変だったし。なんかしでかすんじゃねぇかと思ってな…」
「…あたしにはあのサイト、くだらないから見るなって言っていたのに、明も見てたんだね」
なんだか自分で言っている途中で、おかしくなってあたしは吹き出した。
「だって、そりゃあ…!あいつらが杏子になんかするんじゃねぇかと思って調べてたんだよ!!」
明がムキになって答える。
いつものファミレスや公園で見る、年相応の男の子の等身大の表情。
あたしは、これに弱い。
「今…杏子って…」
「あ」
明がしまった、と言わんばかりに口に手を当てる。
勇気を、出して聞かなきゃ。
このチャンスを逃したら、もう一生聞けない様な気さえしてきた。
気弱でおとなしく、いじめられっ子だったあたしが、雛妃やアユミにあれだけ罵倒されても、立ち向かう事が出来たんだ。
あの時の、ただバカにされるがままで我慢して、全てを泣いて諦めていたあたしじゃない。
今なら、なんでも出来る気がした。
「…さっき、この子は俺の彼女だって、今俺はこの子が好きなんだって言った」
「………」
「あれって、本当なの…?いきなり言われたから、あたしよくわかんない。
もう一回ちゃんと言って」
あたしは真っ直ぐ明を見つめて言った。
唇が、肩が、足がガクガクと震えているのがわかる。
嫌だ。恥ずかしい。ここから逃げ出したい−…そんな気持ちはどうしても湧き出してしまう。
「あれはあの場を逃れる為のウソに決まってるじゃん」と言われるかもしれない。
それでも、あたしは、明の答えが聞きたかった。
「あ〜もう!ハッキリ言わねぇとわかんねぇのかよ!」
明がバツが悪そうに、その長めの黒髪をクシャクシャに掻き回す。
その後でニヤリと笑いながら、あたしを見て言った。
「参ったな、こりゃ。なんとも面倒くせぇ女を好きになったモンだわ」
「…え?」
「好きだよ、杏子。…まぁ俺としては、前から付き合ってたつもりだったんだけど、そう思ってたのは俺だけだったみたいだから、改めて言うわ」
「……」
「俺と、付き合ってくれ」
好きだよ、杏子−…。
俺と、付き合ってくれ−…。
すっかり真っ白になったあたしの頭の中は、壊れたテープレコーダーみたいにその二つの言葉だけを何度も反芻した。
もうここまで来ると、脳内の複雑回路がオーバーヒートどころか完全にシャットアウトである。
だって、明が、あたしを好き?
この街の人気インディーズバンド、フェニックスのギタリストの明が、あたしに恋人としての交際を申し込んでいる−…?
有り得ない。
ごく稀に、世の中には有り得ないと思った現象が実際に起こったりもするが、今回ばかりは有り得ない。
例えば、日本の内閣総理大臣に、H県I市にお住まいの大学生・斎藤明さんのお家で飼われている犬のサチちゃんが就任しました−と言うのと同じぐらい有り得ない。
そう思った所であたしの意識は遠のき、次第に全身の力がすぅっと抜け−…
「おいっ!?」
あたしは卒倒しそうになった。が、明がそれを受け止めてくれた。
また明があたしを抱き締めている形になった。
「大丈夫?…死ぬなよ?」
明は呆れた様に笑い、あたしの顔を見つめてくる。
なんだか見ているだけでホッとする、優しい笑顔だった。
雛妃達に呼び出されてから、ずっと極度の緊張に晒されていて、ここに来てその糸がプツンと切れたのだ。
ああ、もうダメ。
力が入らない。
何も考えられない−…でも、これだけは言わなきゃ。
あたしはその問いに答える代わりに、ぎゅっと腕に力を込めて明を抱き返した。
そして、その耳元で囁く。
この想いは、明にしか聞こえないように−…。
「あたしも…ずっと明が好きだった。フェニックスのライブを、初めて見た時から…」
「うん」
「アユミの言う通り、友達なんて体の良い言い訳…。本当は、ずっと明と付き合いたかった−…」
「うん。…しかし俺、こんなにハッキリ告白らしい告白って初めてしたわ」
明が今度はポリポリと照れくさそうに頭を掻く。
何かと動作が忙しない。
「そうなの?だってあたし、付き合った事ないんだもん。ハッキリ言ってくれないとわかんないよ」
「マジ!?嘘だろ?周りの男連中、見る目ねぇな〜…」
「だって…!」
「はいはいストップ」
そう言って、その大きな手であたしの口を塞いだ。
「もう、それ以上言うな。
…ただ、しばらくこうしててもいいか?」
そのままあたしがコクンと頷くと、明が優しく頭を撫でくれる。
「あ」
あたしと明が声を上げたのはほぼ同時だった。
【ブルーキャッツ】のオーナーが、喫茶店兼ライブハウスの従業員用のドアから出てきたのだ。
写真を見るよりずっと若く、背が高くて体格もガッシリとしている。
そのごましお頭でさえも素敵に思えた。
ドアに施錠をしたオーナーは、加えていた煙草に火を付けると、あたし達に向かってウィンクをし、店の傍に停めていた大型バイクにまたがり、颯爽と去っていった。
なんてダンディーなおじさまなんだろう。
明もそう思ったのか、二人で顔を見合わせ笑い合う。
そして、どちらからともなく、また抱き締めあった。
ふと明の腕の中で、あたしは夜空を見上げた。
もう夜の帳は下りきり、雲一つない澄みきった空に満月が浮かんでいる。
まるであたし達を祝福しているかのようだった。
もしかして、今までの人生は辛い事ばかりだったが、それさえも明に出会う為の試練だったんだと思えた。
これからは、もっとより良い方向に進んでいけるハズ−…明と一緒なら。
あの満月の向こうに、素晴らしい未来がきっと待っている様な、そんな気がした。