あたしは決して、客観的に見ても絵が下手と言う訳ではないと思う。
そりゃあ才能があるなんて露ほどにも思っちゃいないが、単純に絵を描く事が好きなのだ。
高校の芸術科目の選択授業も美術だったし、あたしの唯一の得意科目だ。
なのでこのゲンゴロウも、犬に見えていたなんていささか意外で、あたしは少し驚いた。
いや、ブチのある箇所が明の飼っている犬と同じだったから、そう思ったんだろうけれど。
「マジ?これ猫だったんだ。いやぁゴメン。なんか、ウチの犬に似ててさ」
今日の明は謝ってばかりだ。ライブのステージでは、挑発的に観客を煽ったりしているのに、素顔は意外に腰が低いんだなと思った。
アルバイトとは言え、客商売をしているからだろうか?
それに加え、動物好きと来ればいやが上にでも好印象を抱かざるを得ない。
本当に、どこにでもいる18歳の青年そのものなのだ。
「犬、飼ってるんだね」
あたしが聞くと、明がぱっと顔を輝かせた。
本当に、あどけないローティーンの少年の様な顔をする。
「うん。雑種で、もう10歳のばあさん犬だけどね。
名前はサチって言うんだ」
そう言って得意そうに携帯を開いては、犬の写メールをあたしに見せる。
ゲンゴロウと全く同じ位置にブチのある、なんとも愛嬌たっぷりの犬の顔が画面いっぱいに写っていた。
「可愛い。いいなぁ、あたしもペットが飼いたい」
「杏子ちゃんは何か飼ってないの?」
「うん。ウチ、親が動物苦手だから」
「凄く可愛いよ!…あ、そろそろ出ようか」
明が腕時計を見ながら言う。あたしも時刻を確認すると、現在21時30分だった。
いつの間にこんなに時間が経っていたなんて…いつだって楽しい時間ほどあっと言う間に過ぎる。
会計は明が済ませてくれ−あたしは何度もお礼を言って、「ファミレス奢ったくらいで、そんなにかしこまらなくていいよ」と笑われた−二人で店を出た。
22時からアルバイトと言っても、職場がすぐそこなので、バスで帰宅するあたしをバス停まで送ると明は申し出てくれた。
「そんな…明さん、これからバイトなのに、大丈夫だよ」
「いいっていいって!もう夜も遅いしさ。って言うかさ、同い年なんだから明でいいよ」
「はぁ…」
そう言われたからっていきなり呼び捨ては恐れ多い。
ものの数分でバス停に着き、あたしは既に数人が待っている列に並ぶ。
「今日は楽しかったよ。ありがとう。」
明があたしを真っ直ぐに見つめて微笑んだ。
本当に、優しい表情だった。
「そんな…あたしこそ、ごちそうさまでした。ありがとうございました」
あたしは深々と頭を下げる。本当に今日は、明と二人で過ごせて、色んな話が出来て、色んな顔の明が見れて、神様仏様にもお礼を言いたい気分であった。
この想い出があれば、明日からの単調な日々も乗り切れるだろう。
「そう言えばさ…俺、大事な事を聞くの忘れちゃってたんだけど」
あたしの横で一緒にバスを待ってくれている明が、バツが悪そうに言った。
「え?何?」
あたしは思わず明の顔をじっと見た。
なのに明はあたしから目を逸らしたまま、呟く様に言った。
「……杏子ちゃんは、彼氏とかいるの?」
えっ?
どうして?
どうして、そんな事を聞くの?
そんな事聞かれたら、恋愛経験ゼロのあたしは、どう答えたらいいかわからない。
「え…いないけど…」
かろうじてそう言うと、明は微かに笑うと、
「そう。…良かった」
とだけ言った。
えっ?
良かったって?
何が、良かったの?
それは一体、どういう意味?
生まれてからあともう少しで19年間、【彼氏】という存在を知らないあたしは、どうしたらいいかわからない。
「え…明さ…いや、明は…?」
「あ!ほらバス来たよ!」
あたしの精一杯の問いには答えず、明が声を上げる。
なんとも素晴らしいタイミングで、あたしを家路へと運ぶバスがやってきた。
バスが停車し、ドアが開くと乗客が順番に入っていく。
嫌だ。
乗りたくない。
明の、答えを聞きたい−…。
バスのステップに足をかけて乗り込んだ瞬間、あたしは振り向いた。すると明が手を振りながらまた声を上げる。
先程よりも、大きな声だった。
「俺もいないよ!じゃあ気を付けてね!バイバイ!」
その言葉が耳に入った瞬間、あたしの鼻先でドアがプシューと音を立てて閉まり、バスは動き出した。
「明…!」
窓から明の姿を必死に追うと、しばらく彼はバス停で手を振ってくれていた。
あたしも、それが見えなくなるまで見つめていた。
他の乗客からの不審な視線が突き刺さるが、少しも気にならなかった。
明は、自分には恋人がいないと言った−…。
いや、だからと言って自分が明の恋人になれるなんて、身の程知らずにも程があると思っていた。
そんなこと、ある訳ないと。
だけど−この胸の高なりは一体、なんなのだろう?
ああ、ダメだ。
あたし、どんどん底無し沼にハマってしまう。
もはやまともに機能することが不可能となったあたしの頭と心は、確かにその予感だけをしっかりと感じていた。
そりゃあ才能があるなんて露ほどにも思っちゃいないが、単純に絵を描く事が好きなのだ。
高校の芸術科目の選択授業も美術だったし、あたしの唯一の得意科目だ。
なのでこのゲンゴロウも、犬に見えていたなんていささか意外で、あたしは少し驚いた。
いや、ブチのある箇所が明の飼っている犬と同じだったから、そう思ったんだろうけれど。
「マジ?これ猫だったんだ。いやぁゴメン。なんか、ウチの犬に似ててさ」
今日の明は謝ってばかりだ。ライブのステージでは、挑発的に観客を煽ったりしているのに、素顔は意外に腰が低いんだなと思った。
アルバイトとは言え、客商売をしているからだろうか?
それに加え、動物好きと来ればいやが上にでも好印象を抱かざるを得ない。
本当に、どこにでもいる18歳の青年そのものなのだ。
「犬、飼ってるんだね」
あたしが聞くと、明がぱっと顔を輝かせた。
本当に、あどけないローティーンの少年の様な顔をする。
「うん。雑種で、もう10歳のばあさん犬だけどね。
名前はサチって言うんだ」
そう言って得意そうに携帯を開いては、犬の写メールをあたしに見せる。
ゲンゴロウと全く同じ位置にブチのある、なんとも愛嬌たっぷりの犬の顔が画面いっぱいに写っていた。
「可愛い。いいなぁ、あたしもペットが飼いたい」
「杏子ちゃんは何か飼ってないの?」
「うん。ウチ、親が動物苦手だから」
「凄く可愛いよ!…あ、そろそろ出ようか」
明が腕時計を見ながら言う。あたしも時刻を確認すると、現在21時30分だった。
いつの間にこんなに時間が経っていたなんて…いつだって楽しい時間ほどあっと言う間に過ぎる。
会計は明が済ませてくれ−あたしは何度もお礼を言って、「ファミレス奢ったくらいで、そんなにかしこまらなくていいよ」と笑われた−二人で店を出た。
22時からアルバイトと言っても、職場がすぐそこなので、バスで帰宅するあたしをバス停まで送ると明は申し出てくれた。
「そんな…明さん、これからバイトなのに、大丈夫だよ」
「いいっていいって!もう夜も遅いしさ。って言うかさ、同い年なんだから明でいいよ」
「はぁ…」
そう言われたからっていきなり呼び捨ては恐れ多い。
ものの数分でバス停に着き、あたしは既に数人が待っている列に並ぶ。
「今日は楽しかったよ。ありがとう。」
明があたしを真っ直ぐに見つめて微笑んだ。
本当に、優しい表情だった。
「そんな…あたしこそ、ごちそうさまでした。ありがとうございました」
あたしは深々と頭を下げる。本当に今日は、明と二人で過ごせて、色んな話が出来て、色んな顔の明が見れて、神様仏様にもお礼を言いたい気分であった。
この想い出があれば、明日からの単調な日々も乗り切れるだろう。
「そう言えばさ…俺、大事な事を聞くの忘れちゃってたんだけど」
あたしの横で一緒にバスを待ってくれている明が、バツが悪そうに言った。
「え?何?」
あたしは思わず明の顔をじっと見た。
なのに明はあたしから目を逸らしたまま、呟く様に言った。
「……杏子ちゃんは、彼氏とかいるの?」
えっ?
どうして?
どうして、そんな事を聞くの?
そんな事聞かれたら、恋愛経験ゼロのあたしは、どう答えたらいいかわからない。
「え…いないけど…」
かろうじてそう言うと、明は微かに笑うと、
「そう。…良かった」
とだけ言った。
えっ?
良かったって?
何が、良かったの?
それは一体、どういう意味?
生まれてからあともう少しで19年間、【彼氏】という存在を知らないあたしは、どうしたらいいかわからない。
「え…明さ…いや、明は…?」
「あ!ほらバス来たよ!」
あたしの精一杯の問いには答えず、明が声を上げる。
なんとも素晴らしいタイミングで、あたしを家路へと運ぶバスがやってきた。
バスが停車し、ドアが開くと乗客が順番に入っていく。
嫌だ。
乗りたくない。
明の、答えを聞きたい−…。
バスのステップに足をかけて乗り込んだ瞬間、あたしは振り向いた。すると明が手を振りながらまた声を上げる。
先程よりも、大きな声だった。
「俺もいないよ!じゃあ気を付けてね!バイバイ!」
その言葉が耳に入った瞬間、あたしの鼻先でドアがプシューと音を立てて閉まり、バスは動き出した。
「明…!」
窓から明の姿を必死に追うと、しばらく彼はバス停で手を振ってくれていた。
あたしも、それが見えなくなるまで見つめていた。
他の乗客からの不審な視線が突き刺さるが、少しも気にならなかった。
明は、自分には恋人がいないと言った−…。
いや、だからと言って自分が明の恋人になれるなんて、身の程知らずにも程があると思っていた。
そんなこと、ある訳ないと。
だけど−この胸の高なりは一体、なんなのだろう?
ああ、ダメだ。
あたし、どんどん底無し沼にハマってしまう。
もはやまともに機能することが不可能となったあたしの頭と心は、確かにその予感だけをしっかりと感じていた。