あたしは、生来口下手な性格のお陰で、明の話を聞いては相槌を打ってばかりだった。
それでも、充分楽しかった。

明の通っている大学の話。
ほぼ大学には寝る為に通っているものだという事。
大学ではバスケのサークルに在籍しているが、バンドとアルバイトで忙しくて幽霊部員になってしまっているという事。
通っていた教習所では、仮免試験も卒業試験も一発合格だったが、最後の砦である免許センターでの学科試験を一夜漬けで挑んだが撃沈、来週また受験しに行く−という事。

「…って、なんか俺ばっかり話ちゃったね。杏子ちゃんの事も聞かせてよ」

と明はあたしは学生だと思ったらしく、どこの大学か訊ねられた。
今の自分の社会的地位−学生でもなければ社会人でもない、微妙な立ち位置にいる事を話さなければならないのは、正直戸惑った。
でも嘘を吐く理由もないので、正直に身の上を話した。
高校卒業後は、家の経済的事情から就職志望だったが、卒業までに内定がもらえず、フリーターだと。
あくまでさらりと、必要最低限の事のみを、だったが。明と言えども、やはり同情はされたくない。

「そっかぁ…。今なかなか仕事ないもんねぇ。何か、いい仕事があればいいけどさ」

「そうだね…」

「で、バイトは何してるの?」

「あ…S駅の近くのKYマートで…」

「マジ!?俺もあそこのKYマートでバイトしてるよ!実は、今日もこれからバイト」

なんと明は同業者だった。
明はこの街のベッドタウン的存在である隣の市・I市に家族と同居している。
なのにアルバイト先は、このファミレスから道路を挟んで数百メートルの位置にあるKYマート。
勤務シフトが夜の22時から翌朝8時までなので、中心部から遠い家の近くで働くよりは、交通の便が良いこちらの方がいいらしい。
そのまま大学に行って、寝ている事がほとんどだと言う。

大学の学費は親に出してもらっているが、それ以外は全て自分がアルバイトで賄っているのだとも言った。

「コンビニのバイトってさ、意外に大変だよね」

明がコーラを口に運びながら、実感たっぷりに言う。
それが妙におかしかった。
明もレジを打ったり、店内をモップ掛けしたり、納品されたお弁当やサンドイッチを店頭に並べたりしていると思うと、親近感がぐっと増した。

「深夜って、お客さんが来なくてラクそうだけど」

「いーや、そうでもないよ。ここら辺って、居酒屋とか多いじゃん。
酔っぱらいとか来ると、マジで最悪」

それからは同業者同士、アルバイトの話で盛り上がった。
嫌なお客の事、失敗して店長に怒られた事、上司や同僚の愚痴−気が付けばあたしからも話題を提供し、質問をし、会話を投げ掛けていた。
こんなに明と楽しく会話が出来るなんて、信じられなかった。

アルバイト談義が一段落すると、明は再びあたしからの手紙に目をやった。

「…でさ、杏子ちゃんからの手紙でもう一つ気になった事があって」

明は便箋に描かれた−もちろんそれはあたしが描いたものだ−ある動物のイラストを指差した。
実を言うと、彼はあたしのモチーフ・キャラクター的な存在なのだ。

「これさぁ、俺の家で飼ってる犬に凄く似てるんだよね」

明は子供の様に無邪気に笑いながら、そのイラストを見つめている。
そんな明を見るのは、本当に微笑ましい。
なんだか今日はあたしの知らない明の色んな顔が見れた−だがこれだけは言いたい−言わせて欲しい−。

「…あの、実はそれ、猫なの」

「……えっ?」

彼の誕生秘話は、高校三年の学校祭準備期間中に遡る。
あたしの通っていた高校では、学校祭用に各クラスで着るTシャツを用意しなければならない。
そのTシャツのワンポイントデザインをクラスで募集した際に、あたしの描いた彼が採用されたのだ。

何故猫なのかと言うと、あたしのクラスの副担任で加藤と言う初老の古典教師がいた。
真っ白な白髪が特徴で、身体が骸骨の様に痩せていた。
寡黙な性格で表情も乏しく、授業中もまるで囁く様に話し、生徒の挙動にもまるで無関心。
彼の授業を真面目に聞いている生徒はほとんどいなかった。
そんな加藤先生だったが、実は大の猫好きらしく、家で十匹以上猫を飼っていると言う噂が立った。
それを聞き付けたクラスのお調子者の男子が、先生が教室に入り授業が始まった瞬間−…。

「先生、猫をたくさん飼ってるってホントですか?」

と聞いたのだ。
するとどうだ、先生の顔は今まで見たことのないぐらいほころび−と言うか笑っている顔なんて誰も見た事がなかった−それから授業が終わるまでの約一時間、飼っている猫一匹一匹の名前や性別、年齢から毛並みの色や性格や癖まで丁寧に聞かせてくれた。
まるまる授業が、彼の猫談義で終わったのである。
あんなに生き生きと話す加藤先生を見たのは、最初で最後だった。

そして、あたしが描いた彼は、加藤先生と一番付き合いの長い雄猫【ゲンゴロウ】のつもりだ。
右耳と左目の周りに、黒いブチがトレードマークだ。
まぁ学校祭の頃には、先生の猫談義なんて誰も覚えてはいなかったが。
そう言えばあの授業の後、まどかが「あんなんだから加藤って、独身なんじゃない」と評していたのを思い出した。