明日、高篠先生と一緒に笑って恋が始まる。


どうしよう…。

このままじゃ…。




アタシのカラダに回す先生の手を解くことができない。

それどころか振り向くことすらできない。


「震えてる?」


また耳元で先生の囁く声が聞こえる。


先生の質問に答えられない。

首を左右に振るだけで精一杯。





今までに…

人を好きになったことくらいある。



なのに。


なんなの、この感情。

初めて。

自分で自分がコントロールできなくなるような。




いや…だ。

こんなのおかしい。



何かが狂ってる。

そうだ、アタシが狂ってるんだ。






だってアタシ、
先生のこと苦手で…

一緒にいたくなくて…。


「やっ…やだ…!」


アタシは抵抗をしたつもりだった。


でも先生は言う。

「何言ってるの?
…言葉で拒否したってカラダは抵抗していないじゃないか」

そう、
先生の言うとおりだった。


言葉でしか…
カラダは先生を押しのけることもせずそのまま受け入れている。



「……」

「それとも…やめるか?」


わからない。

でも…
なんなの…
この初めて触れるような人の温かさ。


いつも独りだったアタシの中にすんなりと先生は入ってきた。


いつも先生を敬遠していたのは…

先生が本心を隠しているから
近寄りがたいって思ってただけじゃなくてもしかしたらこうなるかもしれないという自分がいたから?



先生はアタシと似てる…?


…そうなの…?







---from 龍之介---


薄暗い化学準備室。

薄暗いせいかとても静かだ。

いつものようにパソコンの電源を入れて画面を見つめ作業をする。


生徒の学習に役立つデータを表にして近いうち授業で配るつもりだった。


静かに作業している俺とは対照的に今は昼休みでこの教室の向こうの廊下では生徒たちの笑い声や廊下を走る足音がにぎやかに聞こえる。



でも

それでもここは静かだ。




そして
もうすぐ準備室に生徒がやってくる。

実験の準備のため。


この前は…そうだ、雨霧だった。

だから今日は違う。


「雨霧 葵…」

声に出して彼女の名前を呼んでみる。

そしてあのときのことが脳裏に蘇る。


…雨霧とぶつかったことを思い出していた。

俺が過剰に意識していただけで雨霧も他の生徒と同じなんだろうか。




あのとき…

そう思ったはずなのにやっぱり今となっては彼女は特別だと思っている自分もいた。


ぶつかってすぐ横にあった空き教室に連れ込んだとき雨霧は俺のことを怯えた目で見ていた。

少なくとも俺は生徒から嫌われているとか評判が悪いとかそういうのは一切ないつもりだ。



だからそんな目で俺のことを見る生徒なんて…いない。





特に女生徒から怖がられているとか怯えられているなんてそんなことはありえなかった。


たとえ教室に連れ込んだとしても。


だから
彼女のそんな表情に正直、少し驚いた。


そして雨霧のその顔を見たとき胸が痛んだ。

どんな感情にしろ、
人に対して好きだとか嫌いだとか感情を抱くことはほとんどなかったのに。


面倒だからと、
すべて捨ててきたはずだったのに。



雨霧は違う。

とても自分が悪者に思えて…
彼女を傷つけてしまった…
と思った。


「哀しい」

と思った。


そしてゆっくりと準備室の壁にかけられている時計を見る。

もうすぐ…来るか…。

そう思うと同時にドアをノックする音がする。

さて、愛想よく生徒を迎えて一緒にさっさと用意しよう。

そして早く教室へ戻ってもらおう。

俺は机の上に置いてある資料を片付けながらそう思った。