ギシ……――

床板のきしむ音。その音で少女は目を覚ました。
帰ってくるはずのない人を待っているうちに寝てしまったらしい。
ゆっくりと伸びを大きくし、音のする方を向く。

「起こしたようだな、悪い」

「……謝られても、困る」

そこに立っていたのは、男。
深夜に姑獲鳥から少女を助けた、あの男。
烏の濡れ羽色と形容される事の多い艶やかな黒髪、それと同色の瞳
絹のようにきめ細かな白い肌。
妖艶で美しくも恐ろしい鋭い切れ長の目。
口元は、男としての色気を周囲に強く感じさせる。
目元も、口元も、首元も、すべてが艶めかしく、美しい。
そんな彼に黒いスーツはとてもよく似合う。

大部分が、少女と同じ。
違う事と言えば、彼女の髪が男と違い、腰まで届くほどに長い事、
男としての色気ではなく、女としての色をもち、幼さも残っている事だけ。

「陽、また今日も待ってたのか」

「午前6時……また朝帰り」

男は少女――陽に問いかける。だが少女はツンと顔をそらし、時刻を確認する。
外が朝靄に包まれ、朝の太陽が顔を出し始める時間だった。

「怒ってる?」

「……別に」

一貫して陽は男にそっけない。
洗面所へ向かおうと立ち上がる陽の腕を男はつかんだ。

「陽、悪いけど俺は……」

「早く帰る気はない。もう、聞き飽きたよ。その言葉」

陽は男の腕を払う。
去っていく小さな背中。その背中を、じっと男は見つめていた。
その時に、少女のつぶやきが耳へと入り込んできた。

「嫌いよ……父さんなんか」


『嫌い』。分かりきっていた言葉だ。
でも、改めて言葉にされれば、それは深く心の奥底に響く。
父一人、娘一人で15年間生きてきた。
今や娘も16歳。難しい年頃になり、恐れていた事が起きた。
それでも、早く帰る事は無理だ。

目的を達せなければ、早く帰るという行為を男自身が許さない。
たとえ娘にどれほど嫌われようとも、達せねばならない目的。
それまでは――。

そこまで思考を行きわたらせ、
男――秀明は大きな欠伸を一つ。
そろそろ寝床につくとしようか。
どうせ、仕事は昼に出勤しても良いのだし。