嫗山、某所。
そこを訪れる少年がいた。黒髪は風でなびかれながら、華やかな香りをあたりに振りまく。目線を上げ、まっすぐ山小屋を見つめる。
そして足を進めようとしたとき、呼び止められた。
「それ以上行くな。死ぬぞ」
「……」
呼びとめたのは、黒髪に同色の瞳をもつ、黒いスーツをまとった男だった。少年は目を細め、男を見つめる。口にくわえられたタバコの煙が、ゆらりゆらりと立ち上って、風にさらわれて消えていく。だがそのタバコの煙に何か不思議な気配を感じた。
「式神……。それで妖力を探ってここに来たですね。秀明さん」
「!」
少年は一瞬でその煙の正体を突き止めた。そして男の名前も。秀明は少年を睨みつける。長い黒髪は風に揺れている。彼には何も感じない。妖気がないという事は、人間なのだろうが、なぜ自分の事を知っているのだろう。
「お前……」
「嫗山の昔話、知ってますか? 貴方の知りたい答えは、そこにありますよ」
秀明の言葉が終わる前に少年はすれ違い、立ち去っていった。ふわりと、また黒髪が風にさらわれ、ゆらりと揺れる。癖のある黒髪を見つめ、秀明はくわえていたタバコを捨て、山小屋のほうを向く。
「嫗山の昔話……」
あの少年の言葉に素直に従うのは癪だが、この山の昔話は気にかかる。それでこの事件に関与する妖怪が分かれば、しめたものだ。
「恐ろしく気が進まないが、室井に聞いてみるか」
その手の話は室井に聞けば喜んで話してくれるだろう。余計な話を聞かされるので恐ろしく気が進まないが。ちょうど電話も白峰からかかってきた。
『早く、来てください』
「はいはい」
また出勤の催促。事件の取材が思うように進まずに、イラついているのだろう。どうせ。
大きく息を吸い込み、また吐き出す。ともかく、部下を怒らせないうちに秀明は出勤する事とした。実に、三日ぶり。