晩ご飯が済むと、洗い物をさせられた。ガスレンジ磨きも毎日させられた。

その間、祖父は寝、祖母は下の弟とテレビを見る。あたしとすぐ下の弟は、テレビも見せては貰えなかった。テレビが見れるのは、祖母をマッサージしながらだけ…やっていたのは…水戸黄門。

友達と話が合うはずもなかった。

学校でテレビの話しはついていけない。田舎で片親な家庭は皆無。まして、両親不在なんて…周りは見たの初めてだったようだ。

それでも、最初は何とか友達に混ざっていたが…周りと違いがあまりにもあった。

まず、あたしは昭和も後半の子供だが…お弁当…キツかった。ドカベンて初めて見た。アルミの大きなお弁当箱のことなんだが。それの4分の3にご飯…4分の1には汁だくさんの前の日の残り。それを新聞紙で包まれ、持たされた。

日曜日に遊びに誘われても、遊びに行けることはなかった。なぜなら、日曜日は畑の手伝いがあったから。
また、どこかに行くときは学校の制服だった。あとは…ボロボロのお古。パンツまで…お古。学校の身体検査が苦痛だった。

そんな状態で、いじめに合わないわけがない。あたしは恰好のいじめの対象になった。

これで唯一ホッと出来る場所も失った。