―『先輩のボタン、私にいただけませんか』


 そう云ってから、少しの沈黙が広がった。


 …云えた…。云っちゃった…。

 返事を待つのが、怖い。

 …あれ? 先輩の上着、ちゃんとボタン残っていたっけ…?

 さっき、泣きながら走り去った2年生。彼女も、先輩にボタンを貰いにきたのでは…。

 モテる先輩だもの、ボタンなんか一つも残っていないかも知れない。

 ううん、HRのせいで出遅れちゃったもん。…残ってる筈ないよね…。



 そこまで考えると、落胆と、恥ずかしさがどっと押し寄せて来て、益々泣きたくなってくる。

 有は、俯いてしまったままの姫乃を無表情にただ見ていた。

 やがて、姫乃は恐る恐る顔を上げ出す。

 赤くなったと思えば、蒼くなったり。くるくると変わる表情。

 そろそろと顔を上げて、上目使いに有の顔を覗くその表情が、なんとも怯えた仔猫のようでいじらしく、有には姫乃がとても可愛く見えた。

 有は、ついぞ妹以外の女の子を可愛いと思ったことなど、一度もなかった。


 目の前のこの華奢な女の子を、なかなか会うことの出来ない妹に重ねていたのかも知れない。

 有は一瞬、いつもは引き結んでいる口唇をふうっと緩めて微笑んだ。

 それは、固い蕾が花をひらくように、うっとりするような甘美な笑みだった。




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