この数十年、生きてきた証として残したい。
わたしの運命の印を。
彼ら、彼女らと知り合えたのは宿命だったと信じたい。
わたしが物心ついた頃、すでに母親と弟の3人暮らしやった。
でも別に淋しいと思うことはなかった。
父親がいたことがないからそれが普通と思っていたから。
でも周りの家には父親の姿が。
「なんで里美ちゃんにはお父さんいなんだろうね。あげれないけどたまになら貸してあげてもいいよ。」
小さいながらにわたしを不憫に思ったのか、近所に住む知恵ちゃんが言った言葉をわたしは今でも忘れない。
初めての友達。
その友達というものの優しさに初めて触れたときやったと思う。
「ううん、いいよ。知恵ちゃんにお父さんいなくなったら淋しいでしょ?」
そしてこう返したことも忘れてない。
借りて返したくなくなることをわたしは恐れた…ううんそうじゃない。
欲しくなんてないと小さいながらに自分に言い聞かせていた。
そんな知恵ちゃんとの別れは早かった。
わたしたちが引っ越すことになったから。
母親に男が出来てわたしたちに父親が出来ることになった。
その人の家に引っ越す。
「知恵ちゃん、わたしにもお父さん出来るんだよ。」
「ほんと!?でも里美ちゃんがいなくなるんだったらうちのお父さん貸してたほうがよかったよ。」
泣きながら知恵ちゃんは言った。
初めて出来た友達とわたしは別れた。
このとき知恵ちゃんほど淋しいという想いはなかっただろうと思う。
だってお父さんが出来るってことがあまりにも嬉しかったから。
わたしはまだ、知らなかった。
これから始まる辛さを。
お父さんとこれから呼ぶ人の家は飛行機で移動する距離だった。
お母さんがなんでこんな遠い家の人と付き合ってたんだろうとかそんなのはこのとき思うはずもなく、ただ嬉しさばかりが心にはあった。
今思うと、これがわたしの人生が崩れていく始まりだったと思う。
わたしの不幸はここから始まった。
でも…不幸ばっかりやない。
幸せやってあった。
でも暫くは不幸続き…。
お父さんの家はアパートの一室だった。
前に住んでたところと同じくらいの大きさ。
2LDK。
ドキドキしながら見たお父さんは笑ってわたしたちを迎えてくれた。
まず弟の裕太を抱き上げた。
そして次はわたしなんだとドキドキ待った。
だけどお父さんの手は裕太にしか伸びず、わたしには目も向けてくれなかった。
どうしてなんだろう??
あ、たぶん明日はわたしの番なんだ。
そう思って我慢した。
でも次の日も、そして次の日もお父さんは裕太とばかりお風呂に入ったり、一緒に寝たりしていた。
「わたしも!!!」
その一言が言えない幼少時代。
裕太は幼稚園に行っているのにわたしは家で留守番。
お母さんが作って行った冷めたご飯をお昼は1人で食べた。
たまに涙でしょっぱかった。
小学校になると留守番をせずに済んだ。
学校に行くことになったから。
初めてお父さんにもらったランドセル。
でも、少しボロボロやった。
同級生に
「汚いランドセル、貧乏人。」
と言われるとお父さんとお母さんがバカにされた気がして歯向かうことだってあった。
そのたびに先生がお母さんに電話してお母さんは
「あんたなんかいらない。」
と冷たい顔で言った。
お父さんとお母さんをバカにされたくないからやったことだったけどわたしは嫌われてしまった。
いけないことをしたんだ。
そう思って同級生に何を言われても、何をされても何も言い返す、やり返すことをしなかった。
ずっと黙っていたから友達も出来なかった。
ずっと1人だった。
変人扱いされとった。
飼育小屋の小動物と話をしてた。
返事は返って来ないのに。
それでさらに変人扱いされた。
学校が全く楽しくなく、毎日辛かった。
家に帰ると拭き掃除やお茶碗洗いを毎日お父さんに日課にされてた。
そしてたまにお父さんが強くわたしを叩くことも始まった。
それは痛くて痛くて…。
でも嫌われたくないから黙っていた。
たまにお母さんがコッソリ冷やしてくれとった。
そして2こ下の裕太も小学生になった。
裕太は真っ黒のピカピカのランドセルを買ってもらってた。
入学式用のかっこいい洋服も買ってもらった。
でもわたし、入学式のとき何も買ってもらったりしなかった。
ランドセルだって誰かが使い古したものだったし。
この頃くらいからわたしは裕太との差に確信を得た。
どうして裕太だけが可愛がられて、わたしはお掃除させられたり、すぐ怒られたりぶたれたりするんだろう。
声を殺して夜泣いた。
隣の部屋のお父さんとお母さんと裕太に聞こえないように。
その理由を知ったのは小学校5年生の時だった。
お父さんの母親、つまり祖母から聞かされた。
「あんただけ本当の家族じゃない。知らんかったろ?裕太はお父さんの本当の子どもだから可愛いけどあんたは誰の子かわからないからわたしらからしてもかわいくもなんともない。邪魔になる子だ、本当に。」
わたしの感情なんてまるっきり無視して言われた。
わたしがそのときどう思うかなんて、祖母は考えもしなかっただろう。
ただ、自分の感情をぶつけたかったんだろう。
まだ小学校5年のわたしには辛すぎる言葉だった。
その日、食べ物がノドを通らないほどのショックを受けた。
何がショックだったかって聞かれたらどれがショックだったのかわからない。
1人だけ違うということ、邪魔と言われたときにわかった、わたしは嫌われているということ、かわいくないと言われたこと。
でも、そんなわたしを心配する人は誰もいなかった。
もちろん友達もいない。
先生だってわかってくれなかった。
おとなしい子だといつも通知表に書くだけ。
おもちゃも買ってもらえないわたしは常に1人ぼっちだった。
わたしの不幸はまだ終わらなかった。
中学校の制服ももちろんおさがりだった。
最初からわかっていたけど少しだけ期待していたわたしはかなり落胆した。
中学校になると父親が母親とわたしに酒を飲んでは暴力をふるった。
でも裕太にだけはなぜかふるわなかった。
わたしは真っ赤に殴られそのまま学校へ行った。
先生に聞かれても絶対言うな。
言ったら追い出す。
母親にそう言われていた。
追い出されることがこわかったわたしは心配してきた先生に
「ゴメンナサイ、自分でやりました。」
そう繰り返した。
疑われたかもしれないけど、先生もめんどくさかったのか何も言ってこなくなった。
そしてその自分でやったという噂が流れ、わたしは更にまた、変人扱いされた。
冬の寒い日もコートも着らず、ヨレヨレになった穴のあいたところを自分で補正した学校指定の靴下を履いて登下校を繰り返した。
そして中学2年の春、母親はついにわたしと裕太を連れて父親から逃げた。
母親の姉の家へ。
そこはまた飛行機で行く遠いところだった。
その時、母親がわたしも連れて行ってくれたことがすごく嬉しかった。
嫌われてなかった、お母さんはわたしを助けてくれたと。
場所は関西の方だった。
母親の姉はシングルマザーで、初めて会ういとこは男で中学3年。
名前を洋介といった。
あかるい茶髪で口にピアスが開いているかなり荒れた人だった。
洋介くんがどっかからかわたしの制服をもらって来てくれた。
その制服はかなりスカート丈が短く、セーラーの丈も短かった。
改造されまくったものだった。