「拓巳?」
「なんだよ」
それからすぐ、不意に名前を呼ばれて顔を上げる。
横を見れば、妃那は俺の顔を見て一瞬目を見開いて、それから「情けない顔!」と指差しながら声を上げて笑った。
失礼な奴。
「生まれつきだっつーの」
「知ってる」
妃那は笑った。
俺の大好きな顔で、笑った。
「なんで拓巳なんだろうねー」
「は?」
「でも拓巳じゃないとダメなんだよねー」
何を言っているんだ?
意味が分からないが、それでもなんとなく意味深な言葉。
淡い期待を抱いて妃那を見つめると、「調子乗らないで」と馬鹿にされた。
ですよね。
「ねぇ、拓巳?」
妃那はもう一度俺の名を呼んだ。
妃那に呼ばれるだけで自分の名前の意味が変わる気がする俺は、相当妃那に嵌っているんだろう。
「ん?」と首を傾げたら、
妃那はほんの少し迷って、それから「ちょっとそこに止まって」と俺の歩みを止めさせた。
意味も分からず反射で立ち止まると、それを確認した妃那が数歩だけ前に歩いて振り返る。
そして両腕を胸の前で組んで、
「一回しか言わないから、よく聞きなさい!」
そう言いきった。
彼女は、いつもと変わらず高飛車で、偉そうで。
それでもほんの少しはにかんでいた。
その表情を、この瞬間を、そして声を、俺はずっと忘れないだろう。