夏乃は怪訝そうにあたしを見る。
あたしはと言えば、携帯に視線を戻しながら「分かってるよ」と答えた。
しばらく感じた視線は、「ならいいけど」という半ばしぶしぶとも取れる言い草の夏乃の言葉と共に離れた。
やっぱり夏乃はあたしのことよく分かってる。
そう思って苦笑して、完成したメールを送信する。
『あたし、ミスコンに出ることになったよ★』
たったそれだけ。
拓巳、なんて返事くれるかな。
中学生のときみたいに「なんだよそれ、間違っちゃったコンテスト?」って悪態つくのかな。
それとも、素直に「おめでとう」って言ってくれる?
胸に抱く期待は明るい返事ばかりで、
希望ばかり願ってた。
だから、
ブーッブーッブーッ
「来た来た!」
返信が来たっていうだけで、あたしは浮かれていて。
(だって、返信すら来ないかもって少しは思ってたから)
なんの心の準備も無く、
疑いも無く、
受信したメールを開いたあたしの心は
「───っ!!!」
一瞬で、打ち砕かれた。
「・・・妃那?」
携帯を見つめたまま固まったあたしを不審に思ったらしい夏乃に声を掛けられる。
けれど、その声もどこか遠くで響いた。
From:拓巳
Title:無題
────────────
もうメールしてくんな
ウザイ
―END―
───・・・もう、限界だった。
「ちょっと妃那っ!!!」
あたしは勢い良く立ち上がると、人目も気にせず教室を飛び出した。
夏乃の慌てた声なんて振り切って、ただ走って走って、
一応有名人なあたしだからあちこちで名前を呼ばれたのは分かったけど、
全部振り切って、あたしは階段を駆け上がった。
誰もいないところに行きたかった。
バンッ
と勢い良く扉を殴るように開ける。
ジンジンした手のひらをそのままに、あたしは外に一歩を踏みだした。
───屋上───
それが、あたしの選んだ場所。
入ってすぐ、フェンスの片隅に目が止まった。
切れる息をそのままに、ふらふらと引きずられるようにそこにたどり着いて、座り込む。
「・・・っ!!!」
たった2週間前。
あたしはここで笑ってた。
拓巳。
夏乃。
海斗君。
瑞樹先輩。
大好きな人たちに囲まれて、幸せで、そんな日常が当たり前だった。
もう拓巳はいない。
瑞樹先輩とも気まずい。
夏乃に嘘をついちゃった。
海斗君に壁作っちゃった。
幸せはどこかに消えて、あたしはたった一人だった。
どこから崩れてしまったんだろう。
あたし、何を間違えた?
自分は決していい性格じゃないの、分かってる。
でもこんな風になるなんて、ちっとも思ってなかったんだよ。
思わないでいられたのは、
悔しいけど
アンタのおかげだったんだよ。
拓巳が欠けた自分が、こんなにも弱いなんて、想像したこともなかった。
それくらい、拓巳が側にいることは当たり前のことだった。
「拓巳・・・っ!!」
ねぇ、いっぱいいっぱい謝るから。
いっぱいいっぱい今までの分のありがとうだって伝えるから。
もう泣かないし、
ワガママだってちょっとにするし、
お菓子だっていっぱい作るし、
応援だって何度でも行くし、
ドライヤーちゃんと自分でするし、
拓巳の行きたいところにも付き合うし、
なんだってしてあげるから。
「───拓、巳ぃ・・・ッ!!」
ねぇ、たくみ。
あたしを、
ひとりに、しないで。
(気付くのが遅すぎたのかな)
(チャンスをください。神様より、拓巳に祈るよ)
(そんな拓巳のいない生活は、色を失って見えた)
「ねぇ、ちょっと。顔貸しなよ」
目の前の女は、俺の胸倉を掴んで有無を言わせぬ顔でにーっこりと笑った。
そのドスの効いた声と笑顔の迫力に固まるのは、俺もコイツの兄貴もクラスメートも同じ。
「・・・分ぁったよ」
もちろん、抗う術なんて有りはしない。
俺は頭を大きく掻きながら、素直にその言葉を肯定した。
来るとは予想していた。妃那に、メールをした時点で。
けれどメールをしてからこんなすぐに来襲されることはさすがに予想外すぎて、上手く対応できなかったのだ。
「海斗も付き合ってよね」
「はいはい、カワイイ妹の頼みは聞くに決まってるよ」
目の前の女───基、夏乃は投げ捨てるように俺のYシャツを話すと、彼女の兄にまでもキツイ口調で言葉を投げかける。
そんなピリピリした空気なのにも関わらず、海斗はといえば「分かってた」とでも言わんばかりに肩を竦めて、余裕たっぷりに笑ってさえいた。
その言葉を聞き終わるよりも早く、夏乃は身が竦むようなきつい目つきで俺を睨みつける。
「何言われるか、分かってんでしょ?」
「・・・」
「覚悟しなさいよ、言い逃れなんて許さない」
そりゃお前ら相手に言い逃れ出来るとは思ってないさ。
覚悟を決めながら「分かってる」と頷いて答えると、思い切り不審な目を向けられた。
「言い訳、一瞬でも考えたら殺すから」
・・・無心で歩こう。そう、心に決める。
(夏乃の読心術は間違いなく本物だ)
「拓巳、お前夏乃になんかしたの?」
夏乃の後ろを歩いていると、何故か海斗にまで冷ややかな目を向けられる。
お前がいんのに夏乃に手ぇ出せるかよ。
首を横に振ると、海斗は「ふむ」と言いながら顎に手を当てた。
「なら、妃那に何かしたわけだ」
「・・・」
「あ、図星?図星なんだ。
だよねー、悔しいけど夏乃って妃那ラブだからねー」
海斗はケラケラと軽く笑い飛ばす。
けれど、言うまでもなく俺はそんな気分じゃないわけで、
ただ無言で無表情で前を行く夏乃の背を見つめていた。
すると、「でもね」と海斗は俺の態度を気にする様子も無く言葉を続ける。
「───でも、夏乃ほどじゃないけど」
「・・・」
「俺だって妃那のこと大切に思ってるんだからな。
変な内容だったら夏乃と一緒にお前ぶっ飛ばすよ?」
思わず海斗に目を戻すと、恐怖さえ感じさせるようなまっさらな笑顔を向けられた。
その裏に潜んだ黒さにさっきの夏乃を思い出して身震いする。
・・・さすが、双子。
変なところで似通ったこの姉弟に恐怖心を抱きつつ、
俺は改めて小さくため息をついた。
こうして、夏乃に引きづられるように俺と海斗は、
使われていない空き教室に連れ込まれたのだった。
***
「遠慮なく本題に入るけど、これ。どういうこと?」
入って鍵を閉めた瞬間夏乃に差し出されたのは、妃那の携帯だった。
まだ付いている俺のプレゼントであるストラップに、なんとなく「馬鹿だなぁ」と思う。
(そして「バカって何よ!」って頬を膨らませる妃那の顔がすぐに思い浮かぶ俺もかなりの馬鹿だとは思うのだが)
ここ2日、逆に妃那から嫌われてもおかしくない行動を俺は取っているというのに、妃那はストラップを外さなかった。
考えるより早く安心感を覚えた自分に、内心嘲笑した。
「───・・・拓巳、どういうこと?」
そんな妃那の携帯画面に映し出されていたのは、間違いなく俺がさっき送ったメール。
その文面を読んだ海斗までが渋い顔をして俺を見た。
その咎めるような心配するような視線から思わず俺は顔を背けて「見たままだよ」と小さく呟く。
その瞬間、
ガンッ
「言い逃れ出来ると思うな、って言ったよね?」
横の本棚を夏乃が殴った。
計算したかのようにバサバサッと上から本が落ちてきて俺の頭を次々殴っていく。
「いてぇ!!」と叫ぶと、「妃那の方が痛がってるわよ」と一刀両断された。
「・・・私、拓巳君は妃那大好きだと思ってたんだけど?」
ふぅ、と気持ちを落ち着かせるように息を付いた夏乃。
頭をさすりながら顔を上げたら、彼女はなんとも不安そうな顔をして俺を見つめていた。
「もちろん、今でも拓巳君が妃那のこと嫌ったと思ってない。
・・・だから、何か考えがあってのことかなぁって思ってる」
「だったらなんで」
だったらなんでそんな怒ってんだよ。
そう言うより早く、夏乃は何処からともなくわら人形を取り出して微笑んだ。
よく五寸釘で打ち込まれるアレだ。
「その考えの内容が多分浅はかだろうなぁっていうのと、
あとは方法の選び方が最悪だっていう怒りかな」
いや、そのセリフの何処にわら人形が必要なんだ!
俺が顔を引きつらせると、「話ぐらい聞こうよ」と海斗が夏乃を説得する。
もちろん本気じゃないわ、って分かりにくいんだよお前の冗談は。
「でも、俺も同感だなぁ。拓巳」
「・・・」
「とりあえずお前の考え話してみなよ」
夏乃から奪ったわら人形を握り締めながら、海斗の目がまた俺をゆっくりと捕らえる。。
その視線は夏乃ととても似ていて、
すごく真っ直ぐで、
妃那を傷つけたと分かっていながらこんな方法しか取れなかった俺を、すごく責めているように感じた。
本当は言わないつもりだった俺の本音。
けれど、その目を見た瞬間ゆっくりと口が勝手に動き出した。
「妃那には、瑞樹先輩がいるだろ・・・」
「「は?」」
視線を逸らしながら紡がれた声は情けないくらいひどく掠れていて、その声が静かな教室に響き渡った瞬間2人は揃って間抜けな声を上げた。
「この間、俺、妃那を傷つけたらしいんだよ。無意識に。
そのことで妃那がすっげぇ泣いて───
なんかもう俺が守りきれねぇって思ったら、急に怖くなって」
俺が近くにいたって意味があるのか。
妃那を傷つけるだけじゃないのか。
俺だって、離れていく妃那をこれ以上見るのは苦しい。
「そもそも妃那にはもう瑞樹先輩っていう存在が出来たんだ。
今更俺が守る云々言う立場でもねぇし、
何よりもう俺には隣に立つ資格は無くなった。
───自分で手放したんだ。妃那を」
無力な自分をこれほど呪ったことはない。
両手を見つめながら、呟いた。
妃那の純粋さに甘えて、
幼馴染という名前に縋って、
妃那から離れたにも関わらず、子どものような我侭で妃那の隣にいることを願ってた。
「これ以上妃那を近くに置いておいたら自分の方がダメになる気がしたんだ。
どうせいつかはこうなる。
さっさと俺が身を引いて瑞樹先輩に妃那を渡しただけだろ」
せっかく覚悟を決めた。
なのに妃那が無垢に笑って俺に近付いて来るから。
隠し切れない欲がどんどん溢れてきて。
そんな汚い自分を見せたくなくて、突き放した。
なのに。
「妃那を見てると苦しくなんだよ・・・っ。
それでも妃那が遠くに行くと、やっぱり悔しくて」
そんなの、ガキじゃねぇかよ。
そう呟いて壁を殴った。
自分でも自分がわけがわからなかった。
矛盾する自分がもどかしくて、歯がゆくて、
言葉に出来ない気持ちが次から次へと溢れて、
でも何かの呪いのように頭から妃那の笑顔が離れない。
ぐしゃりと前髪を握るようにかき上げながら、「妃那」と小さく名前を呼ぶ。
その声は今の俺の心のようにからからに渇いていた。
「夏乃」
「なぁに、海斗」
「わら人形返すよ。思いっきり拓巳呪ってやって」
「あら嬉しい、私もそう思ってたのよ」
「───お前ら人の話聞いてたか?」
頭上で交わされた会話に俺は頭をあげながら顔を引きつらせる。
俺めっちゃまじめにシリアスなこと話してたんだけど?
けれど、その視界に見えた二人の笑顔に、更に引きつって固まることになるのだが。
「なぁ、拓巳?」
「───なんだよ」
いつのまにか2体になったわら人形の1体を手で弄びながら、海斗は俺に問いかけた。
「俺さ。拓巳の症状の名前もどうしてそう思うかの理由も教えてあげられるよ」
「マジで?」
「どっちでも内容は一緒だけどね」
ふふっ、と笑った海斗の言葉に「私も分かるわよ」と夏乃が付け加えた。
教えてくれ、と頼もうとしたが、その前に「でもね」と海斗は言葉を続ける。
「教えるのは簡単だけど、それじゃぁ意味がない───ずっと、そう思ってたんだ」
「海斗・・・」
「正直、拓巳君がここまで鈍いと思ってなかった。
っていうか、鈍いのは大いに勝手なんだけど、人の親友まで泣かさないでくれるかしら?」
海斗の言葉の先を拾った夏乃は、そう言って怖いぐらい綺麗な笑顔を浮かべた。
もちろん俺が覚えるのは恐怖だけ。
そんなこと分かっているのだろう、夏乃は眉1つ動かすことなく、その顔のまま俺に詰め寄った。
「拓巳君?」
「・・・はい」
思わず敬語になる俺。
「仕方ないから教えてあげるわ・・・海斗が」
「俺か」
「さすがの私でも、そこは“男の友情”に譲ってあげる」
夏乃の言葉に「意味わかんね」と呟くと、夏乃は「拓巳君?」と裏のある笑顔で拳を構えた。
「すみませんでした!!」と瞬間的に頭を下げる俺。
(情けねぇなぁ・・・)
───とは言っても、解決してもらうにはこの2人の力を借りるしかない。