「千鶴子さんは、増田さんのこと信頼してたし、『頼りになる男だ』っていつも言ってました」


繁徳は精一杯の賛辞を増田に贈った。


「そうですか。それは光栄ですね」


増田は静かに立ち上がると、繁徳に軽く会釈をした。


「では、私はこれで……」

「あっ、じゃ、またお店で……」


舞と繁徳は時折、バー〈深海〉のステージを聴きに、店に顔を見せていた。

千鶴子が奢ってくれた夕食は、実はとても高くて、二人の小遣いでは手が届かなかった。

なので、二部のドリンクタイムにカウンターで一杯やりながらショーを見る。

増田は、いつも茶目っ気たっぷりにウィンクしながら、舞のシャンパングラスにジンジャエールを、繁徳のグラスにはこっそりビールを注いでくれた。


背を向けて歩き始めていた増田が、突然振り返った。


「そうそう、今度の金曜のステージ、私、ジャズに挑戦いたしますので楽しみにしていらして下さい。

綾も一曲、歌う予定ですしね」

「舞と聴きに行きます」


繁徳の返事に軽く頷くと、増田は足早に歩き去った。


薄紫色のショールをなびかせて歩く千鶴子の姿がそれに重なる。


(千鶴子さん、増田さんがジャズだってさ)


『増田がねぇ』


と、楽しそうに笑う千鶴子の顔が浮かんだ。


(千鶴子さん、本当は増田さんのこと茂さんって呼びたかったんじゃない?

でも、そう呼ぶと、死んだ繁さんへの愛が消えてしまうようで、きっと、怖かったんだね)

どこまでもケジメに拘る、生真面目な千鶴子。


『わかるかい?』


ちょっと照れた顔の、千鶴子がそこにいた。