「せ、先生、……あ、……アレ」

「アレ?」


市川が震える指先で指した方向に目を移すと、そこには―――……。


「……―――!!」


足の数本生えた茶色い昆虫がカサカサと壁を移動している真っ最中だった。

愕然とその姿を見ていた俺は、市川をゆっくりと振り返る。


「……あれ、なんだと思う?」

「ゴキブリに決まってるじゃん!! 早くどうにかしてよっ、先生!

あたし怖くて近寄れないっ……」

「そんなの俺だってっ……」


ちらりともう一度その悪態に視線を移してから、小さく首を振る。


「いやいや……無理だろ。絶対無理だろ。普通の人間じゃ無理だろ」

「だけど早くしないと逃げちゃうよっ! 先生なんだから生徒を守る義務があるでしょ?!」

「生徒を守る義務は認めるけど、それは絶対にゴキブリからじゃねぇな」

「じゃあっ……彼氏なんだから彼女を守る義務があるでしょ!!」


珍しく彼女の権利を主張した市川に、驚きのあまり一瞬言葉を失う。