モラトリアム-Ⅰ






僕のこの感情は恋にすら発展していないのかもしれない。
廊下ですれ違う君の横顔、現代文の授業での小説の朗読の声、放課後グラウンドでマネージャーの仕事こなす背中。
君に直接関わらなくたって、間接的な要素だけで僕はもう満足しているのだから。



今だって、そうだ。

放課後の理科室で君と二人きり。
話しかけるだなんて、とんでもない。

こうして君と同じ空間で同じ時を過ごしているだけで、それだけでいいのだ。
むしろこれも、贅沢すぎる幸福なのだから。





「  はあ、何で日直なんだろうね」
「   え?」
「理科室の片付け、日直に押し付けるなんておかしいよ」




これは、どうゆうことだろう。
彼女は今、僕に話しかけてくれたのだろうか。

いや、何かの間違いだろう、きっとこれは彼女の独り言だ。
思わず素っ頓狂な声を出して相槌を打ってしまったことを、後悔した。

突然響いた彼女の声が、まだ僕の鼓膜を揺らす。
その振動が心臓にまで達してきたのか、鼓動が早くなり、息苦しささえ覚えた。
そんな自分を落ち着かせるために、ひたすら机に目線を落とし自分の右手が押さえる雑巾と睨めっこを始めた。