その日、私は戦場にいた。
 歩行戦車が闊歩し、鉛弾が飛び交い、炎が焼き尽くし、簡単に命が散る……それが当たり前の場所だ。
 搭乗していた歩行戦車が撃墜され、更に自身も銃弾に右の脇腹を撃ち抜かれながらも、戦場から少し離れた岩陰まで何とかたどり着いた私は、なるべく身動きしない事で出血を抑える位しか、取るべき行動が思い付かなかった。
 戦場の真ん中に糧食と救急セットを落としてしまった事を後悔しながらも、重い体を岩陰に横たえる。
 出血が収まり少しでも体力が戻ったら、私は友軍の加勢に行かなくては。
 そんな風に考えていた時だった──彼女らが現れたのは。
 二人組の少女だった。
 戦場には似つかわしくない、そんな風に思った事が印象に残っている。
 片方の少女は、銃弾が私の脇腹を貫通している事を確認すると、手早く応急処置を行ってくれた。
 もう一人はと言えば、手当てを手伝うでもなく、私と雑談していただけだったのだが。
 内容は確か、私の家族──妻や息子や父母の話と、戦争の話。
 何が楽しいのか、彼女は私の話を始終にこにこしながら聞いていたので、随分と話し込んでしまったものだ。
 止血と消毒を済ませ一眠りすると、私の体力も多少は回復していた。
 わずかな携帯食料を私に譲ると、彼女たちは〝また戦場に戻るのか〟と問い掛けてきた。
 私が首肯で答えると、二人は困った顔をしていたな……
 せっかく助けてやった相手が、再び戦場に向かうと言うのだ。
 いい気分はしないだろう。
 だから私は助けてもらった最低限の礼儀として、彼女らに自分が戦わなくてはいけない理由を説明し、納得してもらう事にした。
 理由──それは家族のためである。
 長らく守られていた休戦協定を破り、隣国が侵略を開始したのが、約一年前の事。
 国境付近での攻防は泥沼化し、ここを制した国が勝利すると言われていた。
 今回の作戦には過去最大級の人員と物資が投入されており、これが失敗すれば、勢いに乗った敵軍は一気にこちらの首都まで攻め込んで来るだろう。
 国境の近くに位置する私の故郷は、真っ先に占拠され、敵国の拠点と化してしまうに違いない。
 そうなれば、特に疎開先も無い私の家族は無事では済むまい。
 上官には決して言えない事ではあるが、正直な話、私は国同士の紛争にはあまり興味が無い。
 しかし、国境での戦いの敗北が家族の命運に関わる以上、どんなに危険であっても私は前線で戦わなくてはいけない。
 絶対に、負けられない戦いなのである。
 そんな私の説明に対し、二人は複雑な顔をしたものだ。
 けれども、どれだけ説得されようとも、私は決して屈する訳にはいかない。
 戦いをやめてしまったら、大切な家族を失ってしまうかもしれないのだから。
 家族を失う事。
 私はそれが恐ろしく、しかもそれが十分に起こり得る事が、戦場に帰らなくてはいけない理由なのだ。
 家族を守る為ならば、私は何人だって敵を手にかけられた。


 貴方が育てた その闇は
 貴方を愛した 人たちの
 温もりさえも 奪い去る

 貴方が願う その想い
 貴方を想う その願い
 それらはきっと 同じはず

 どうか無事で いてほしいと──

 貴方のその手に 温もりを
 愛する人たちを もう一度


 不意に、手当をしてくれた方の少女が、歌うように言葉を紡いだ。
 それは詩(ウタ)。
 音階は無く、しかしリズムの良い詩。
 戦争を続けようとする私を、遠回しに非難する詩。
 家族も私の身を案じているは同じなのだ、と言われた気がした。
 なのに、その詩は私に向けられた物ではなかった。
 詩を詠んだ少女の視線はもう一人の少女へ向けられており、視線を受けた彼女はただ頷くばかり。
 その後二人はそれ以上私を非難するでもなく、戦場に戻る私の背を黙って見送ってくれた。
 いや、終始何もしなかった方の少女は見送りすらせず、一人で岩場で遊んでいたようだった。
 翌月、彼は空に居た。
 有人駒の操縦資格を持つ彼は、空襲要員として新型の飛行人機の機士(パイロット)に選ばれたのだ。
 彼は仲間と共に空から敵基地を襲撃、大きな戦果を挙げ──るはずだった。
 国境に差し掛かる少し手前、彼は司令部の命令を無視、突如友軍に撤退命令を出す。
 結果、その日の内に制圧できるはずだった敵国の前線基地は爆撃を受けず、戦争は更に二ヶ月延びる事となる。
 彼は一時は反逆者として罰せられたものの、様々な苦難の末に和平大使として敵国へ向かい、見事和平を締結してみせた。
 結果論ではあるが、戦争の犠牲者は空襲が成功した時より遥かに少なく抑えられたと言われている。
 彼は戦場上空を飛んだ時、眼下に一枚の絵を見たらしい。
 それは地面を掘り岩を穿ち残骸を並べて描かれた、とんでもなく巨大な地上絵だったという。
 誰がどうやって描いたかは分からない。
 その絵には、彼とその家族そっくりな人物が描かれていた。
 周りには上司や部下、更には敵国の軍服を着た男達の姿も見受けられ、その全員が腕を組み、肩を抱き、幸せそうに笑っていた。
 彼はなんとなく戦場で出会った二人の少女と、彼を非難する詩を思い出したが、すぐにそんな妄想を振り払った。
 たった二人の少女が、一ヶ月程度であんな巨大な絵を描けるはずがないじゃないか、と。
 それでも彼は、その不思議な地上絵を見た事で命のやりとりの悲しさを悟った、と後に語っている。
 全ては偶然の産物だった。
 岩場で二人の少女に遭遇したのも。
 二人に家族や戦争の話をしたのも。
 戻った戦場で彼が生き残れたのも。
 彼が空襲作戦要員に選ばれたのも。
 彼が空から地上を見下ろしたのも。
 そこにはただ一つとして、恣意的な物は存在しない。
 地上絵を描いた本人は、別に停戦を呼び掛ける為に絵を描いた訳ではないのだろう。
〝彼女〟を知る者に言わせれば、〝彼女〟が戦争という概念を理解していたのかも怪しいと答えるかもしれない。
 だからこそ、それは奇跡なのであり、偶然でしかないのである。
 もう一つだけ偶然があるとすれば、彼が出会った二人の少女の片割れが〝楽描屋(ラクガキヤ)〟と呼ばれている事を、彼は知る機会が無かった事だろうか──
 目を奪われる、という言葉がある。
 視線が外せないほど対象に注視せざるを得ない状況を指し、良い意味で用いられる場合が多い。
 その部屋に展示された宝石達からは、どこか冷たさのような物が感じられた。
 熱意とか愛情とか、そういったポジティヴな物とは違う何かを感じつつ、しかし彼女──ユウナは文字通りそれらに目を奪われてしまっている。
 いずれも名のある職人が手を入れた物ばかりであるらしく、その一つ一つが必然の奇跡を宿した財宝と呼ぶに相応しい。
 特別光り物に興味がある訳ではない彼女ですら、思わず見入ってしまう程の品が揃っているのだ。
 自然と溜息が漏れてしまうのも、無理のない事である。
「綺麗──僕は宝石の事とか全然分からないから、上手くそれを言葉にできないですけど……」
「いやいや、それで十分だよ。美味い物を食べた時は美味いと、美しい物を見た時は美しいと、楽しいと感じた時は楽しいと、素直にそう言えば良い。君は専門家ではないのだから、専門用語を駆使して称賛の言葉を並べる必要は無い」
 違うかね?と彼女に言葉を投げ掛けた精悍な顔付きの中年男性は、ひどく御満悦な様子だった。
 ユージン=フォード。
 それが彼、一代で巨万の富を築き上げた宝石商人の名前だ。
 宝石王ユージンと言えば、子供でも知っている大富豪である。
 豪華な調度品に飾られた大きな屋敷、そしていかにも高級そうなスーツや革靴を纏うユージン本人に、一介の旅人であるユウナは激しく気後れしていたのだが、それもついさっきまでの事。
 ユージンに案内された部屋には、彼のコレクションたる宝石達が所狭しと、しかし非常にセンス良く飾られており、彼女は我を忘れてそれらに見入っていた。
「いえ、そうですね。どんなに言葉を尽くしたおべんちゃらより、本音から漏れたシンプルな称賛の方が、僕も価値があると思うですよ」
 彼女の答えに満足したユージンは、満足げに頷いて言葉を続けた。
「ユウナ君。専門とする分野は違えど、貴女程の人物ならば分かってくれると思っていた。私はこれから仕事で少し席を外すが、今は依頼の話は忘れ存分に楽しんでくれたまえ」
 その後、ユージンが警備員を残して部屋を出た後も、ユウナはしばらく宝石達を眺めて楽しんだ。
 彼女の足元では、幼い少女が退屈そうに欠伸を漏らしていた──
 ──────────

「ちょっと、もーちゃん! お行儀が悪いですよ! そんなに急いで食べなくても、お料理は逃げたりしないです!」
「あったかいゴハンは逃げるぞ。さめたゴハンはおいしくない」
 そんなやりとりを眺めながら、エイダはくすりと笑みを漏らした。
 エイダ=フォード。
 ユージンの一人娘であり、歳は隣で騒ぐユウナと同じ、十五歳。
 しかし、エイダの髪が輝かんばかりの金髪であるのに対し、ユウナは漆を流したような艶のある黒髪。
 服装も対照的で、明るい配色のドレスを纏うエイダに対し、ユウナは黒のシャツに濃紫のワンピースという飾り気の無い物。
 表情も、エイダはどこか一歩引いた臆病さのような物を滲ませているのに対し、ユウナは表情豊かにその更に隣に腰掛け料理を頬張る少女の面倒を見つつ、怒ったり笑ったりを繰り返している。
 何もかもがエイダと異なるユウナを、彼女は羨望を込めた眼差しで見つめていた。
 無論、彼女の方はテーブルマナーを遵守し、行儀良く食事を摂りながら。
 テーブルマナーと言えば、エイダの二つ隣に座る少女。
 ……と言うか、幼児。
 食事中であるにも関わらず、赤髪の上にベレー帽を乗せ、大きな木の板を背負ったままの彼女は、ユウナの注意に対して舌っ足らずな口調で反論しながらも、物凄い勢いで料理を散らかしながら掻き込んでいる。
 さもありなん。
 聞けば、二人はある人物を探しながら世界中を旅しているというのだ。
 普段は保存性のよい携帯食料で過ごしているらしく、恐らくまともな料理にありつく事など久しぶりなのだろう。
 ベレー帽の少女にあれこれ言いながら、しかしユウナもきちんと食べている辺り、彼女もなかなかしっかりしている。
 十人以上の人間が席に着いても椅子が余るほど大きなテーブルの上には、まだ沢山の料理が並べられていた。
 全ては二人を歓迎する為に一流の料理人達に用意させた、特別な物である。
 不意にベレー帽の少女が席を立ち、エイダの隣の椅子へ腰を下ろす。
 ニパっと屈託の無い笑みを見せた彼女は、次の瞬間にはエイダの分のハンバーグに手を付けていた。
 ユウナが慌ててその首根っこを引っつかむが、時既に遅し。
 真ん丸のハンバーグは歯型を残した三日月型へと変貌しているのだった。
「ああっ、ごめんなさいですっ! もーちゃん、もういい加減にしてくださいっ!」
「そんなにおこるな、ゴハンがまずくなる」
「〜〜〜〜っ!!」
 まるで反省の色を見せないベレー帽の少女に対し、ユウナは怒りに言葉を詰まらせ、次いでがっくりと肩を落としてしまう。
 どうやら諦めの境地に達したらしい。
 その様子をテーブルの対岸から見ていたユージンは、半ば呆れながらもハンバーグの追加を料理長に言い付けるのだった。
 彼が仕事から戻ったのは、二人が食事を始めて三十分ほど経った頃。
 その後、更にベレー帽の少女が食卓を荒らす事、約一時間。
 三人分のデザートを平らげた事でようやく満足したのか、彼女は今、エイダとの雑談を楽しんでいた。
 機を見ていたのか、ここでようやくユージンが本題を切り出してくる。
「さて、食事も半ばで申し訳がないのだが、そろそろビジネスの話に移りたいのだが、どうだろう」
 存分に豪華な料理を楽しみ、至福の表情を浮かべていたユウナは、その声でようやく我に返り、はいと答えた。
 服装を正し椅子に座り直すが、口元に付いた生クリームからは愛嬌が見受けられ、ユージンの表情もいくらか柔らかい物へと変わる。
「そんなに緊張しないでくれたまえ。君の活躍は、噂でではあるが聞き及んでいる。その歳で、世界中を旅しながら創作を行っているのだそうだな。私が君くらいの歳の頃は、何も考えず毎日を怠惰に過ごしていたものだ。君は称賛に値するよ」
「はあ、恐縮です……」
 本当に感心した風に漏らす彼は、遠い目をしながらも威厳のある風格を漂わせている。
 一方、相手が滅多にお目にかかれない大物中の大物たる宝石王という事で、ユウナの方はかなり緊張していた。
 何も、彼女達二人はユージンのコレクションを眺めに来たわけでも、豪華な料理を食べ散らかしに来たわけでもない。
 仕事で訪れたついでに、とんでもない規模の歓迎を受けた、それだけの事である。
 しかしこの歓迎のされ方は、ただことではない。
 ユージンはユウナの仕事に対してかなり期待している事が感じ取れ、それが余計に彼女の体を固くさせていた。
 ヘマだけは絶対に出来ない、とユウナは自分に言い聞かせる。
「そ、それで、依頼とは?」
 彼女の強張った声に苦笑しつつ、ユージンは口を開いた。