そして
そっと手のひらを握る。
温かい手のひらに
あたしは両手で自分の顔にあてた。
「ねぇ…。また、秋が来たね…。」
瞳を閉じて
一年前を思い浮かべる。
思い返せば
辛い、苦しい出来事ばかりで
だけどすごく、一生懸命だった。
香苗を裏切れなくて
大輔を傷つけたくなくて
お互い、ずっとすれ違っていて。
『好き』
気持ちを告げた時は
本気で全てを捨てても構わない。
そう思ってた。
ねぇ。
もう一度
あなたの声で聞きたい。
「そうくん……。
早く…起きてよ……。」
もう一度
その声で
『海音。』
あたしを呼んで。
そして
抱き締めて。
いつの間にか
辺りは暗闇がこの病室を包んでいて。
面会時間が過ぎてる事に気が付いたあたしは慌てて病室を出た。
そして―――…
あたしは
絶望に落とされるんだ。
「息子は……一体どうなるんですか…。」
え……?
この声―――…
門を曲がろうとしたあたしは
直前の所で足を止めた。
「……わかりません。ただ、頭を強く打っているので…。」
「じゃあ……。」
やっぱり
そうくんのお母さんだ。
あたしは壁にピッタリとくっついて
その会話に耳を澄ませる。
「まだ、何とも言えませんが……。
このまま目を覚まさないという事も、覚悟して下さい…。」
「……そんな…っ!」
嘘――――…
『このまま目を覚まさないという事も、覚悟して下さい…。』
視界がグルグル回る。
目眩がして
あたしは壁にもたれるように立ち尽くした。
そして聞こえて来る叫びにも似た泣き声。
耳を塞いだあたしは
固く目を閉じて走り出した。
いやだ。
いやだ!!!
涙が横に飛んで
ふとした拍子に石につまづいたあたしは
芝生の上で転んでしまった。
「……っ!」
どうして―――…
『このまま目を覚まさないという事も――…』
嘘だよ。
そんなの、嘘だよ。
「……そうくん…っ!」
お願い。
お願いだから。
早く
目を覚まして―――…
ザザンと海が鳴る。
潮風が髪をなびかせて
あたしは自分の手で押さえながら
防波堤に腰を降ろした。
あのまま
病院をあとにしたあたしは
何故か誘われるようにこの海まで来てしまった。
ここに来れば
そうくんの声を思い出せるから。
『海音。』
『好きだ―――…』
『愛してる。』
波に共鳴する
優しい声。
「……そうくん…。」
そう呼び掛ければ
この波は優しく答えてくれる。
だけどやっぱりここに
そうくんの声は聞こえなくて。
あたしが聞きたいのは
「……もうやだぁ…。」
頭の中で響く声じゃなくて
直接響くこの波みたいな優しい声。
「そうくん―――…」
溢れ出す涙に
地平線から太陽が顔を覗かせた。
もしかしたらもう
あの瞳は
あたしを映してくれないかもしれない。
やっと
二人の間にあった障害はなくなったのに
そうくんは固く瞼を閉ざしていて。
学校に行けば
明るく振る舞えても
一人になると心が潰れてしまいそうだった。
何かがうまくいけば
何かがまた崩れてゆく。
まるで迷路のように
そこから抜け出せなくなっていて。
優しすぎる波の音。
この真の蒼さは
もうあたしの心に響かない。
そんな時――…
「すいません。」
俯き
涙を拭くあたしは
その呼び掛けに静かに振り返った。
そこにはウェット姿のサーファーカップルが立っていて。
そして続けてあたしに尋ねて来た。
「もしかして…海音さん…ですか?」
え―――…?
突然名前を聞かれたあたしは止まった涙を拭いながら
二人を交互に見つめて答えた。
「そうですけど…。」
そう呟くと
「やっぱり!ずっと探してたんです!」
二人は喜んで手を叩き合う。
何の事だかさっぱりわからないあたしに
男の人が
「これ、渡してくれって頼まれて。」
と小さな箱をあたしに差し出した。
「……?
あ、あの……。」
戸惑うあたしに
隣の彼女が笑った。
「それ、背の高い男の人が渡してって。
渡せばわかるって言ってました。」
え………?
「じゃあ僕達はこれで。」
それだけ伝えると
二人はサーフボードを手に
海の中へと消える。
あたしの手には
小さな箱が握られてた。
『それ、背の高い男の人が渡してって。』
もしかして……。
あたしは焦る気持ちを抑えながら小さな箱を開ける。
「これ……。」
朝焼けの空に
海が綺麗に映える。
箱から出したそれを
目の高さまで持ち上げると
海の蒼さに負けない程美しい
ネックレスがキラリと光った。
『真の蒼さで響く海の音』
いつかのそうくんの言葉が脳裏をかすめた。
そして
その箱には小さなメモ帳が挟まっていて。
あたしはその紙切れを手に取った。
―海音へ。
この海は
俺にとって、数少ない海音との思い出の場所。
この大切な場所に
俺の気持ちを置いていきます。
誕生日おめでとう。
蒼真
「……っどうして…。」
どうして
あたしの誕生日を知っているの?
あたしがここに来ると
あなたは
わかっていたの?
どうして―――…
くしゃっと握り締めた紙切れに
あたしの涙がこぼれ落ちた。
神様
もう、何も望まない。
だから
だから彼を
あたしに返して下さい。
蒼いネックレスは
海に溶けて優しくあたしを包み込んだ。
もし
この祈りが届いて
あなたが
目を覚ましたら
嘘偽りない
透明な言葉で
あなたに伝えたい。
ありがとう。
そして―――…
世界中で一番
あなたを
愛してると――…
この真の蒼
ブルーに
永遠を誓います。
ゆっくりと立ち上がったあたしは
その足で再びそうくんが居る病院を目指した。
会いたくて
仕方なかったんだ。
きっと、そうくんはあたしを抱き締めてくれる。
長い長い眠りから醒めて
その温かい手のひらであたしに触れて。
そして少し長い
キスを交わそう。
離れていた
隙間を埋めるように。
――――…
まだ昇りきらない太陽が少しずつ世界を明るく染めてゆく。
病院に着くと
そこは異様な空気に包まれていた。
バタバタと慌ただしく看護婦さんが駆け回る。
何かあったのかな…。
そう気にしつつ
あたしはそうくんの病室へと向かう。
だけど歩き出してすぐ
あたしはピタリと足を止めた。