せっかく前に歩き出しても
打ち寄せる波のように

すぐに引き戻される。





どうして
あたしを手放してくれないの?




どうして―――…






「…音!海音ってば!」

「え、あ……。」



呆然とする視界に雅美があたしを覗き込んでた。


慌てて我に返ると
前に見えていた香苗とそうくんはもう居なくて。




「香苗、さっきあそこの門曲がったよ。」

「声、掛ければよかったね。」

「え~、邪魔しちゃ悪いでしょ!せっかくのデートなんだし。」



そんな会話を交わす二人を尻目に
あたしは安堵の溜め息を漏らした。





よかった……。
あのまま鉢合わせていたら

きっと、心が保たなかった。





二人の並んだ姿を
受け入れるなんて…。




今のあたしじゃ
絶対に無理だ。






夏の生温い風が
べたついた肌に髪の毛を絡みつかせる。



まるで
解けない糸のよう
あたしを縛りつけて離さない。





「行こ、海音!」


「……うん。」




それでも
あたしは、前に進まなくちゃいけない。





「どこで食べる?海音は何か食べたいのある?」


「…あたしは何でもいいよ。二人に任せる。」




進まなくちゃいけないんだ。






二人の並んだ姿が
頭の隅でちらついて。


だけどもう、泣いたりなんて出来なかった。






今が辛くても
きっと、いい事があるはず。


自分にそう言い聞かせて。





「じゃあ豪華に焼肉!」

「海音、それ豪華すぎぃ!」






夏の陽炎に


二人の姿を歪ませた。







夏の太陽が
ジリジリと地上を焦がしてゆく。



蝉の声が鳴き止んで
夏の終わりに

あなたの声を聞いた。




『海音。』


波よりも優しく
あたしに響く。





閉じた瞼に
浮かぶあなたの笑顔。



どうか消えないで。





ずっと、あたしに焼き付けて。










――――……



「海音、今日お母さん遅くなるから。」

「わかった。行ってらっしゃい。」



遠ざかるお母さんの背中に
小さく手を振った。


リビンクに響くテレビのアナウンサーは
『今年の夏は記録的猛暑だ』と騒ぎ立てる。


家に自分一人なのをいい事に
あたしは大きな溜め息をついた。




「…昼寝でもしよっかなぁ。」






タオルケットを掛けて
ソファに横になる。



今日の目覚めは最悪だった。

いや
今日だけじゃない。




香織達とプールに行ったあの日。

香苗とそうくんを見掛けたあの日から
あたしの目覚めはいつも最悪だった。




夢にまで見てしまう
二人の姿。


「……重症だな、あたし…。」

一人のリビングに
あたしの渇いた笑いがこぼれる。




これ以上
考えても無駄なのに。

体と心は別物で
無意識に考えてしまうんだ。






香苗とそうくんが
今、どうしているのか。




「はぁ……。」

もう何度目かもわからない溜め息をつき
あたしはテレビの電源を消した。



そして深く瞼を閉じる。





そんな時


♪~♪~♪


テーブルの上で携帯が鳴り響いた。






んもぉ。
こんな時に……。



うるさく鳴り続ける携帯に
あたしは重たい体を起こした。


「……香織?」

着信は香織だった。



どうしたんだろ…。


不思議に思いつつ
あたしは通話ボタンに手を掛けた。




「もしもし。」

『もしもし?海音?』


相変わらず元気な香織の声色。
あたしも自然に顔が緩んでしまう。




『お誕生日おめでと!』

「……え…?」


思いがけない香織の言葉に
あたしは慌ててカレンダーに視線を向けた。



8月28日。
あたしの誕生日。




『何その反応!


もしかして自分の誕生日忘れてた?』


アハハと笑う香織に
あたしは頭を掻いた。


そうだ。
今日、あたし誕生日だったんだ…。





昔、あたしは自分の誕生日が嫌いだった。


夏休み中だという事もあり
小さい頃、友達が

『おめでとう。』なんて言ってくれるはずなんかなくて。


新学期を迎えてから言われる

『おめでとう。』は
ちっとも嬉しくなかったのをよく覚えている。




「…ありがと…。」


携帯なんていらない。
そう思ってたけど
携帯越しから『おめでとう。』と言われるのは

やっぱり嬉しかった。





『今日はね、雅美もあたしも夏期講習だから遊べないんだけど、明日二人とも暇だからさ!

明日は海音空いてる?』


「うん、大丈夫。」



温かくなる心に
香織との会話が弾む中

゛ピンポーン゛
と家に鳴り響いたインターホン。



「あ、香織ごめん!誰か来たみたい。」

『そっか!わかった!じゃあまた後でメールするね。』

「うん、本当にありがとね。」




笑顔のまま
あたしは携帯を閉じる。






嬉しい気持ちもほんの束の間で

しつこく呼び掛けるインターホンに
玄関へと駆け付けた。





「どちらさま……。」

扉を開けると
むっとした夏の風が家の中に入り込む。


そしてあたしの心は跳ね上がった。











「……香苗…。」

そこには泣き腫らした顔の香苗がいて。



「…そうちゃんは?」

「え……?」



突然のその訪問に
あたしは扉のドアノブに手を掛けたまま
呆然と立ち尽くす。





「そうちゃんは!?」

急に声を荒げた香苗は
乱暴にあたしを退けて家へと上がり込んだ。




「ちょ、ちょっと、香苗?」

慌てて香苗を追い掛ける。





それは
まるで何かが起きる前触れのように


あたしの心を掻き乱してゆく。






「香苗!」



そう。

それは夏の幻のように。







暑い夏。



今年の夏は
全てを焼き尽くす程の猛暑で

きっと、地球が悲鳴をあげている証拠。




助けを求めても
きっともうどうにもならない。


もう、元には戻らない。





戻れないんだ。








「香苗ったら!」


香苗の肩を掴んで振り向かせるあたし。

家に上がり込むなり
扉という扉を開けて回る香苗は
あたしの目から見ても異常だった。




「何なの?一体どうし…」


パシンという音と共に
振り払われた腕。


あたしの言葉はそこで途切れた。




「そうちゃんはどこに居るの!?」


「……え…?」


そうくん…?




未だに理解出来ない頭で
その名前だけは聞き逃さなかった。




そうくんが何?
どうゆう事……?





唖然とするあたしを睨み付け
香苗は口を開いた。





「昨日からそうちゃんと連絡が取れないの!

ずっと連絡してるのに!」


…え―――?




「ちょっと待って、どうゆう事…?」


そうくんと連絡が取れない?



「しらばっくれないでよ!知ってるんでしょ!?


そうちゃんはどこに居るの!?」



あたしに掴みかかり
泣きながら発した香苗の言葉に

嘘は見えなかった。



そして―――…



「そうちゃんを返してよぉっ!!」


叫びながら泣き崩れた香苗に
あたしの頭は混乱していて。




泣き続ける香苗を前に
しばらくして
やっと
今の状況を理解する事が出来た。


あたしの鼓動が音を立てて早まり始める。





そうくんが居ない?



どうして―――…?