このまま
死んだって構わない。
本気でそう思った。
今のあたしを
誰が必要としてるのだろうか。
傘を持つ手がぶらんと力を失う。
顔に当たる雨は
痛い程にあたしを打ち付けた。
水溜まりに
足が取られる。
車のライトがあたしの目の前を通り過ぎた。
『海音が好きなんだ――…』
そうくんの声がする。
好きだった。
本当に
本当に大好きで。
…どうしようもなかったの。
欲しくて欲しくて
あの残酷な程
優しい腕で
力強く、抱き締めてもらいたかったんだ。
一筋の涙が頬を伝った。
光が世界を包んで
耳を引き裂くような車のクラクション。
さようなら。
本当に
大好きでした――…
夜の闇に消える涙。
降りしきる雨に打たれて
一人ぼっちのこの夜に
溶けてしまいたいの。
あの人を想って。
「海音っっ!!」
車のブレーキ音。
跳ね上がる水飛沫。
そして
重なり合う鼓動―――…
温かいぬくもりがあたしを包んでた。
記憶の隅に残る残像。
「……そう…くん…?」
雨に濡れた肩が微かに震えてる。
「…何…してんだよ…。」
掠れた声は
雨に濡れた体に心地よく響いて。
「何してんだよっ!!」
それと同時に
強まる腕の力。
抱き締めて欲しかった。
ずっと
その腕の中へ
何も考えずに
飛び込んでいけたらと。
「海音……っ。」
そう、あなたのその声で
ただ、抱き締めてもらいたかった。
空っぽの心。
それは
あなたを失う事。
あたしの恋は
決して開いてはいけないパンドラの箱。
開いた先に
あたしが望むのは
ただ、一つだけ。
あなたからの
永遠の誓い。
小指を絡めて交わす約束は
きっとすぐに忘れてしまうから。
忘れないような
消えてしまわないような
あなたからの誓いを
どうかあたしに。
これが最後でも
きっと後悔なんてしないから。
だって
この空っぽの心を埋めるのは
世界にあなた
ただ一人。
「温ったまった?」
「……うん…。」
あたしの返事に
そうくんは微笑んで
「俺も入って来るね。」
と浴室へと消えた。
しばらくして聞こえて来るシャワーの流れる音。
「……はぁ…。」
深い溜め息に
あたしは小さなソファへと腰を降ろした。
濡れたままの制服が
ハンガーに掛けられて床に水滴を落としてる。
窓の外には
輝くイルミネーション。
あれから
あたし達は道路の脇で
しばらく抱き合ったままだった。
そうくんの腕で引き戻されたこの現実に
自分の行動の愚かさにあたしは涙が止まらなかった。
死にたい。
死んでしまいたいと
そう思ったのは嘘じゃない。
だけど
そうくんの温もりが優しすぎて。
あたしは自分のしようとしてた事に
急に恐くなってしまったんだ。
古びた壁に
染みの出来た天井。
無駄に大きいベッドは
異常な程にきちんとされていて。
『風邪、ひくから。』
そうくんに手を引かれ
あたし達はこのホテルの門をくぐった。
びしょ濡れで制服姿のあたし達。
一瞬だけ戸惑ったけど
手を離したくなくて。
そうくんと一緒に居られるのなら
あたし達を隠してくれる場所なら
もうどこでもよかったんだ。
窓辺に立ち
騒がしい街のネオンに視線を落とす。
髪の毛からたれる雫があたしの肌を伝ってゆく。
「風邪ひくってば。」
ふいに聞こえた声に振り返ると
バスタオルで頭をふきながら後ろにそうくんが立っていた。
「髪の毛、乾かしな。」
「……うん。」
どこかぎこちない会話は
きっとお互いに
後ろめたさがあるから。
洗面所で髪の毛を乾かしてベッドのある部屋へ戻ると
そうくんがカップにコーヒーを注いでいた。
「飲む?」
そうくんの問い掛けにあたしは首を横に振る。
「コーヒーは苦くて飲めないの。」
「ぷっ。お子ちゃまじゃん。」
悪戯っぽく笑うそうくんにあたしは少しいじけて見せた。
そんなあたしに
「嘘、嘘。何か頼む?腹減ってない?」
そう言って頭を撫でる優しい手のひら。
あたしの鼓動がとくんと音を立てた。
優しい…なぁ…。
濡れた髪の毛に
長い睫毛。
細く伸びる指先も
そうくんを作る全てが愛しくて。
やっぱり
大好きで仕方なくて。
これ以上
気持ちが大きくなる前にと
あたしは視線をそうくんから逸した。
そうくんは
今、何を考えてるの?
どうして
あたしと一緒に居てくれるの?
聞きたいのに
そんな事聞く勇気さえ今のあたしにはない。
聞いてしまえば
もう二度と会えないような
そんな気がして怖かったんだ。
「俺、こうゆう所来た事ないからよくわかんねぇんだけど、うまいのかなぁ?」
考えるあたしとは裏腹に
そうくんは食事のメニューを前に悩んでる。
あぁ、もうダメだ。
「……海音~?聞いてる?」
これ以上、一緒に居たらあたし――…
「あたし、もう帰るね。」
「え?ちょっ、海音!」
雨にさらされていた制服を持って洗面所へ向かう。
「海音!」
「やめてっ!!」
腕を振り払うと
制服と同時にあたしも崩れ落ちた。
自分でもよく
自分の気持ちがわからない。
だけどあたし達は一緒に居ちゃいけないんだ。
だって―――…
「そうくんも香苗の所に帰ればいいじゃないっ!」
そうくんには
香苗が居るから…。
「海音……。」
あたしじゃ
あなたを幸せに出来ないから。
止まったはずの涙がまた溢れて
あたしは座り込んだままそうくんに背を向ける。
「海音……。」
泣きじゃくるあたしの肩を持って
そうくんが言った。
「ちゃんと、話しよう。」
そう言ってあたしをベッドへと連れていく。
それでも
あたしの心の中はぐちゃぐちゃで。
ただ、好きなだけ。
なのに
どうしてこんなに苦しいの?
「ごめん…海音…。」
散々泣いて
やっと落ち着いたあたしは
そうくんの言葉に首を横に振った。
そしてそうくんがゆっくりと口を開く。
この恋の終わりを
見据えながら。
「あいつさ…。香苗、もうダメなんだ。
俺が居なきゃ、あいつおかしくなる…。」
そうくんは頭を抱えるようにして
膝に肘を付きながら話してくれた。
――――……
騒然とする駅の構内。
俺の腕には
ぐったりとした海音が横たわっている。
「海音っ!!」
いくら呼んでも返事はなくて。
これだけの人が居るのに誰も海音を助けようとはしてくれなかった。
階段から人が落ちたっていうのに
平然とした様子で通り過ぎる人。
見ていながら何も手を貸してはくれない人。
くそっ!!
俺は拳を握り締める。