さっきまで穏やかだったムードは
一変して重苦しい雰囲気に包まれた。
「高校生の分際で妊娠して流産だと!?」
「お父さん!止めて下さいっ!」
お母さんは必死にお父さんの体をベッドから離そうとする。
だけどお父さんの怒りは収まらない。
「親があげた体を粗末にしやがって!!」
「沖村さん!?落ち着いて下さい!」
騒ぎを聞き付けた看護婦さんが病室へと駆け付けた。
あたしはただ、黙っているしか出来なかった。
だって……
「どれだけ心配したと思って……っ!」
お父さんが
泣いていたから――…
「あなた…。」
お母さんが驚いた様子で力を緩める。
静まり返った病室を
スーツで顔を隠したお父さんが
ゆっくりと扉を閉めて出て行ってしまった。
「海音…。」
頬に感じる痛みに
あたしはまだ呆然としていて。
お母さんがあたしの背中をさする。
「ああ見えて、お父さんすごく心配してたのよ。」
わかってる。
「だから、許してあげてね?」
あたしは滲む涙を堪えて小さく頷いた。
それを見たお母さんがあたしの頭を撫でる。
それからあたしは
決壊した川のように
溢れる涙を止められなかった。
誰かを傷付けたかったんじゃない。
この恋を
そうくんへの気持ちを
ただ、貫きたかった。
だけど結局は誰かを傷付けて
そうでしか自分を守れなくて。
一生懸命大人ぶって
精一杯、大人になったつもりでも
結局あたしはまだ子供で
一人じゃ何も出来なかった。
ありがとう。
お母さん。
お父さん。
あたしは
あなた達の子供に産まれて幸せです。
ちゃんと
歩き出そう。
大輔の優しさ。
お母さんの愛。
お父さんの涙。
あたしはそれに
きちんと向き合って
自分なりのケジメを付けなきゃ。
泣くのはそれからでもいいじゃないか。
そう、あたしは
強くならなきゃいけないんだ。
ありがとう。
星に願いを。
もしもこの祈りが届いたのなら
あたしに関わった全ての人へ
幸せを届けて下さい。
もう逃げたりなんてしないから。
星に願いを。
そうくん、あなたに会いたい。
香苗、ちゃんと話したいよ。
シンと静まる廊下に
あたしは公衆電話の受話器を上げた。
ゆっくりと確かめるようにボタンを押す。
長く響くコール音に
返事はなかった。
「出ない…か。」
ポツリと呟いて受話器を元に戻す。
夜の闇に染まる病院は少し不気味で
あたしは足早に自分の病室を目指す。
『そう言えば今日、香苗ちゃんが居たのよ。』
『え?香苗が!?』
お父さんが居なくなった後
お母さんがふいにあたしにそう告げた。
『何だか落ち込んでたから、お家帰ってゆっくりしたらって言ったんだけど…。』
『…そう。』
ベッドへと戻ったあたしは
カーテンを開けて
空に浮かぶ月を見上げて考えた。
香苗は人一倍、他人の気持ちに敏感な子で。
もしかしたら
あたしの事も、自分のせいだと責任を感じてしまってるのかもしれない。
階段から落ちたのは
あたしの不注意であって香苗のせいじゃないよ。
そう伝えたかった。
また明日、電話してみよう。
痛む体に
あたしはベッドへ横になった。
例え
香苗がもう、あたしを受け入れてくれないとしても
ちゃんと話さなきゃいけない。
香苗に
伝えなきゃいけないんだ。
重たくなった瞼を閉じると
夜に浮かんでた三日月が闇に溶けて消えた。
明日も
また、晴れるかな。
晴れたらきっと
あたしも少し
頑張れるような気がしてた。
「沖村さん、あんまり歩いちゃダメよ。まだ治ってないんだから。」
「はーい。」
看護婦さんがやれやれと溜め息を付いて通り過ぎる。
カーディガンを羽織り
あたしは携帯を手に裏庭を目指す。
もちろん、香苗に電話する為に。
「いたたた…。」
歩き過ぎて
まだ痛む体にあたしはベンチへと腰を降ろした。
春の日差しに
キラキラした空気。
たくさん吸い込んで
あたしはふぅと息を吐き出した。
そして携帯を開き
発信履歴から香苗を呼び出す。
震える指が
通話ボタンを押して
あたしは携帯を耳にあてた。
コール音が止まり
電話の向こう側で音がした。
「…もしもし?」
心臓が跳ねる。
遠くの空から
灰色の雲が迫っていた。
『…もしもし。』
え―――…?
ザァっと風が荒れる。
その拍子に髪の毛が顔に巻き付く。
「……どうして…。」
奏でるように優しい声。
聞き覚えのあるその声にあたしの頭が真っ白になった。
『……そうちゃん…?誰…?』
『…間違えみたい。香苗は寝てろよ。』
受話器の向こうから聞こえる話し声。
プー…プー…
そして途切れた会話に
無情にも響く冷たい終話音。
するりと手から離れた携帯電話が
ベンチで跳ねて芝生に落ちる。
さっきまで遠くにいた灰色の雲が
あたしの頭上高く広がり
小さな雨粒をこぼしていく。
足早に院内へと戻る患者達が
視界の端に見えた。
『香苗は寝てろよ。』
あれは間違なく
そうくんの声だった。
「沖村さんっ!」
どのくらいそうしていたのかわからない。
看護婦さんが傘を差しながら走り寄って来た。
「何してるの!ほら、戻りますよ!」
ぐいっとあたしの手を引いて
肩を抱えるように病院の中へと足を踏み入れる。
「やだ、びしょ濡れじゃない!」
「誰かタオル持って来て!」
他の看護婦さんも駆け付けて
慌ただしい足音が廊下に響く。
「あ、ちょっと!沖村さん!?大丈夫!?」
ズルリと崩れ落ちるあたしに
看護婦さんがタオルを掛ける。
ぼーっとする頭に
声が反響してゆく。
『沖村さん!』
遠のいていく色んな人の声。
だけどあたしの脳裏にはあの声がこだましてた。
『香苗は寝てろよ。』
どうして
そうくんが香苗の携帯に出たの――…?
刺すような光。
体が熱くて
頭がぼーっとする。
あたし……。
「海音?大丈夫?」
覗き込んであたしの頭を撫でてくれたのは
お母さんだった。
あぁ、そうか。
あたし倒れて……。
「もう、雨の中何してたのよ。」
「……。」
朦朧とする意識に
あたしは黙り込んだ。
そんなあたしに溜め息を落として
「熱あるみたいだから、ゆっくり寝てなさい。もう出歩かないでよ?」
とお母さんが布団を首元まで掛け直す。
「じゃあ、お母さん帰るから。また明日来るわね。」
お母さんの背中を目で追い掛け
扉が閉まると同時に
あたしは体を起こした。
ごめんね、お母さん。
あたし行かなくちゃ。