伝わるはずがなかったんだ。


こんなにも罪深いあたしに
許される術などもう一つも残されていない。




「バカにしないで!!」

「香苗……。」



ちょうどよくホームに着いた電車に
香苗は再び階段を上り始めた。



「香苗、待って!」


咄嗟に掴んだ香苗の腕にすがるように
あたしは力を込めた。



「やめて!」

「お願い、話しよ?ちゃんと話したいの!」


電車から降りた人の群れが階段の先に見える。




「やめて!離してよ!」


振り払われた腕に
あたしは体制を崩した。

その拍子に誰かの肩にぶつかり
あたしの視界から香苗が消える。





世界が


ぐらりと歪んで見えた。








「海音!!」





遠くで
そうくんがあたしを呼んでいる声がする。






それは本当に一瞬の出来事で。


あたしの体はふわりと宙に浮かんで
冷たいコンクリートの階段が
体中を打ち付けた。





スローモーションのように流れる景色。


そこに音は存在してなくて
まるで世界でたった一人ぼっちになったみたい。




だけどそれでいい。


それで構わない。





あたしから
音も色も感覚も


全てを奪って構わないから




どうか、神様。







この

小さな命だけは。







「海音!!」


気が付けば
あたしを抱き抱えるようにして座り込むそうくんが居た。




視界が霞む。



「今、救急車呼ぶから!」


慌てたように震える指でそうくんが携帯を操作する。





そうくんの肩越しに
大勢の人が見えて


あたしはやっと状況を把握する事が出来た。




あぁ、そうか。
あたし階段から……。



ぼんやりとした意識の中思ったその時。

「…っ!!」




下腹部の痛みが
あたしの五感を集めた。




「海音!?腹、打ったのか!?」


そんな様子に気が付いたそうくんが
お腹にあるあたしの手に自分の手を添えた。



あたしはその手でそうくんの服を掴む。




「…お願い…。助けて…っ!」


「海音…?」




体のあちこちから痛みが走り
話す事すら困難だった。




だけど――…






「お願い……っ!



この子、助けて…っ!」


一筋のあたしの涙に
そうくんが眉をしかめて呟いた。




「海音、もしかして…。」




小さな希望。


それは
この小さくて




儚い命。





例えばもしも


あなたがあたしの前から消えたとしたら



あたしはどうやって
歩いていけばいいのだろう。





きっと
歩むべき方角を
見極める事すら出来ない程


毎日泣いて
あなたを想い続けているんじゃないかな。





なんて。
そんな事を考えてるあたしは

こうしてる今でも



あなたの欠片を探しているの。






小さくてもいい。


儚くとも
それはきっと
あたしにとってはかけがえのないものになる。







ねぇ、だから。



もしもあなたが
道に迷う事があれば


あたしが必ず、見つけてあげる。





降り注ぐ星の欠片を集めて


あなたに届けるから。








届けてみせるから。







見上げた夜空に
小さな星が浮かんでた。


光は誰にでも平等に
夜を優しくしてくれる。




手を伸ばしても届くはずなんかないのに。


それでも、消えないで欲しいと思う。




この夜は
あの星たちは
あたしを優しく見下してくれるから。










――――…




「…!……音!



海音!」




夜空がふっと意識から抜けて
まだ空ろな頭であたしは瞼を細く開いた。




「海音!目覚めた?」

「……お母…さん…?」



真っ白な空間に
お母さんが涙ぐんだ顔であたしを見つめてた。




あれ…?あたし……。



ゆっくりと戻る意識に
あたしはぼんやりと天井を見つめる。



段々冴えていく感覚に
ふいに蘇る記憶。






赤ちゃんは…?





「お母さん、あたし…!」



勢いよく起き上がると体中から痛みが走り抜けた。


掴みかかったお母さんの肩越しに
酷く懐かしいその人。





「大輔……。」


遠慮がちに壁に寄り掛かる大輔は
俯いたまま目を合わせようとはしない。




「海音。」


お母さんが優しくあたしの手を肩から離して言った。


「お母さん、先生とお話して来るから。少し二人で話しなさい。」


お母さんの手がするりと離れて
背中が遠ざかる。





白い病室に
大輔の横顔が小さく揺れた。


そして少しずつ近付く距離に
大輔はベッドの横にあるパイプ椅子に腰を降ろした。




大輔が
何を言いたいのか



何となく感じてた。





だからこそ
あたしは口を開けないまま
冷たい布団に視線を落とす。





時計すら置かれていない病室は
あまりにも静かで
あたしと大輔の隙間を広げていく。




あんなに
近くに居たのに。


今では見知らぬ人のように感じて。




大輔の口から紡がれる言葉を
あたしはただ待つしか出来なかった。






パイプ椅子に座り
手を組んで床を見つめる大輔。


いつも優しく
あたしを包んでくれていた香りが
そこにはあった。





「何で…。」


小さく呟いた大輔に
あたしの鼓動が揺れる。





「何で言わなかった…?子供の事…。」


やっぱり
知ってるんだね…。




少し肌寒い病室に
大輔の溜め息がこぼれ落ちた。



「……わりぃ…。


こんな事、言うつもりじゃなかったんだけど…。」






悪いのはあたしなのに
大輔は小さく肩を揺らし手を額に当てる。




きっと
大輔はあたし以上に傷付いていて。


律義な彼の性格が
この寒い中
上着も羽織らずに俯く大輔の優しさを表していた。


息を切らし
病院へ駆け付けた大輔が安易に想像出来る。




あたしは
ただ、涙を堪える事だけで精一杯で。


彼を悲しみから救う二の区が出て来ない。





つくづく
どうしようもない女だった。






だけど言わなくちゃいけない。



あたしは、大輔の愛に答えられない。






今のあたしじゃ
誰も幸せになんて出来ないんだ。






「…ごめんね…。大輔、ごめんなさい…。」




あたしは
きっと誰も救えない。





変わりゆく季節の中で
大輔は変わらずにあたしを愛してくれた。




そんな大輔に甘えて
手を離せずにいたのは


大輔の温もりが優しかったから。





「…謝るなよ…。」



大輔の愛が
あまりにも大きかったから。






「お前が謝ったら終わりになるだろ!?」





大輔の手が
あたしを支えてくれていたから。






「…っごめんね…。」



そこに
あたしを想う気持ちが

存在してたから。






ありがとう。



何度伝えても
足りないけれど



あなたの愛は
ちゃんと届いてた。




喧嘩してあげなかったバレンタインのチョコレート。


お父さんにあげちゃったよ。
そう言ったらまた喧嘩になって。



海に遊びに行ったら
着替えを忘れて水着で帰って。





笑い合った日々も

仲直りした夜明けの空も



きっと忘れる事はない。



ありがとう。





さようなら、大輔。