病院を出た先にある静かな住宅街に
小鳥のさえずりが響く。
少しだけ寒い春の風は
どことなくあたしを切なくさせる。
そう言えば
あたしがそうくんを好きになった日も
こんな晴れた小春日和だった。
あの時は
まだ、幸せだった。
通じ合える事が
こんなにも苦しいなんて思わなくて。
好き。
確かに彼は
そう言ってくれたのに
あたしは一体何してるのかな。
「バカだな、あたしって…。」
自分の全てを
否定するように呟いた。
気が付けばいつの間にか見慣れた景色が並んでて
自分の家の屋根が見えて来た。
お母さん、泣くだろうなぁ…。
くすんだ赤い屋根を見つめて
ぼんやりとそう思った。
大切な人。
それは一人じゃなくて。
親だったり
兄弟だったり
親友だったり、恋人だったり。
人それぞれ違うけど
『大切』
そう思うだけで
それはかけがえのない存在に変わるんだと思う。
「…どうして……。」
透き通るように蒼く輝く空に
綺麗になびく栗色の髪。
木漏れ日に照されて
優しくあたしを見て微笑む瞳。
あたしの、大切な人。
「…そうくん…。」
あたしの家から少し離れた所で
バイクに寄り掛かるそうくんがそこに居た。
「どこ行ってたの?」
優しい
波みたいな声。
全てを捨てても
何を犠牲にしても構わない。
そう思えた
唯一の人―――…
日曜日の昼下がり。
こんな日は
家族揃って出掛けているのか
辺りは本当に静かで。
「海音。」
あたしを呼ぶ
そうくんの声がよく響いている。
「学校、行ってないんだって?」
「…え…?」
どうして……。
「香苗からメール来た。」
香苗から…。
その名前に
あたしの傷口が開く。
「行かないの?学校。」
そうくんの言葉に
あたしは何も言えなくて
ただ、靴の先ばかりを見ているだけだった。
「やっぱり何かあったんだろ?」
いつの間にか縮まった距離が
あたしの鼓動を速めていく。
「…海音?」
そっと肩に置かれた手のひらに
あたしは気持ちを殺して走り出した。
「海音!!」
「…っ離して!」
突然の大声に
電柱に停まっていた小鳥が空へと飛び立つ。
「ちゃんと話しよう?」
「あたしはもう話す事なんかない!」
あたしは
そうくんを幸せには出来ない。
あたしじゃダメなの。
だから――…
「……そうちゃん…?」
冷たい風が
あたしとそうくんの間を吹き抜ける。
それはまるで
あたしに全ての罪が降り注ぐように。
「何で…そうちゃんが海音と一緒に居るの!?」
とうとう
あたしに罰が下ったんだと思った。
「どうして!?」
「…香苗――…。」
香苗は
あたしにとって
唯一親友と呼べる存在。
大切な、人。
「ねぇ海音、どうゆう事なの?」
空は憎たらしいくらい晴れ渡っていて。
だけどそれは
今のこの状況にとても似つかわしくない。
だって悲しさが含まれた香苗の瞳は
微かな怒りが揺れているから。
「香苗…、違うの…!」
そうくんの手を振り払ったあたしは
真っ直ぐに香苗を見つめて言葉を繋ごうとする。
「海音、俺が話すよ。」
だけどそれは
そうくんの強い言葉に見事にかき消された。
「海音…?そうちゃん、何で海音の事呼び捨てで呼んでるの!?」
香苗はもう
正気ではなかった。
泣き叫ぶように言葉を発しては
見た事もないような視線をあたし達に向ける。
そんな香苗に
あたしは言葉が出て来なかった。
この状況で
あたしは何を香苗に伝えたらいいのだろう。
だけどもう
何を言っても香苗には届かない気がした。
「香苗、落ち着けって。ちゃんと話すから。」
今、この場で冷静なのはそうくんだけで
あたしはただ呆然と二人を見つめてる。
いや、足が竦んで動けないんだ。
ちゃんと
あたしの気持ちを
香苗に話すつもりだったのに。
全てが遅かった。
遅すぎたんだ。
「何を…?何を話すって言うの?
親友と彼氏が一緒に居るのを見て、どうやって冷静で居ろって言うのよっ!!」
見る物全てに嫌悪感を抱いているように
香苗はそうくんを睨みつける。
悪いのは
紛れもなくこのあたしで
宥めるそうくん。
逆上してゆく香苗。
そんな二人を前に
どうすればいいのかわからない。
小さな希望すら
見えない。
あたしは
何を守りたかったんだろう。
結局は自分が一番可愛くて
自分が一番、傷付きたくなかっただけだった。
香苗がそうくんに別れを告げられた時も
傷付いてるフリして
香苗の言葉をただ流して聞いていた。
そうくんが欲しくて
あたしは香苗を裏切っていたの。
これは
相応しい報いなんだ。
「香苗…。」
少しずつ
ゆっくり香苗へと歩み寄るそうくんの背中を見つめる。
「寄らないで!」
「香苗、聞いてくれ。」
「嫌っ!何も聞きたくない!!」
まるで韓流映画みたいにあたしには他人事に感じてて。
香苗の顔は
もうあたしの知ってる可愛い香苗じゃなかった。
怒りと悲しみ。
織り混ざる感情が
この空間を包んでいた。
ピタリと香苗の前で
そうくんの足が止まる。
香苗は俯いたまま少しだけ震えてた。
「香苗、全部俺がいけないんだ。」
繋いだその言葉は
まるで懺悔のようで。
「俺は、ずっと…。」
「そうくん、止めて!お願い!」
あたしの言葉は
あまりにも無力で。
「……海音を好きだったんだ。」
全ての音が
色が
この世から消えた。
この世の中、綺麗な事ばかりじゃない。
それでもなお、人は求めて止まないんだ。
変わらない物を。
そんなの
あるはずないのに。
形ある物は
いつか必ず、終わりが来る。
それでも
信じていたいのは何故?
不変を求めるのは
どうしてなの?
「香苗…。」
そうくんが
香苗の肩へと手を伸ばした。
だけどその手は宙を切りながら
元の場所へと戻される。
そしてあたしへと向けられた鋭い視線。
「最低…。二人とも最悪だよ!!」
そう言って香苗は
来た道を走り出した。
「香苗!!待って…」
追い掛けようと走り出したあたしは
腕を引き寄せられて立ち止まる。
そうくんは小さく首を横に振った。
「…追い掛けても無駄だよ。あいつに今、何言っても無理だ。」
そうくんの言葉はきっと正しい。
何ヵ月も傍で香苗を見て来たんだから。
だけど――…
「香苗の事はあたしが一番わかってる!」
あたしはずっと香苗を見て来た。
傷付いた香苗も
楽しそうに笑う香苗も
あたしはずっと隣で見て来たんだ。
「全ての責任はあたしがとる。」
香苗を
失いたくないの。