香苗は
これ以上好きになれる人居ない。
そう口癖のようにこぼしていた。
だから
別れに直面した時
自分を傷付けてしまったんだ。
「…すごく、好きだと思う…。今でも好きだって言ってた。」
「じゃあそうゆう事だ。」
「え?」
浦吉はカーテンを開けて簡潔に言った。
眩しい光に
あたしは目を細める。
「田村はおそらく、その彼に出会うまで本気で人を好きになった事なかったんだろう。」
窓の縁に腰を掛けた浦吉が
振り返ってあたしを見下ろした。
「田村が本気で好きになった相手だからこそ、俺はお前がその彼に惹かれたんだと思うな。」
浦吉の口から
答えが紡ぎ出される。
「沖村は、どこかで田村の事羨ましかったんじゃないか?
本気で人を好きになる事が出来た田村をね。」
衝撃的だった。
浦吉は的確に
あたしの中のモヤモヤを吹き飛ばしてくれた。
香苗は確かに
今までの彼氏とは比べ物にならないくらい
そうくんを好きだった。
傍に支えてくれる存在、自分を認めてくれる存在が居なきゃ
自分の立ち位置すら決められない子だ。
その恋が終わってしまえば
また、次に支えてくれる存在を探す。
泣いても
次の彼氏が出来ればすぐに切り替えられる子だった。
だけど
そうくんは違う。
不安定に揺れながら
未だに彼を想う香苗。
口では『彼氏欲しい。』なんて言うけど
前みたく次に進もうとはしていない。
そうくんを
本気で
好きになったから。
あたしも
実際そうだと思う。
大輔と付き合ったのも
彼を好きでとかじゃなくて
素直に嬉しかったんだ。
好きだと言ってくれてる大輔に
優越感があって。
あたしはそれに甘えながら
彼を知ろうとはしていなかった。
だからずっと
香苗が羨ましかった。
自分が必要とする人を
自分で捕まえた香苗に
あたしはずっと
嫉妬していたんだ。
「ま、これが俺から見た見解だ。」
そう言って窓を開けた浦吉は
日差しを浴びるように腕を伸ばした。
「ありがと…。ありがとね、浦吉。」
ポツリと呟いたあたしの言葉を
聞こえていないのか
浦吉は窓の外に視線を向ける。
本当は
聞こえてるくせに…。
「よし。じゃあ、俺は帰るかな。」
「え!?交換条件は?」
カバンを手に扉へと歩き進める浦吉は
振り返ってこう告げた。
「田村と、ちゃんと向き合って来い。この先の未来はそれから考えても遅くないだろ?」
「香苗と…?」
「まぁ、難しいかもしれないけど。」
微笑んだ浦吉は
ドアノブに手を掛けた。
そして――…
「みんな心配してんぞ。」
と捨て台詞をはいて階段を降りて行った。
パタンと閉まった扉の向こうから
お母さんと浦吉の声が聞こえる。
「何よ、それ…。全然自分に得な交換条件じゃないじゃない…。」
浦吉の面影に
あたしは窓の外に視線を映して笑った。
ありがとう、浦吉。
あたし、頑張ってみる。
眩しい春の太陽が
あたしを優しく照らしていた。
あたしは浦吉に
先生、生徒としての優しさをもらった。
優しさって不思議だ。
時に人を傷付け
時に人を救う。
それが本物の『優しさ』なら
それだけで生きていけるような気がする。
ならばあたしは
本物の『優しさ』を
あげられる人で在りたいと思う。
嘘、偽りのない
『純粋な優しさ』を。
「もしもし…香苗?」
『……海音!?何回も電話したんだよ!何してたのよぉ!』
次の日。
あたしは久々に携帯の電源を入れた。
たくさんの着信に
心配のメール。
それには香苗や友達、大輔からの愛が溢れていて
浦吉の優しさに
あたしは色んな人に支えてもらってたんだと
今更ながら感じてしまった。
我ながら情けない。
全てを捨てて
自分一人で生きて行こうなんて考えてたあたし自身に
すごく恥ずかしくなってしまう。
「明日、話出来る?学校終わってからでいいから。」
『いいけど…。学校、来ないの?』
「……明日、全部話すから。」
そう告げたあたしに
不安の色を隠せない香苗が
『わかった…。』と小さく呟いた。
本当は怖い。
香苗に
全てを話して
あたしは許されるのだろうか。
いや、許してもらおうなんて思っていないけど
香苗にはちゃんと話したいんだ。
あたしは
香苗を失いたくない。
ただ一人の親友に
大切な香苗に
あたしの知ってる限りの言葉で
今の気持ちを伝えたい。
伝えたいんだ。
清々しい朝の光に誘われるように階段を降りる。
「あら、出掛けるの?」
「うん。すぐ帰って来るけど。」
玄関に行くと
回覧板を持ってサンダルを履いたお母さんに
ちょうど出くわした。
浦吉が来たあの日から
お母さんは『学校は?』と聞いてこなくなった。
お母さんなりに
その意味を解釈してくれたんだと思う。
「お母さん。」
外に出たあたしは
反対方向を歩くお母さんを呼び止めた。
振り返ったお母さんに
「帰って来たら話があるの。」と口を開く。
「わかったわ。気を付けてね。」
「うん。後でね。」
雲一つない蒼い空に
踵を返して歩き出す。
こんなに晴れた気持ちになったのは
思い出せない程
久々だった。
「妊娠7周目ですね。」
白衣を着た
優しそうなおばあさんがカルテに目を通す。
薬品の匂いが
どこか落ち着かなくてあたしは俯いていた。
「また来週にでも、親御さんといらして下さい。」
「…わかりました。」
お母さんと別れ
あたしは病院へと足を運んだ。
そう、ここは
産婦人科。
風邪や病気なんて滅多にしないあたしには
病院の空気がどうも苦手だった。
診察室を出ると
明らかに服装の違うあたしに
周りの妊婦さん達が視線を向けて来る。
「沖村さん。これ、診察券ね。来週は火曜日に来られるかしら?」
「大丈夫です。」
診察券を持って
あたしはそそくさと逃げるように病院を出た。
早く
この空気から開放されたい。
病院を出た先にある静かな住宅街に
小鳥のさえずりが響く。
少しだけ寒い春の風は
どことなくあたしを切なくさせる。
そう言えば
あたしがそうくんを好きになった日も
こんな晴れた小春日和だった。
あの時は
まだ、幸せだった。
通じ合える事が
こんなにも苦しいなんて思わなくて。
好き。
確かに彼は
そう言ってくれたのに
あたしは一体何してるのかな。
「バカだな、あたしって…。」
自分の全てを
否定するように呟いた。
気が付けばいつの間にか見慣れた景色が並んでて
自分の家の屋根が見えて来た。
お母さん、泣くだろうなぁ…。
くすんだ赤い屋根を見つめて
ぼんやりとそう思った。