願いは、ただ一つだけ。
あなたが
あたしを忘れない事。
「もう、顔も見たくないの。」
最低だったな。
って言って
あたしをその胸に刻み付けて。
「何が…あったのか
言ってくれよ…。」
こんなんじゃ納得出来ない。
とそうくんは崩れ落ちて頭を抱えた。
鼻の奥が痺れる。
だけど泣いちゃダメ。
そうしたら
全て意味がなくなる。
「さようなら。」
「海音!!」
背中に
愛しい人の叫び声を聞いた。
もう、二度と聞けないとわかっていた。
だけど振り返らない。
決して振り返ったりなんて出来なかった。
願いは、ただ一つだけ。
あなたが
世界一、幸せでありますように――…
ポケットに
たくさんの希望を詰めて
この空の彼方へ
二人で歩き出そう。
そこにはきっと
見た事もない、輝く未来が
あたし達を待ってるんだから。
だけど泣かないで。
強くなるから。
必ず、あなたを守ってみせるから。
約束をしよう。
強くなる、約束。
小指を絡めて
いつもの歌を口ずさんで
二人にしかわからない約束を結ぼう。
そして手を伸ばそう。
あたしよりも小さなその手を
決して離したりしないから。
手を伸ばそう。
深い約束を連れて
地平線の彼方へと。
朝が来る。
あたしの嫌いな、あの朝が。
もう何度目の朝なのか。
そんな事意識していないあたしは
久し振りにカレンダーに視線を向けた。
4日――…
たった、4日しか経ってないんだ。
ただ一人
部屋に閉じこもって
パソコンで色々調べていたあたしに
時間や曜日感覚はなくなってしまった。
学校も行ってない。
携帯も電源を落としたまま。
どうやら今日は土曜日のようだ。
あんなに部屋に訪れて
『学校は?』と聞いてきたお母さんが今日は来ないから。
この4日、何度か香苗が家まで足を運んでくれた。
もちろん、大輔も。
だけど会いたくない。
あたしは学校も
辞める事に決めたんだ。
全てを捨てる覚悟は出来ていた。
小さなお腹の中の命は
既にあたしの中で揺るぎない存在感を示していて
触れる度に思った。
強く、強くなろう、と。
そんな刹那、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「海音、浦吉先生が来て下さったわよ!」
お母さんの声が
少しだけ裏返った。
え?
浦吉?何で?
突然の浦吉の訪問に
あたしは慌ててパソコンの電源を落とした。
「おーい、入るぞ。」
「ダ、ダメ!!」
あたしの反抗も虚しく
開かれた扉にあたしはクッションで顔を隠した。
「何してんだお前。」
いつもと変わらない
先生ぶる浦吉の声。
「あ、お母さん。すいません。二人にしてもらえます?」
浦吉の言葉で
素直な生徒のようなお母さんは階段を降りて行った。
マズい……。
何でこんな事に…。
「さて…。話、始めようか。」
「……何の話…?」
浦吉はいたずらっぽく笑い、
「まぁ、まず飯食え。駅前のサンドイッチ買って来たから。」
と言ってテーブルに紙袋を置く。
「……いらない。食欲ないの。」
「何言ってんだ。そんなに痩せて。どうせ何も食ってないんだろ?」
浦吉の言う通り
あたしはこの4日、ろくに食事は摂らずに水ばかり飲んでいた。
食べなきゃ。
そう思っても、つわりが酷くて食べる気になれない。
黙り込んだあたしに
浦吉がサラリと言い放つ。
「そんなんじゃ、腹の子供元気に育たねぇぞ。」
え―――?
あたしは慌てて顔を上げた。
浦吉は
笑いながら優しくあたしを見てる。
エスパー?
そんなの信じてなんかいないけど
この時は本気でそう思った。
驚き目を丸くするあたしに
「やっぱ図星か。」
と何故か浦吉は困ったように溜め息をはいた。
「何で……。」
「教師の勘だ。」
勘?
どれだけ勘がいいんだ、それ。
そう思ったけど
口にはせず黙った。
「なんて。嘘だよ、嘘。そんな勘がある訳ねぇだろ。」
この教師はどこまでふざけてるのだろうか。
段々腹が立って来たあたしに浦吉が続ける。
「この前さ、お前がびしょ濡れでドラッグストアーから出て来たの見たんだよ。」
「え…?」
唖然とするあたしに
浦吉は言った。
ここ最近、授業も寝てばっかりで
具合悪そうにしてたからもしかして…
そう考えてたらドラッグストアーであたしを見掛けて
確信を得たと。
「で?どうすんの?」
え??
どうするって……。
戸惑うあたしに浦吉が頬杖を付いて見てた。
そして
「学校辞めんのか?」と悠然と尋ねる。
あたしは少し躊躇して
首を縦に振った。
怒られる。
きっと、浦吉は許してくれない。
そう思ったあたしに聞こえて来たのは
意外な言葉だった。
「この前の答え、わかったか?」
「へ…?」
この前って…。
『例えばさ。その友達がその親友の子とは全く赤の他人だとして。』
『そうしたら、お前の友達はきっと、その彼を好にはならなかったんじゃないかな。』
進路面談の時
浦吉が言った言葉。
香苗の親友じゃなければ
あたしはそうくんを好きにならなかった。
何で?
そう聞いたあたしに
浦吉は答えを導いてくれなかった。
自分で考えろ。
そんなふうに言わんばかりに。
実はあれから
あたしなりに浦吉の言葉の意味を考えてた。
とは言っても
考えたのはほんの一日で
それからあった様々な出来事に
考える事すら忘れていたのも事実。
「…わかんない。教えてよ。」
少し間を置いたあたしは浦吉にそう告げた。
「なーんだ。まだわかってなかったのか。」
浦吉が小馬鹿にしたように笑う。
「何よ、教えてくれるんじゃないの?」
「…知りたいの?」
小さな怒りを隠しながらあたしは頷いた。
「知ってどうする。知ったところでお前は産むんだろ、子供。」
浦吉は意地悪だ。
決してすぐには答えを教えてくれない。
だけどそこに深い意味があるのを
二年生の一年間で知っていたから
あたしは反論しない。
「だけど知りたい。教えてよ。」
その答えを聞けば
あたしは香苗と大輔。
そしてそうくんと
正々堂々、向き合えるような気がした。
「じゃあ。交換条件だ。」
「交換条件…?」
「そう。俺だけ損してちゃ割に合わんだろ。」
先生のくせに
ズル賢い。
あたしは渋々ながらも
「わかった。」と答えた。
「じゃあ教えてやるよ。」
「ちょっと待って。その前に浦吉の言う、
交換条件教えてよ。」
「嫌だね。そうしたらお前、やっぱいいとか言い出し兼ねない。」
浦吉はあたしの性格をよく理解してる。
だからきっと
浦吉はみんなから慕われるんだと思った。
「よし。交渉成立な。」
何も話さないあたしに
浦吉が勝ち誇ったように笑った。
あたしの負けだ。