落ち着いたはずの心臓が再び騒ぎ出した。






怖い……。


それはあまりにも大きな恐怖感を
あたしに植え付ける。



だけど、この不安が消えない限り
あたしは前に進めない。



そうくんと、一緒にいられないんだ。






そして
あたしは震える手で袋を破り
検査薬を目線の高さまで持ち上げた。


雨に濡れ寒くて震えているのか

それとも
これから訪れるかもしれない絶望に
震えているのか




わからない。







大丈夫、大丈夫。


生半可な気持ちで
大輔を捨て、そうくんに飛び込んだんじゃない。




大丈夫。


きっと、気のせいだ。



この体調は
きっと、寝不足のせい。





そしてゆっくりと



目を開いた――…








『眠い。春ってどうしてこんなに眠いんだろ。』



『海音、最近寝過ぎじゃない?』



『虫歯じゃないの?』



『大丈夫?顔色悪いよ。』











~♪~♪~♪


真っ暗な部屋で携帯が鳴る。



あたしはゆっくりと手を伸ばし
通話ボタンを押した。



「……はい…。」

『海音?さっきからメールしてたんだぞ?』

「大輔……。」



電話の主は大輔だった。




『話あるんじゃねぇの?』


話…。
そう言えば約束してたっけ……。



『海音?聞いてんの?』

「…ごめん、何か具合悪くて…。学校も早退したの。」

『え?大丈夫なの?』


電話越しに響く大輔の声は
心配してくれてるのか優しく聞こえた。






結局、あたしは大輔との約束を断って
再び布団へと潜り込む。





そして再び光出した携帯に
あたしは顔を上げた。



そうくん……。


画面に浮かぶ
心から愛しい名前。





「もしもし…?」

『もしもし?寝てた?』


そうくんの声に
優しさに包まれたあたしは
ついに溢れる感情を押さえる事が出来なかった。





『海音……?どうした?』


電話越しに
テレビの音が伝わってくる。



『泣いてんの?何かあった?』




ダメだ。


限界だ、もう。





溢れ出した涙は
そうくんの声に反応するかのように止まらなくて


あたしは何も言わずに携帯の電源を落とした。





ごめんなさい。



涙の理由はどうしても




言えなかった。






―妊娠の兆候―


・吐き気

・月経の遅れ

・乳房が張る

・虫歯、ニキビが出来始める

・寝ているのにも関わらず、睡魔に襲われる

・ダルい

・目眩がする








あたしの手には


真っ直ぐ線を描く




検査薬。






陽性だった。











願いはただ、一つだけ。




あなたの傍に居たい。







あたしは
どこまで墜ちていく?


あなたとなら
どこまでも墜ちたって構わないよ。




だけど
決してあなたは許してくれないだろう。



もう、優しいあの声で
あたしを呼んでくれないだろう。







どうか神様。



朽ち果てたあたしを
消して下さい。







もう、雨は止んでいた。



月が
有意義に夜空を満喫してる。







願いは、ただ一つだけ。





涙が枯れるまで泣いて
目が覚めたら






全てが
夢であって欲しい。






そしてまた、あなたに抱き締めて欲しい。





だからそれまで




この汚れた涙を


流していいですか?







全てが閉ざされた暗いこの部屋で
あたしはただ空に浮かぶ月を見上げていた。



泣く事に
疲れてしまったの。



だってあたしに
涙を流す資格はない。




お腹に手を当ててみた。



今、ここに
小さな小さな命がある。



相手は
考えなくてもわかっていた。


考える方が無駄だ。






大輔に
何て話そう。


これを聞いて
何て答えるだろう。




想像も出来なかった。




だけどこうしている間にも
お腹の中の小さな命は生きようと頑張ってる。







こんな小さな命を





守りたい。
そう思うのは
母性本能からなのか。





再び顔を上げて
月に視線を送る。






今日は、朧月夜だった。





ふと
窓の外にバイクの音が聞こえてきた。




まさか…。


月に向けていた視線を窓に移す。

ゆっくりと立ち上がり
あたしは震える腕を伸ばしてカーテンを開けた。







『海音。』


そこには



静まり返る住宅街に
口をパクパクさせたそうくんが居て。



『会いたかった。』
そう、言った気がした。


あたしはカーテンを閉めて座り込んだ。




本当は
今すぐにでも駆け出して行きたかった。


やっと繋がれた手に

やっと伝え合う事が出来た気持ちに



胸が引き裂かれてしまいそうだった。





だけど――…



あたしはまるで重りがつけられたように動けなくて

お腹の中の命が
泣いているような気がして




逃げるように布団を頭から被った。






―――…


もう
どのくらい時間が経ったのか。

わからないくらい
あたしはずっと考えていた。




このまま
何もなかったように過ごして


そうくんと歩いていけたら……と。




だけどあたしには出来ない。


そんな残酷な事
到底出来る訳ない。





やっぱり、あたしとそうくんは


『運命』で結ばれてなんかいなかった。



なのに
迷っているのはきっと



大輔を
今更受け入れる事が難しいから。





それならば
あたしはこの先どうすればいいのだろう。


問い掛けてみても
誰も答えてなんかくれなくて。



最低なあたしに
誰が味方してくれるというのだろうか。





これ以上、罪を重ねたくない。



そう決心したあたしは
立ち上がり
部屋を出て静かに階段を降りた。




この気持ちを
真っ白に戻す為に。





「やっと出て来た。」


小さな街灯の下
そうくんはあたしを見てそう呟いた。



「…ごめんね…。寒かったでしょ。」

春とは言えど
夜はさすがに寒い。



そんな問い掛けに


「海音を待つのは慣れてるよ。」とおどけたそうくん。




その笑顔が
あたしの心を躊躇させるんだ。



「ここじゃ、お母さん達起きちゃうかもしれないから…。」


チラッと家に視線を向けてあたし達は歩き出した。




着いた先は小さな公園。


散ったばかりの桜が
そこら中に点々と落ちている。





「寒い?」


そんなそうくんの言葉にあたしは首を横に振った。



そして
二人で街灯の下にあるベンチに腰を降ろす。


キスをして
手を繋いだあの海は

昨日の事なのに
随分昔のように感じて。


座った間に
一人分の距離が空いていて

まるで
何もなかったいつかのように振り出しに戻った気がした。