最初は諦めるつもりだったんだ。
あたしには大輔が居るしそうくんには香苗が居る。
だけど――…
『ねぇ、海音!一緒にバイトしない?』
バレンタインが目前に控えた2月始め。
教室中の女子達が
バレンタイン特集と書かれた雑誌に釘付けのある日。
香苗が唐突にそんな事を言ってきた。
『バイト?何の?』
香苗が見つけたバイトはピザの宅配。
配達するのは男性で
女は電話受付、ピザを作り梱包する。
『時給超いいの!』
そう言われてよく見ると
時給1000円!
と記載されていた。
高校生でこの時給は確かにいい。
でも……
『あたしはいーや。』
『え~っ!何でぇ!?』
あたしは香苗の誘いを断った。
それはただ単純に
今のバイトがとても楽だったから。
家から10分のコンビニというお手軽なバイトは
ぐうたら店長のおかげでかなり好き勝手出来た。
レジの脇で雑誌を読んだり携帯をいじったり。
あまりにも楽で
時給の高さよりも今のバイトを選んだあたし。
今更一から始めて
一から覚えていくなんて面倒だ。
『香苗一人でやりなよ。』
だけど
この後あたしは後悔する事になる。
『柳 蒼真くんって言ってね、本当かっこいいの!』
あれからしばらくして香苗はバイトを始めた。
『も~ヤバいよ!どうしよぉ!』
香苗はどうやらバイトで出会ったその人に運命を感じたらしい。
バイトの日はやけにおしゃれして
次の日はずっと柳くんの話で持ち切りだった。
そう。
香苗とそうくんの出会いはバイトで。
あたしが断ったそのバイト先で
香苗はそうくんに恋をしたのだ。
後悔。
そんな言葉じゃ片付けられない程
あたしは後悔していた。
あの時、香苗と一緒にバイトしていたら…
もしかしたら
そうくんの彼女になるのはあたしだったかもしれない。
いや、きっと
あたしは何としてでもそうくんの彼女になってた。
だってこんなにも
『欲しい』
そう思った事
今までに一度もなかったから。
いつの間にか
鼻をつく金木犀の香りが消えた頃。
ある事件が起こった。
「喧嘩……しちゃった。」
涙目の香苗があたしを見つめてた。
「え…?」
辺りはうっすらと夕焼けに包まれて
教室に居るクラスメートが慌ただしく帰り支度を始める。
「喧嘩しちゃったの…。」
聞こえてなかったと思ったのか
香苗は再びそう呟いた。
喧嘩?
「そうくん…と?」
セーターの袖を丸めて口にあてた香苗は
小さく二回、首を縦に振った。
驚いた。
喧嘩をしたという事じゃない。
あのそうくんが
香苗に怒ったという事に対して
あたしは心底驚いた。
今まで何度か
香苗とそうくんは喧嘩してた。
だけどそれは
香苗が一方的に怒ってるだけで
そうくん本人は
全く喧嘩してるなんて思ってない。
そうくんが怒るなんて
とてもじゃないけど想像出来なかった。
「携帯をね……見たの。」
「携帯?そうくんの?」
教室のベランダに座り込み
香苗は泣きながら静かに話し出した。
「どうしても気になって…そうちゃんはそんな事しない。
わかってるのにどうしても…気になっちゃって……。」
「……で、勝手に見ちゃったんだ。」
グラウンドに
サッカー部がストレッチしていた。
ガランとした静かな教室には
もうクラスメートは人一人居なかった。
香苗は今までの彼氏に散々浮気をされていた。
それはもう
ありえないくらいに。
「でも何もなかったんでしょ?」
あたしの言葉に頷いた香苗は
また涙をこぼした。
そうくんは浮気なんてしない。
そんなバカらしい事するような人じゃない。
実際そうくんの携帯には
女の影すらなかった。
「だけど……見てる時に…ちょうど…。」
「部屋に戻って来ちゃったの?」
こくんと頷いた香苗に
あたしは小さく溜め息をついた。
正直、香苗の気持ちもわからなくはない。
だけどきっと本来言わなくちゃいけない事
それをきっと香苗は言わなかったのだ。
「香苗、謝らなかったんでしょ。」
「……どおしてわかるのぉ?」
あたしのセーターを引っ張り肩に寄り添う香苗。
「あんまり泣くと化粧落ちるよ。」
「うぅ~…っ。」
香苗は不安だった。
それ故に
してはいけない事をしたのだ。
そうくんは香苗の過去を知った上で付き合った。
だから携帯を見られても怒ったりはしない。
そんなそうくんに
香苗は謝りもせず、そのまま携帯を見続けた。
次の日も
香苗は同じように携帯を見て。
それはもう当たり前のように。
そんな香苗に
ついにそうくんは怒ったらしい。
『いい加減にしろ。』
と。
その後
香苗が謝ってもそうくんは怒ったまま。
メールも返信はなく
電話も出ないそうだ。
だけどそれは全て
香苗がそうくんを本当に好きだという証拠。
現に
まだ2ヵ月も先のクリスマスプレゼントに悩んでいるのだから。
「そうくんもきっと色々考えてんだよ。」
薄暗くなった空に
紫色した雲が風に吹かれ流れていく。
「だから、連絡来るまで待ってたら?ね?」
泣きじゃくる香苗の頭を優しく撫でた。
そんなあたしに
香苗はようやく笑顔を取り戻して
ありがとう。と呟いた。
だけど――…
こんな日は必ず悲しくなるんだ。
親友だから仕方ない。
わかってるのに
香苗からそうくんの事を相談されるのが一番辛かった。
いいじゃない。
喧嘩が出来る距離にいられるんだもの。
声が聞きたい。
そう思えば香苗は聞けるじゃない。
あたしは――…
すっかり日が落ちた校舎に伸びる影。
サッカー部と野球部の掛け声が響くグラウンドの脇を
あたしと香苗は歩いて校門へと向かった。
「じゃあね。ちゃんと仲直りしなよ。」
「うん。わかったぁ。」
手を振る香苗の影が
薄暗い街灯に消えるまで見送ったあたしは
その足で反対方向へと歩き出す。
これでいい。
これが、あたしの役目。
『そうちゃんが居なきゃ生きていけない』
帰り際、香苗はあたしの手を握り
そう呟いた。
それはあまりに小さな声で
あたしは聞こえないふりをした。
わかってる。
あたしはそうくんの彼女の親友で
こうやって相談に乗るのも親友として当たり前なのだ。
わかってるのに……
どうしてこんなに苦しくなるの?