空が白み始めて
いつの間にか地平線の向こうに朝日が顔を出してる。
あたし達は手を繋ぎながら長い海岸を歩いて居た。
今思えば
手を繋ぐのは初めてで
キスをしたあの日を思い出したあたし達は
『順番、逆になっちゃったね。』なんて笑い合った。
幸せで
これ以上ないくらいに幸せすぎて
あたし達は時間が過ぎるのを惜しみながら言葉を交わす。
春の海。
そして朝焼けの海。
周りには人一人居なくて
まるでこの世にあたし達二人きりになったみたい。
この優しく鳴る海に
あたし達を咎める人は居ない。
蒼い海は
まるであたし達を祝福してくれてるように感じてた。
時間が止まればいい。
生まれて初めて
そう思った。
一通り海岸を歩いたあたしとそうくんは
再び防波堤へと腰を掛けた。
途中、海岸を抜けて
自動販売機で買った温かい紅茶を手に。
夢を
見てるみたいだった。
こうして二人
肩を並べて笑い合える。
そんな事一生ない。
そう思っていたから。
もう、我慢しなくていいんだよね。
この温かい手のひらに
自分の手を重ねていいんだよね――…
―ねぇ。
―ん?どうした?
―いつから、あたしの事好きでいてくれたの?
―何、急に。
―だって知りたいんだもん。
―じゃあ海音ちゃんは?
―もう、海音ちゃんって呼ばないでよ。
―はは。ごめん。呼び捨て恥ずかしいじゃん。
―もう何度も呼んでるじゃない。
―そうだっけ?
―そうだよぉ。
―海音。
大好きな人が
あたしの名前を呼ぶ。
その声は
海の音よりも優しくて
もっと呼んで欲しい。
もっとあたしを求めて。
そう心の中で呟いた。
『海音。』
その声に
溺れていたい。
「そろそろ、帰ろうか。」
「……まだ、いいよ。」
あたしの言葉に
優しく手をポンと置いたそうくんは
「また、来よう。」
そう言って笑った。
あたしは一分、一秒たりとも離れたくない。
こんな女、嫌いかな…。
そうくんの背中を見つめたまま
あたしはその後を駆け足追った。
すっかり明るくなった日差しは
あたし達二人を
再び残酷な現実へ引き戻す。
帰り道
そうくんの背中に寄り添って見た桜が
その短い命を終えて
散り果てていた。
――遠くで誰かが呼んでいる。
誰?
あたしを呼んでるのは。
どこからともなく聞こえて来る呼び声は
徐々に近付いて来た。
誰……?
あたしは耳を澄す。
『海音…。どうして…』
………!!!
「……音!海音ってば!」
「……あれ…?」
細く開かれた瞳に
ゆっくりと視界が開かれた。
「もお。寝過ぎじゃない?お昼だよ!」
「ごめん…。爆睡しちゃった…。」
謝るあたしに
香苗が腕を組んだ。
「随分長い春ボケだね。」
「昨日、一睡もしてなくて…。」
そう告げたあたしに
香苗が
羨ましい。とぼやいていた。
「いいなぁ。あたしも彼氏、欲しい。」
そう、あたしはそうくんと別れた足でそのまま学校へと向かった。
そして授業中は見事に爆睡。
学校に来てる意味ないな…。
でも何だったんだろ、あの夢……。
あの声は
確かに大輔だった。
悲しみ、そして憎しみがこもったような暗い声―――…
でも、当たり前かもしれない。
だってあたしは…
To:岩瀬 大輔
今日、少し時間ある?話があるんだ。
今日、大輔に
別れを告げる。
「海音、ご飯食べに行こう!」
「あ、うん…。」
香苗が手招きして教室の扉からあたしを呼んだ。
慌てて立ち上がり
あたしは香苗を追う。
「…混んでるかなぁ、食堂。」
「まだ、大丈夫じゃない?」
食堂までの渡り廊下を
あたしと香苗はのんびりと歩く。
春は更に深みを増し
温かい木漏れ日が草木を輝かせていた。
「…げ。」
食堂に着いたあたしと香苗は
入口で立ち尽くしてしまった。
ごった返す学生に
食堂のおばちゃん達が忙しく動き回ってる。
「どうする…?」
「…ん~、並ぶしかないでしょ!」
そう言った香苗は
長く続く列の最後尾に並び始めた。
そしてやっと順番の回って来た時には
食券はほとんどが売り切れ状態。
「もぉ、海音が寝てるから~!」
「ごめん…。」
仕方なく
あたし達は食べたかった中華丼を諦めて
カレーライスのボタンを押した。
何か食欲ないな…。
学生で溢れる食堂は
席もほとんどが埋まっていて
ようやく見つけた二つの空席にあたし達はトレーを置いた。
「よかったね、座れて。」
「うん。」
香苗に続くように
あたしもイスに腰を掛けた。
何気ない日常。
それに溶け込むのはすごく簡単で
悩みすらなさそうに笑う学生が羨ましく思う。
「はぁ…。」と溜め息をつく香苗に
あたしは視線を向けた。
「…あたし、昨日メールしてみたの。」
え…?
「…そうくんに?」
「うん。…バカだよね。別れて何ヵ月も経つのに…。」
香苗の言葉に
あたしはスプーンを持つ手を止めた。
「だけど、諦められないの。」
力強い、香苗の声。
「あたし、あんなに誰かを好きになったの初めてだったから…。」
ぎゅっと手首を握り締める香苗は
悲しそうにあたしを見つめて
「だから、あたし諦めない事にした。頑張ってみようって。」
そう言って無理矢理笑った。
そんな告白に
あたしは何て答えればいいのだろう。
昨日、あたしとそうくんは一緒にいて。
お互いの気持ちを確かめ合った。
香苗の真っ直ぐで一点の曇りもない瞳は
濁ったあたしの瞳には眩しすぎる。
「そう…。あんま、無理しないようにね。」
あたしは視線を逸して再びスプーンを口に運ぶ。
香苗には
絶対に言えない。
もし、あたしとそうくんの事を知ったら…
香苗は生きる術を失う気がした。
「…痛っ。」
「海音?どうかした?」
突然走った激痛に
あたしは自分の頬を押さえた。
「何か、歯が痛かった。」
「あはは。虫歯じゃないのぉ?」
「…そうかも。」
最後に歯医者に行ったのは
多分小学生の頃。
虫歯があってもおかしくない。
そう思いながら
あたしはカレーを少し残して
トレーを片付けた。
「まだ痛いの?」
「うーん、少し…。明日歯医者行こうかな。」
食堂でお腹を満たしたあたしと香苗は
再び自分達の教室へと歩き出す。
あたしは頬を押さえながら階段を見上げた。
その時
視界がぐらりと揺れて
あたしは手摺に寄り掛かってしまった。
「ちょっと、大丈夫?具合悪いの?」
心配そうに香苗があたしを覗き込む。
何、今の……。
突然の出来事に
あたしは額に手を当てて考えた。
睡眠不足だからかな…。
「ごめん、ちょっとトイレ行くね。先行ってて。」
「顔色悪いよ?あたしも一緒行くよ。」
「大丈夫。次の数学の宿題、やってないんでしょ?」
あたしの言葉に
香苗は思い出したかのように慌てて階段を掛け上がった。
「何かあったら携帯鳴らして?」
「うん、ありがと。」
そう言って香苗の後ろ姿を見送った。